2003年
4月15日 高遠 山室




 玄関先、つぼみをピンク色にふくらませた桜の木に柔らかな4月の雨が降っている。あさってから20日間のツアーに出てしまうから、満開には立ちあえないだろうけれど、咲き始めには立ちあえるかも。楽しみ。

昨日の夕方、大根とカブの種を撒いた。その畑の上にも、柔らかな雨は降り注いでいる。抜群のタイミングで種を撒けたような気がする。

昨日、ツアーに出る前に土作りだけはやっておこうと自己流で畑に堆肥を混ぜていたら、隣の守屋のおじいさんが買い物用の押し車を押してやってきた。足が悪いので支えが必要らしく、その押し車でぬかるみもある田んぼを渡り、わたしのところまで来る姿には意思が感じられた。「畑にいるのが見えたんで。」と言われたので、「長期で出かけるので肥料だけ入れて、帰ってから種まこうと思って。」と説明した。

守屋のおじいさんは、数日前、我が家まで「大根とカブはそろそろ撒けるよ。」とわざわざ伝えに来てくれたのだ。相当、お年のようだし、隣とはいえ少し離れていて、杖をついて来てくださるとその気持ちがホントにありがたい。お茶を誘っても、伝え終わるとさっさと帰っていかれた。

守屋さんは、わたしが用意した肥料を見ながら、しばらく考え「それでもいいけどね、種、撒いてから出かければいいに。」と言われる。守屋さんの感覚の中では大根とカブの撒き時期が来てるという素朴な確信があるのだな、と感じる。「撒いてから20日もほったらかしで大丈夫なんですか?」と聞くと、「うん。大丈夫だね。」と。

そんなわけで、肥料の置き方からうねの作り方、大根の種の撒き方まで、守屋式を伝授していただいた。わたしが耕して土を盛り上げ、うねにした間の低地に肥料を撒いて、撒いた肥料の上にふたつのうねをひとつに寄せて柔らかな土のベットを作り、そこに手持ち用の小さな鍬の柄で土を軽く押して、種を撒く浅い穴を印して、2粒ずつ種を入れていく。そして、小さな土の固まりを指でつまんで、さらさらと種の上にふりかけた。

教えていただいてから、ふたりで田んぼの土手に座って、少しだけお互いの話をした。守屋さんが「あそこに住んでるのは、妹なんだ。」といい、また違う方向を指さして、「あそこにも、妹が住んでる。」と言われ、口を大きく空けて声を出さず笑った。顔を赤くして。なんて素朴なんだろう。夕暮れに追いかけられて、守屋さんの立ち去った後、わたしは種を撒き、八星は無心につくしを摘んだ。

実は、この数日、わたしの心は急に自殺してしまった友人のことで一杯だった。彼の死が受け入れられなくて苦しかった。彼は、自分で死を選ぶまで苦しかっただろう。優しくて働きものの彼は隣人で、彼が亡くなる前々日に最後の会話をしている。「畑やるんだったら、家の横の土地の方が水はけいいから、見に来ない?」と伝えに来てくれたのだ。わたしは自分のことで忙しすぎて、一見元気そうに見えた彼の心の葛藤に触れることもないまま、今生では永遠に彼を失ってしまった。彼の存在感は積み上げた薪や、きれいに耕したばかりの畑などにそのまま残っていて、もうこの世にいないということの方が奇妙で、なじまない。

昨日の午後は納骨だった。村のみんなが集まり見送った。お葬式はしないという彼の遺言に従い、納骨へ向かう車へのお見送りがとりあえずの公式の集まりとなり、寡婦となった友人Tの希望で、お見送りにバイオリンを弾かせていただいた。田園に風、川の流れ、バイオリンの音色。今朝はTの家へパンを届けに行った時、玄関で彼の死について、二人でゆっくり話し合った。彼女の家は今朝も、泊まりの親戚やお見舞いの友人で賑わっていた。

いろいろ話す中で、彼が彼の生いたち、人生を歩む中で彼なりのベストを尽くした中で選択したのが死だった、ということを、わたしはわたしなりに理解したように思う。つまり、突発的に見えた自殺も実は、長い葛藤を経て決断されたことなのだろう。けれど、ささやかな助けの手で、事態は変わる可能性もあったかもしれない。隣人のわたしとしては、忙しさに紛れて彼の心に触れる機会をミスしてしまったことへの悔やみがあり、今後、人との関わりの中でサインを見逃さないということへの慎重さともなるだろう。そしてまた、Tが突然の夫の”自ら選んだ死”に遭遇しても基本的には揺るがず、夫への愛と理解をベースに持ちながら、このできごとを乗り越えてゆこうとする意思と冷静さの中に、自分の天職に巡りあっている彼女の強さとクリアさを感じた。人はそれぞれ自分の足で立ってこそ、その上に本来の繋がりがあるのだ。彼女は「全く!」と深く嘆き悲しみながらも、彼の死すらも尊重している。彼女にはこの過疎の村でやっていきたいことへの構想があり、そのことはわたしにも無関係ではない。この村で2世帯だけの
新住民でもあり、2世帯だけの子どものいる世帯でもあり、これからなにかと隣どうし助け合っていくんだろう。

人間は産まれたからには、自分の人生を最後まで生きたほうがいいと、わたしは心から思う。たとえつらくても。自分で乗り越えられない時、求めれば助けは必ず与えられると、わたしは信じている。けれど、すでにいってしまった彼の選択も、今となっては尊重するしかない。

つかの間だったけれど、会えて良かった。産まれてきてくれてありがとう。その暖かさと朗らかさ、純粋さが好きでした。いろいろ教えてくださってありがとう。あなたの魂が安らかに次なる旅路に向かえますように。そしてまた、光の世界で会えますように。

「生きてるだけで素晴らしい」という歌ができました。彼が死を選んだその頃、わたしは彼の家のすぐ近くで、子どもと畑を耕しながら、心からそう感じていたのです。そして訃報を受け取って、死という角度からも同じことを深く感じたのです。

穏やかな、この過疎の村でおきるさまざまな でき事が、わたしを改めて深く育ててくれてるみたいです。18日から、東京〜熊本〜小倉〜佐世保〜長崎〜広島〜京都〜大阪〜長野とコンサートの旅が始まります。どこかで会いましょうね。生きているだけで素晴らしい! 実際に肉体を持って出会えてゆけるんだから。