2003年 9月 4日 長野 山室 こどものいる愛しい日々




北海道〜東北ツアー(12日間、9ヶ所のコンサート)の最終日は8月31日、福島は西郷村の灯庵でのライブ。昨年、福島は獏原人村の満月祭りで、古い民家を移築してお店を建設中の敦子さんと出会った。夏なのに寒くて、敦子さんが並べて販売していた上着を買ったのが縁のはじまり。開店して半年を過ぎた灯庵(とうあん)は、コンサートもできエスニックな料理が食べられ、衣類や小物、おもしろい楽器の販売もしている。現在は2階にネイティブインディアンのアートを展示中。

 北海道から青森にかけて5ヶ所はソロ。花巻から仙台まで3ヶ所は岩手在住のウッドベースプレイヤーのでんちゃん、最終日福島には、千葉に住む下村誠さんがギターを持ってサポートに駆けつけてくれた。それぞれのコンサートの空気感や、前後の出来事や出会いについて書きたいことは山ほどあるが、その模様については書き始めたらきりがないので、ここでは書かないけれど。どのコンサートもビジネスではなく目に見えない価値観に支えられ、新しい時代の流れを切り開いていこうという気持ちのなかで成り立ってるからこそ素敵な時間だった。また、コンサートとしては集客が充分ではなかった数ヶ所でも、その前後に必然を感じさせる出会いがあり、旅の流れの中では、すべてが意味深く感じられた。コンサートの企画に骨をおってくださったみなさん、スペースを快く提供してくださったみなさん、その日の宿を提供してくださったみなさん、ライブに来てくださったみなさん、次のコンサート地まではるばる送ってくださったみなさん、ありがとうございました。おかげさまで、旅から戻り日常が始まっています。その様子を少し報告しますね。
 
9月1日、下村誠さんと二人で高速バスを乗り継いで、伊那谷の我が家へ。12日間のツアーで疲れきっていたけれど、下村さんが総合プロデュースしている10月リリース予定のcdアルバムの最終レコーディングが残っていて、帰ったその日からレコーディング。父親に任せていたこどもたちに会いたくて、すぐに迎えに行きたかったけれど、下村さんは一晩しか滞在しないので2日の夕方までにすませなければならない仕事の量から考えて迎えに行くのは諦めた。cd版のイラストを描き、3曲の歌入れ、ジャケット等に使う写真を決めなくてはならない。留守中伸びた草や畑も、ちょっとした時間でもなんとかしたい。2日に学校からスクールバスで我が家に帰ってくるようにこどもたちに電話。

家に着いたのが1日の夕暮れで、見るからにおばけになった畑に籠を持って収穫しに行く。玄関前に咲くピンクのコスモスや、わたしの畑の横に地元のおじさんが撒いた蕎麦の白い花に彩られ10日で、あたりの雰囲気は変わっている。ツアーから帰る度に、季節の巡りと自然の力を映像で見せつけられる。じばいのきゅうりは威勢がよくて、さつまいもやきゃべつの苗の上を覆ってしまってる。すごいなあ、知らなかった。こんなに伸びるなんて。うりのような巨大なきゅうりを、とりあえず5〜6本見つけた。もう食べれないから大きすぎるものは土の上に置き、食べられるものだけ家に持ちかえる。トマト、きゅうり、ナス、おくら、もろへいや、春菊、葱、青シソ、人参、大根。もう、食べきれない。

2日の夕方、写真とインディアンフルートのカツミさん、パーカションのえいこさん、下村さんとわたしで最終レコーディングと、ジャケットの写真のチエックを並行して進行させていた。下村さんが東京に戻る最終バスまで数時間しかないのに、未収録のボーカルが1曲残っている上、パソコンがスローすぎて、カツミさんの撮影した50枚の写真全部を見れずにいた。また、家に帰宅してからわかったことだが村の運動会の実行委員会がこの夜、召集されていて、わたしも放送係りとして参加しなくてはならない。時間のやりくりができなくなっていた。最終レコーディング曲「るり色の涙」のレコーディングに集中していた時、学校から帰ってきた八星がふすまの間から顔をのぞかせた。

泣きそうな口元をきゅっとむすんだ八星の顔。ヘッドホンをつけてマイクに向かって歌っているわたしを一瞥すると、さっと視界から消えた。レコーディングを中断して八星を探しに行く。みんなのいる居間ではなく、レコーディングしてる部屋の隣の暗い部屋のすみっこにひとり、たたんだ布団に体を投げ出して、泣きそうな口元を結んだまま丸くなっていた。「八星、ただいま。会いたかったよ。」とぎゅっと抱きしめる。八星は何も言わないけれど、さらに泣きそうに口を硬く結んで、わたしの体に身を委ねて、だっこされている。「ママはずっと、八星に会いたかったんだよ。長いことごめんね。待っててくれてありがとう。」八星は黙って、抱かれたまま、わたしの言葉を聞いている。世界は広くて、たくさんの人がいるけれど、子どもにとってかけがえのないのは、自分を無条件に愛してくれる数少ない存在だと思う。しばらくぶりに会った八星は、わたしがいない間も元気でやっていたのだろうけれど、自分と世界との繋ぎ目である母親との絆を全身で確認しているように感じた。

アマチは、わたしの側には来ないで、ひょうひょうと自分のことをしていた。レコーディングは中断。下村さんは、3日の朝、一番のバスで東京へ帰ることに予定を調整してくれた。そんなわけで、わたしはこどもたちが眠るまで、こどもたちの側にいて本を読み聞かせしたり、ごはんを食べさせたり。次第に緩んでくる彼らの表情と、次第に話しだす彼らの話に耳を傾けました。こんな時、日頃は言わない心の奥深くに眠っている願いを口にしたりするんだね。八星は「磯のある海で遊びたい。」「アメリカへ行きたい。」と、ふと思いだしたように口にしました。磯のある日本のどこかの海で父親と遊んでいて、とってもいい時間を過ごしたことがあるようです。「その時、風が吹いていて、光がまぶしいのに暑くなくて涼しかった。」と。アメリカでは幼ななじみのゆうたやルナちゃんと遊びたいと言いました。「直ちゃんの家に行きたい。」と明確。やっぱり来年の春くらいには、2週間くらいでもアメリカへ里帰りしようかなあ、と思いました。こどもたちの故郷は産まれた場所、そして、そこで出会った人々かもしれない。アマチも、やっぱり次第に甘えて来ました。こどもって、面白い。親がこどもが立ち入れるスペースを用意すると心を広げてくれる。わたしも、もっと余裕をもってこどもたちと時間を過ごしたいなあ。

村の会合にも子どもたちを連れて出席。彼らが眠ってからレコーディングと写真の確認は、無事終えました。下村さん、カツミさん、えいこさん、ご苦労様でした。

昨日は八星は学校を休み、わたしと過ごしました。入れ替わりで今日はアマチが家にいます。学校は今、運動会に向かっています。今週末は、村の運動会。13日、次のツアーが始まるまで、こどもたちや畑、村のおとしより、そして学校とのおつきあいも大切にしたいと思っています。

次のツアーは14日新宿から始まり、米子〜松江〜大阪〜京都〜信楽、と9日で8ヶ所とまた充実しそう。詳細はスケジュールを見てくださいね。