2003年6月26日 長野 山室 夢からさめて




夢をみた。目が覚めても、夢の陰影の中にいるのでちょっと書いてみることにした。
また、非日常的な内容なので、急いでる人は読まなくていいよ。ゆとりのある人、なんとなく心惹かれる方だけ、読んでください。

「学校へ行く前に、ひと遊びしなくちゃ。」とこのところ積極的な回路にいるアマチが、「今、何時?」明け方、時間を聞いた。「5時何分。」と答え、横で起きだして、カード遊びをしてるアマチの気配を感じながらも、夢の続きを体験していた。

わたしは、殺されそうだった。夢の中で。

やけに殺伐とした町の通りを歩いている。ものを投げてくる人がいる。すさんだ町の男。焦点をあわさないように先を急ぐ。危険な感じがするが、焦ってはいない。こういう場面は、生きていれば時々は、通る道なのだから。焦点さえあわさなければ大丈夫。
 わたしは12年前、新宿の歌舞伎町で毎晩、バイオリン修行にラテンバンドでバイオリン弾きをしてたことがある。あの通りも、なかなかだよね。カリフォルニアのオークランドも場所によっては、そういう空気があった。

誰が潜んでるかわからない、殺伐とした通りを歩いてる時、ポケットに入れてる手に、缶きりが触った。缶きりは手の平の中で、二つにわれて小さなナイフのようになった。「よかった、いざとなったら、これで戦える。」と思った。めずらしく、夢の中のわたしは戦う気だった。どこかに危険が迫っている感じがする。怖くはない。

通りから小さな小部屋の印象に場面が変わる。ちょっとホッとしている。男の人がいた。小学校の時、いじめっこだったYちゃんがおとなになって、そこにいた。小学校の時、そうだったように影がある。美しくないものを見てしまった美しい心の男の子。わんぱくでやんちゃだった彼は高学年になって、急に暗くしゃべらなくなった。ある日、「どうやったら、子どもができるか知ってるか?」と深く重い声で、誰にともなく聞いた。その声を聞いただけで、当時、わたしの心は凍ってしまった。大好きなYちゃんだったけれど、わたしにはわからない世界にとらわれてしまった。怒りを封じ込めた男の子になってしまい、以前のように遊ばなくなった。本人が勝手に、異質な存在に変わっていったのだけど、わたしは、それ以来、本能的に彼を怖れた。小学校を卒業して、それっきり、会っていない。
 そのYちゃんが、夢の中で白いシャツを着て、すぐ真近にいた。懐かしい気持ちと同時に彼に「殺される。」のだ、と気づく。さっきから感じてた、危険はここから来てたんだ。殺気はないけれど、彼はわたしを殺すためにそこにいるのだ。理由はわからないけれど、それが彼の道で、なぜか、わたしも、この道を通らざるおえなかった。
 ポケットから缶きりナイフをとりだして、Yちゃんの胸に刺す。むざむざと死ぬわけにはいかない。でも、なんとYちゃんは、シャツの下に防弾チョッキを着ていて、(笑い)歯が立たないの。
 今度は、ほんとにわたしが殺される番だった。もう、自分を守るものはなにもない。ただ、殺されるだけ。二人の間に争いはないの。ただ、淡々とした空気があるだけ

そこにきて、わたしの心から、愛が溢れてくるの。わたしは、わたしにはわからない成り行きの中で、ばったりと出くわしたYちゃんを愛してる、という自分の気持ちに出会うんだよね。それは、ほんとに宇宙的愛なんだけど。
 死ぬまでにしたいのはYちゃんに愛を伝えたい。Yちゃんが愛されているということを知って欲しい。わたしはYちゃんに手をのばして、そっと撫でていた。死ぬまでの間、安らかな気持ち。でも、胸が痛い。涙が流れた。

最近、なぜか、ふらりと見てしまった映画に「あずみ」がある。内容的には、どうかと思いつつ見てしまった。
 ストーリーとしては、戦国の世から戦いをなくそうとの志で、そのときの君主を倒そうとする者を、殺すことによって平和を保つ(すごい限界のある平和だけど)死客が10人、山の中で育てられる。仲良く育った10人の若者が、いよいよ”お役目”で世の中に出る時、まず、仲のいいふたり組みどうしが殺しあいをさせられるの。情に揺すぶられたら、役目は果たせない、と言うんだよね。ひどい話。でも、愛しながらも殺さざるおえなかった仲間は、見えないけれど共に戦ってゆく仲間。それしか、選択枝がない時は、それなりの形の中でも成立する愛があるというか。。そういうふうに映画では描かれてるし、そのように見る側にも伝わってくる。これも、すごい限界つきの愛だけど。殺す、殺されるという、すざまじい行為も長い輪廻の中では、縁 によって運ばれてくる善悪を越えた学びのプロセスなんだな、とわたしは感じた。
 
映画の中では延々と殺しあいが続く。わたしは日頃、テレビも映画も見ないし、本も選んだものしか読まないので、こういう殺しあいは、ほとんど目にしないのだけど、最近、ふと聞いたけど、ふに落ちなかった、友人の言葉「僕もさんざん、人を殺してきましたからねえ。」という言葉が、この映画で胸に落ちた。(もちろん、これは前世でという前提の話ですよ。念のため)

あ〜あ、このところ、愛というありふれた言葉を、ありふれた形ではなく学習させられてる感じがします。

明日は、東京へ、武蔵小金井はリバースで夜7時からコンサート。よかったら、来てね。それから、今、8月20日前後、北海道(伊達紋別〜ニセコ〜札幌)あたりをコンサート企画進行中ですが、なにしろ、それほど北へ行くことも少ないので、そちら方面一帯、あるいは通過するエリアでも、今ならスケジュール入れられます。声かけてください。