2003年7月14日 長野 山室 タイミング




今朝、傘をさして雨の中、スクールバスのバス停までこどもたちを送り、帰り道、坂を下りつつ畑を眺めた。たんぼだったところを畑に使わしてもらっているが、畑のまわりに掘ってある水路が水びたしになっていて「あ〜あ、やっぱ、ちゃんと水路切らないと、梅雨には対応できないんだなあ。」と自覚。このところ、雨が多くて、せっかく育ったレタスが次々と腐っていってる。それでも、大根やカブ、きゅうり、人参などいつでも新鮮な野菜が畑に一杯にあって、片手間でやってるにもかかわらず畑が我が家の食料倉となり嬉しい。
 わたしは、ある程度雑草のはえた畑が好きだし手もまわらないで、畑の中もまわりも盛大に雑草が伸びているが、数日前、ふと気がつくと畑の管理してる隣村のおじさんが除草剤を撒きにきていたのでびっくり。思わず、側まで行って「おじさん、言ってくれたら草かるのに。」と言うと、ちょっとの間、機械を止めて「自分の畑のとこだけやってくれ。後は俺が守る。」と仕事再開。目立たない程度には草刈りをなきゃと焦っている。山室のおじいさんおばあさんはこまめに草刈り機やカマで草を刈っている。草を伸ばすことが、美観を損なうという共通認識があるんだろう。みんな働きものだから。大家さんは、そういう意味でも畑の管理を隣の村のおじさんに頼んであるのだろう。来年は、畑、全部を借りようかな。まだ、除草剤の是非をめぐって話をするようなタイミングではない気がする。今できる範囲でなんとかしよう。

7月5日、山室の集会所でコンサート。次の日、7月6日は隣人たかこさんの家で「ふるさと自然村あったかとう」の共催で一般コンサート。6日は、東京からシンガーソングライターの下村さん、岩手からベースのでんちゃん、地元からは、インディアンフルートのかつみさん、パーカッションのえいこさん、そして歌のよしえちゃんが演奏に来てくれて賑やかな楽しいコンサートとなった。
 村でいつも顔を合わす歩ける範囲の近隣の人だけを対象にした5日の無料コンサートは、わたしにとっては大切な儀式のようなものなんだと、当日、気がついた。集会所に行くと早めにきていた近所のおばあさんが3人、ひなたぼっこしながら待っていてくれた。挨拶をすると、目をあわさず「なにいってんだか、耳が遠いんでわかんねえよ。」と3人で話している。家から運んできた麦茶とお菓子を進めたが遠慮がち。なにしろ、まだお互いが掴めず、うちとけられない間柄なんだ。それでも、コンサートにきてくださったんだから可能性がある。隣の守やさんも夫婦で来てくださった。かつみさんのフルートもいれて、1時間ちょっと、会合があるから途中で失礼すると前もって伝えてくれていた男性3人が前の方に並んで聞いてくださったけれど、言ってた時間が過ぎても動かず、しっかり聞いてくださってる感じがした。
 6日のコンサートは、車で動ける範囲とエリアを広げて、親しくしてる顔ぶれも集まり楽しかった。縁側を空け放し、庭で遊んでるこどもたち、風が感じられた。大きいこどもたちは、隣のわたしの家で遊んでいて、スペースを自由に広く使えてみんなが解放されてる感じ。こどもたちの小学校の友達の家族や校長先生も来てくださっていた。夕ごはんは持ち寄り。わたしは家へカレーの鍋とご飯のお釜を走って取りに行き、食べてから楽器を担いでぶらぶらと歩いて帰った。なんて楽なんだろう。

思いついたことを実現していくということは、生きていることの醍醐味であるように思う。着想にしかすぎなかったことを着想にしたがって、準備していくといつのまにかその日がやってくる。そこにどんな意味があるのかは、体験して味わって初めてわかることもある。

自分の住んでいる村でコンサートするという地道な活動が、実は意味深いということが歌っている時味わえた。3月に山室に引っ越してきて以来5曲が、この場所で産まれたが、コンサートの間も聞こえ感じていた川の流れる音と風、そしてこの村の空気やできごとがわたしの心に働きかけて、歌は産まれてきたんだ。だから、歌をこの場所に住む人達や見えないものたちにも、心をこめて返していくということは、ひとつの循環として欠かせないことなんだ。5日のコンサートには思いがけず組費からお志しが出た。ありがたいなあ。でんちゃんの交通費が出せました。6日のコンサートは入場料をいただき、下村さんの交通費を出し、残りを少ないながら参加ミュージシャンで分配。次回からは地域通化のようなものも試してみたい。

コンサートの後、8日の夕方までレコーディング。遠くから来てくれているでんちゃん、下村さんの時間にリミットがあり、ぎりぎりまで時間と競争しつつのレコーディング。
 今回のレコーディングは下村さんをはじめとして自主的な協力によって支えられ進められている。CDを作ることが目的なのだけれど、作るというプロセス自体が恵み。お互いがお互いの世界を尊重し、思いやり、支えあうという対等な関係の中に、目には見えない絆と信頼、創造性が育っていく。

レコーディングを仮編集したMDを聞きながら、次のライブコンサートのための自分用の譜面を整理している。コードやキイに手が加わって、今までよりも聞きやすいアレンジになった。自分一人では、技術上、まだそのように演奏できる段階ではないかもしれないけれど、その方向で努力したいと思っている。夜、寝る時間を削って、レコーディングしていた下村さんやでんちゃんの真剣な姿に触れて、わたしも、昼間、こどもたちの世話や日常の雑事に手をとられ音楽に充分専念できないことを言い訳にできない気もち。 自分がやろうとすることに人が見返りを求めず手をかしてくれる時、そこには目には見えない深い愛のようなものが働いてること感じ、自分自身をもっと磨いていこうという意欲となる。

家族とか、恋人とかそういう固定的関係でない友人たちから、今わたしは育てられている。愛に欠かせないのは自立だねと昨日、友達のよしえちゃんと話した。自立した対等な関係の中に、きっと永続する愛は育っていくのかな。次のアルバムタイトルは「愛の花 」。8月、9月と後、数回、レコーディングを重ね、リリースは10月になるかな?お楽しみに。