2002年9月9日 長野県高遠町芝平




週末は町へ出て歌い、平日は誰もいない家族だけの山の家で日常を過ごす。カリフォルニアでの暮らしが形を変えて、ここ日本、長野は伊那市は高遠、芝平で始まった。

わたしと八星が宮城で夏休みを過ごしてる間に、和生はここ、上芝平(20年前、村人は離村し誰もいなくなった地域)に、廃屋つき土地300坪を紹介され、格安の分割払いで購入することに決めた。まだとても住めない崩壊しかけたような廃屋の隣にとりあえず住める別の家を格安で借りてあまちと一緒に暮らしを始めていた。和生がわたしに伝えた構想としてはゆくゆくは母屋を直して和生は母屋に住み、今暮らしてる家はわたしが住みたければ住めばいい、という。 9月27日、わたしと八星が初めてその家に着いた夜、和生が用意してくれたお風呂は、カリフォルニアでの生活を思いおこさせた。家の裏の気持ちのいい草原に火をおこし、大なべでお湯をわかす。なんの樽かわからないが、かろうじてこどもと二人で入れる木の樽にお湯を運び、川の水でうめて、お風呂の出来上がり。満天の星空の下のお風呂ごっこ。
 すぐ近くに清らかな川が流れていて、昼間はこどもたちと水浴び。つめた〜い水が、旅で疲れきったわたしを芯から清めてくれる。八星の無邪気な安心した笑顔。初日は冷たいと言ってなかなか入らず、そして川からあがって冷えきったのか、くしゃみをしていた八星が、2日めからはケラケラ笑いながらドボンと水に飛び込み、教えたとおりに仰向けで川の流れに身を委ねる。何度も、何度も楽しそうに。見ているだけで楽しい。しばらく、家族で暮らそうかな、八星のくつろいだ笑顔を見て、そう思った。

 9月4日、用事があり単身で、東京に。7日は西荻窪のホビット村学校で下村誠さんたちと地球の歌と題してのジョイントコンサート。楽しかった。個性の違う4人の歌い手が作る共同の空間。お互いがお互いのないものを持ちより、協力しあえるのは、なんて素敵なことだろう。

 今、こどもたちは、くつろいで、日本での山暮らしを楽しんでいる。その様子にわたしも安心している。また、家族の日常が始まっているが、以前とはどこか違うのは、わたしと和生がそれぞれに、それぞれの流れの中で動きはじめていること。そして、それぞれの選択というものがあることを了承した上で協力しあっている。
  
人はそれぞれに欠点と長所がある。ぜんぶひっくるめて相手を愛せるかどうか、いつも試される。無理して愛することはできないから、相手とのちょうどよい距離をとり自分に正直であることを今、学んでいるのかな。

彼がわたしたちのために、そして彼自身のために、黙々と準備している日本の山の家を彼の真心のこもったものとして、今はありがたく使わせていただいている。この上なく、シンプルで静かな生活環境を、わたしとこども達に提供してきたのは彼だから。そこには愛がこもっているのだと思う。人の心って、複雑だな。怒りにとらわれたり、愛を表したり。簡単にひとつのところへは収まらないのだから。

 わたしが今、一番必要としているのは心の平安。自分自身がいつも平和で愛に満ちている状態でありたいと思う。無理して全部を受け入れることも、無理して全てを拒絶することもできない。とにかく、今の自分の状態や心に忠実にありたい。そして、少しずつでも、心が深まってゆけばいい。外側のことは落ち着くところへ次第に落ち着いてゆくだろう。