2002年11月16日 
東京〜長野〜東京〜福岡〜門司 (略して九州ツアー門司港より)




11月10日、東京は町田のれんげ舎主催のコンサートの頃から、日々が自分自身の内面に対応した出会いに満ちていることに不思議を感じている。そもそも、この不思議感覚はどこから始まったかというと前回の日記で書いた心の暗闇に正面から向かい合った時からなのだ。なにか封印されていたものが解き放たれて、現実が自身の心模様としっかり繋がっていることがわかり易く見え始めた感じ。
 
れんげ舎は、こどもの居場所を作っているNPO法人で、もともとは地域のこども会活動から発展し今に至っている。れんげ舎の代表をしている長田くんは30才で、わたしからみたら、とても若い。けれど縁あって時々会って話をするようになり、れんげ舎の機関紙に連載の原稿を書くことになり、また東京でのコンサートではギタリストとしてサポートしてもらうようになった。今回、れんげ舎のイベントでコンサートさせていただいて気がついたのは、れんげ舎とわたしの歌と、活動の根っこ、動機や方法論が近い。活動内容は全然違うのに。だからこそ、出会ってゆくんだな。面白いな。
 
そしてまた、このところ、東京での宿が東小金井の妹の家から、下高井戸のほんのう寺というお寺に変わったような感じ。はじめて唱えた念仏や住職さんの短い法話が今のわたしとフィットしている。特に宗教を持ったというわけではない。今はこのお寺に出会っているということだ。そしてこれは外からやってきたものではなく、今わたしが自分で感じていることのひとつの形がここにあったということ。また、このお寺での人との出会いが実に面白い。思惑を越えて運ばれてゆくのを感じる。ほんのう寺は、さまざまなイベントや学ぶ場を楽しみながら行っている本来のお寺としての仕事をされている貴重なお寺。今は亡き山尾三省さんや、日木流菜くんも縁が深く、またさまざまなユニークな人達が立ち寄っている。
 
東京から芝平へ11日に戻り、芝平の家で、こどもたちと二晩過ごして長期の九州ツアーに再び旅立った途中、ほんのう寺に泊めていただいた。これで二晩泊めていただいたことになる。ナ無阿弥陀仏の拿無は帰依する、おまかせするという意味で、阿弥陀仏は自分の思惑を越えた光ということだと住職さんはおっしゃる。つまり、自分の思惑を越えた限りない光に自分をおまかせしますとの祈り。これをしばらく唱え、また静かに瞑想とお祈りするのだが、お勤めの後わたしの心はすっかり軽くなった。♪たくさんの道があるけれど今、歩く道はひとつだけ。自分で決めてゆくことはなんて勇気がいるんだろう♪という歌がわりあいと新しいわたしの歌の歌詞の一部なのだけれど、自分で決めることがわたしにとって心の負担になっていた。自分が決めたことによって現実が大きく変化していくように感じられて責任を感じていたのだ。けれど、気がついた。自分が現実を動かしてるのではない。ただ、流れに添おうとしてるだけ。そう気がつくと余計な力は必要なくなる。自分の本心と周りとの調和をただ観察しながら 自然と流れて
ゆく道をたどってゆけばいい。

すっかり気分も軽やかに羽田に向かうはずだったが、その朝、お勤めに参加されていた男性に出発間際までヒーリングのセッションをしていただくことになった。どんなセッションか、まるでわかってなかったけれど、朝のお寺の掃除を済ませて、お寺のスタッフと3人でお茶を飲んでいると、思いがけずそんな流れになったのだ。イントのアシュラムで学んできたヒーリングということだったが、体の関節を強くマッサージしてもらううちに内側から得体の知れない感情がわきあがってきた。セッションが終わる頃にはその感情が無防備なありのままの愛であることがわかったけれど、そのような無防備な愛で傷ついた自分の痛みと重み、本来の自分がありたいようにはこの世ではあれないという空しさ、この世に対するあきらめも感情として出てきた。そもそもそういったもろもろの感情が表面上元気な自分にも隠されていたのだろう。マッサージによってそんなものが出てくるなんて思いもよらなかった。
 
体はだるく、頭は朦朧としていた。もう眠ってしまいたい。でも、そんなことより時間に間に合うように飛行場までいかなくちゃ、なんでこういう時にこんなことになっちゃうんだろう?とふらふらとした足取りで羽田へ。バス〜飛行機〜バスと乗り継いで、福岡は甘木、シンセサイザーの今井てつさんの家に夕方たどり着く。そして、そこで自分でも持て余すその感情が新しい歌になったんだよね。
 ♪胸に宿る 悲しみ苦しみ 限りなき 愛の花♪という歌。その朝聞いた、住職さんの法話は「願いについて」。人の心に潜んでる願いは、それに気がついた段階で、もうそちらに向かってるという話だった。深くうなずいた自分がいたんだけど。

このところ得たいのしれない自分を圧倒する感情や感覚が内側からわきあがってくる体験をしている。そしてその感情の裏側には自分の深い願いが隠されていることに気がつく。わたしは無防備に愛を表現することで傷ついてきた、でもその苦しみや痛み、空しささえも愛の花なんだ。そして無防備にありのまま人を愛したいと願っている自分が、まだ存在している。

昨日と今日、シンセサイザーの今井てつさんと福岡でコンサート。深く重い感情の開放から産まれた2曲、天使の歌と愛の歌は、てっちゃんのきめ細やかなシンセサイザーの音で、わたしの手の平は動き、舞った。てっちゃんとは二ヶ月半ぶりくらいの再会。前回ジョイントした時とわたしも彼も違う段階にいるのを感じる。一緒に演奏することで次元が上昇するような渦を感じる。一緒にツアーしててとっても楽しいんだなあ。
 明日はここ門司港でソロコンサート。あさっては国見で楠林さん、別名らけんどらにシンセサイザーを弾いてもらってコンサート。その後、再びてっちゃんと合流して4ヵ所コンサートをする。その後はらけんどらと合流して3ヵ所コンサート。どんな模様になったかは書ける時間がみつけられたらお知らせします。それでは、またね。今日は夕方太陽が隙間から見えるうろこ雲がきれいだったよ。