2003年6月13日 長野 守屋山




山頂についた時、霧の中に山つつじが赤く映えていた。「わあ、いいとこだねえ。」と八星の明るい声。ほんとは見晴らしがいいだろう岩の上。霧に包まれてても、なんだか少し明るくて、開けてる気がする。うぐいすの透きとおった鳴き声。「来てみないと、わからないね、いいところだねえ。」と再び八星。アマチと3人で板チョコをわけて、暖かいお茶を飲んだ。霧雨が強くなり、八星とアマチに合羽を着させ、急ぎ足で山を降りた。お弁当食べたりも合わせて、往復3時間くらいかかったかな。「初めて、山頂まで来れたね。」と満足そうに言う八星と、しなやかに飛ぶように坂道を歩くアマチを見て、きてよかったと思う。ふたりともたくましい。「雨が強くなったら、岩影で雨宿りしようか。」と臨機応変。道を間違えた時、アマチが気づき、わかれ道まで戻り正しい道へ戻った。

おととい東京から長野の自宅に戻ったが、わたしの頭は仕事モード。夏のスケジュール調整や、すぐ迫ったレコーディングの曲目やアレンジのアイデアをまとめたり、あるいはずっと手をつけられずにいる本の執筆のための骨格を考えなくてはと思っているのだが、そういうこと以前に畑や家事、かかってくる電話や来客の応対、回覧版をまわしたりなど目の前のことに追われ、心が急いでしまうので、こどもにも目が向かない。こどもになにか言われても、うわの空状態。
 
こどもたちは、学校休みたいモードで、わたしとしては、こういう時は行ってくれた方が助かるのだが、1週間も離れた後は、こどもとしっかりコンタクトしておいた方がいいと、心が知っている。仕事、畑、家事にも諦めをつけ、今日は、学校を休んだこどもたちと山歩きをすることにした。

そんなわけで、今日は、山歩きの後、こどもたちの買い物にもつき合い、温泉に行って、漢字の勉強に付き添い、夕食を食べ、こどもたちと”おはじき”で遊んで、「メアリーポピンズ」を読んであげて、ようやく寝かせたところです。「ママ、一緒に寝てくれないの?」と八星。「今日は、ママ、これからお仕事だから先に寝てね。」

人の心って不思議。かわいがってあげると、ますますかわいくなる。一緒に同じ風景に溶けていられる今が貴重。山を歩くと森の気を受けて体と心が変化する。坂道を汗かきながら歩く、そんな単純なことなのに心が素直になってゆく。途中の大きな岩でお弁当を食べた時、向こうの山に雨をふらせてる雲が見えた。3人で、その雲について話し合った。隣のおじいさんからいただいたばかりの大根葉の炒めものを「おいしいね。」と食べながら。

やらなくてはならない仕事も山積みだけど、目の前にあることしか、できないんだね。昨夜も隣の守屋のおじいさんから「布団、干したままだよ」と電話をもらってしまいました。
 
雑多な日常に埋もれて、ほんとうにやりたい仕事に、なかなかとりかかれなくても、きっといつかはできる。全てはタイミング。日常の繰り返しの中にこめられた思いが音楽になり、文章になり、そして野菜にも、なるんでしょう。