2003年
4月8日 高遠 山室




毎日、なにに追われてるのかわからないけれど、とにかく朝から晩まで、走り回っていたような気がする。

春休みには妹が2人の子どもを連れて我が家へ5泊してくれた。八星は同じ年のまなちゃんと、よく遊んだ。近くの農道さえも楽しそうに、ちょっとした草はらで枯草の家をつくって、その中で遊んだり。わたしと妹はなんということもない道の脇のその草腹に座りこんでお弁当を食べ、のどかな田園風景とこどもたちを眺めながら話をした。
 
妹たちが慣れてくると、大人手が二つになったことを幸いに、寸暇を惜しんで働いた。ひろ〜い家は、まだ雑巾がけもしてない部屋がいくつもあるままで生活が始まっている。

妹が帰る頃、出かける直前の30分くらいで針、灸、マッサージをしてもらった。今のわたしはどちらかというと過労で、朝、目覚める時、すでに疲れているのだ。たいしたことはしていないのだけれど、コンサートツアーに、子育て、家事、引越し、そして自作のクラフトをいつも作っていて、やることの総量に対して時間が足りない感じ。それで、疲れてても休まず動き続けてしまう。

今日は雨降り。そして、春休みが終り、子ども達が学校へ出かけたので、久しぶりに仕事部屋へこもってヘンプアクセサリーを編みながら、5月にジョイントするえまさん、えそうさんに送るデモMDを編集した。まだ自分の満足できるCDが作れていない気がしている。いくつかのライブ録音とCDを合わせて、曲のサンプルMDを作った。

おとといは家の前に広がる田んぼの一角を借りることになり、田んぼで水はけの悪い状態をなんとかするために、一人で鍬をふるって水路を作った。畑にするつもりなので。

4〜5日前、ホームセンターで花の種と野菜の種を、衝動的に買った。隣のおじいさんが畑仕事をしてる姿になんだか魅力を感じ、触発された。そのおじいさんに、それぞれの野菜の育て方について知ってることを教えてもらった。”早く、畑を借りなさい。”というおじいさんの言葉に勢いがついて、大家さんに電話すると翌日の朝には畑の管理を任されてるというおじさんがトラックでやってきた。 ”水はけが悪いから、水路をつくって、うねを高くしてな。”と鍬で土を掘って土の中をみせてくれる。田んぼのあちこちを一緒に歩きながら”どこから来たんだね。”こどもがいるなら家の近くがいいだろうな。””そんなにたくさんはいらないんだな。”などいろいろ聞いてくれる。こちらは、畑をどう始めたらいいか初歩的なことを聞いて、聞き漏らさないように、わからないと繰り返して尋ねた。

畑の水路を作っていると、先日、組みの寄りあいで司会をしていたおじさんが野草を摘みながら、近くまで来たので挨拶し、”こんなに泥なんですけど、畑、できますか?”と聞いてみた。やはり親切に色々、教えてくださった。

わたしなどは、村人から見れば異邦人なのだろうけれど、畑というものを通して繋がるとおじさんたちが身近になる。カリフォルニアでは和生が自然農で畑をしていたけれど、彼にとって畑は、こだわりのある大切なものだったので、わたしには近づけなかった。というわけで、わたしは畑を初心から、地元のおじいさんに教わりながら、できる範囲でやれることをとても嬉しく思う。でかけることも多いので、お天気次第で、うまく収穫までこぎつけたら幸いというところ。

妹たちが帰った日、入れ替わりで伊那の友人たち、大人3人、こども3人が遊びに来てくれた。一人は不用品をたくさんもってきてくれて、カーテンやラジカセ、食器などがそろった。そして一人は沢水を水洗トイレや台所の蛇口から出すにはどうしたらいいか、方法を考えるために土を掘ったりして調べてくれた。
 彼は、わたしもまだチェックしていなかった2階の物置なども調べてくれて、”豆短こたつがあるみたいだよ。”と教えてくれた。
 彼らが帰った翌日、物置を調べると、あった、豆短ごたつ。これって、自然な温もりでいいんだよね。それから、吸いこみのいい掃除機、そして、たくさんの手縫いの布団。物置には、ねずみの糞とほこり。使えるものは雑巾で丁寧に拭き、布団は内側に隠れていたごく一部だけを、ひっぱりだした。

そんなわけで、この数日は毎日、布団を干している。毛布は洗濯機で丸洗い。きっと、いつか誰かがこの布団の太陽の温もりで知らず知らず健やかな眠りにつくのかと思うと何度でも干したくなる。

わたしは、コンサートツアーでたくさんの人たちのお宅に泊めていただいてきた。きっと、わたしもこんな風に思いをこめて準備されたお布団で眠らせていただいたんだろうなあ、と思うと、こうして洗いたてのシーツを布団に着せてる時間も幸せな気持ち。