2003年1月6日 
カリフォルニア ukiah




元旦の午後から、ここUKIAHという小さな町、Religious scienceという教会のミニス
ターCandiceの家に小さなプライベートルームを借り、なんだか思ってもいなかった
状況で、新年を迎えた。Candiceが無料で提供してくれた庭にあるこの部屋には電話
もコンピューターのラインもあり、朝5時すやすやと眠る八星の寝息を聞きながら、
こうしてオフィスよろしく日本に向けてメールをうつことができる。友人から車も借
りて、この数日こどもたちを隣町のRed wood valley の坂根家へ昼間送りとどける。
天地も八星も幼なじみの裕太やルナと十二分に遊べて満たされてきている。生まれた
時からお互いの暮らしを知った上で親子共々交流してる間柄だとこどもたちも家族の
ように安心して遊びつくすことができるのだな、と思う。もちろんけんかもしている
けれど。長野の小学校では八星も天地も彼らの味をそのまま受け入れてもらえる間柄
は、できていないのでふたりとも存在することだけで頑張ってるという感じ。7歳の
八星が5歳のルナちゃんと飽きることなくお人形で遊んでる姿をみると、この子の世
界をそのままで広げてあげたいと思う。そしてわたしがそう心に留め、願うことで、
その環境も現れてくるのだから、彼らの安心して満たされた顔を見れただけでもよか
った!
 いまだにわたしと手をつないで寝ている八星が自分から希望してこどもたちだけで
2晩坂根家に泊まった。わたしは、泳ぐのが好きなので、こどもたちみんなをなんど
か温水プールに連れて行った。裕太が、わたしを見るとプールに行けるかな?と期待
してくれるのも可愛くて嬉しい。あさってはバークレーに向かうので明日が最後かな
?わたしもこどもたちの屈託なく水に戯れる姿に心洗われた。
 
こどもたちが遊んでる間に直ちゃんと何度か彼女の瞑想部屋に入り一緒に瞑想した。
雑多に進行していく日常を、自分の心から発するもの、あるいは宇宙の流れにそった
ものとして、中心から掴み直すには瞑想が一番いい。エルクバレーの山の家で必要に
迫られて自己流で一人座っていたことが今はこうして親しい友人との輪の中で深めら
れてゆく。”人の輪の中で生かされていきたい”という歌詞が2001年に出てきた
けれど、今回、わたしは人里離れたカリフォルニアの我が家には雪のため、数時間し
か戻れなかった。わたしを生かす舞台は私自身の内側から転換したのだと感じている
。”山は生き物だから。”と友人も言ったが、実際、エルクバレーで暮らした8年間
、天候さえもばっちりわたしたちの暮らしの流れとともにあったのだから、今回、山
はわたしを必要なし、と受け入れなかったのだろう。そして、そのかわり年末は誰で
も受け入れてくれるオープンなアメリカ人の雑居所帯に家族で紛れ込んで彼らのフィ
ーリングを味わいながら生活。今は八星とふたりで、オフィス兼寝室を当てがられて
仕事などしている。
 カズは、昨日 Religious scienceのSunday serviceで一緒に歌った後、天地を連れ
てエルクバレーの家に向かった。12月27日にあらしの合間を縫って、数時間だけ
家族で我が家に帰り着きいくらか大切なものをとってくることはできたが雪で山に閉
じこめられることをさけて、年末は家族で町の友人の家をわたり歩いていたのだ。新
年からは二手に分かれた。これからは、カリフォルニアの山の家はカズの手に残し、
わたしはわたしの流れを明確に生きていくことになる。すべての流れは内側からやっ
てくる。それを感じて現実を表していくだけ。今年は自分自身の日常を納得したかた
ちで育ててゆく自分の地場で生活していくことになるだろう。そしてこどもたちの健
やかに育つ環境も現れてくると思っている。

あさってバークレーに出て8日はサンフランシスコでヘンプ&ビーズのワークショッ
プとソロコンサート。11日にはバークレーでやはりワークショップ&コンサート。
14日にはこどもたちとハワイへ向かう。さて、ハワイではなにが待ってるかな?