2002年8月2日
  伊豆大島




伊豆大島の元町港で、この4日間一緒に夏の休暇を過ごした妹と妹のこどもたちとお別れした。妹たちは東京へ。わたしは、長男のあまちを連れて、熱海を経由して静岡は袋井の平和のまつりへ向かっている。今、熱海ゆきの船の中。

せめて、夏は海のそばにいたい。7月29日、連日続いたコンサートとワークショップが一段落して、大島ゆきの船に乗った時、やっと帰ってきた、という気がした。いつも島で迎えてくれるまなちゃんも、熱海の花火を見に行った帰り、同じ時間に港へ着いた。夕方、さっそく、海で泳ぎ、夜は温泉へ。
翌日、7月30日はわたしと妹の誕生日。そう、わたしは双子なんですよ。午後は三原山の登り口にある御神火茶屋でコンサート。前回もここでコンサートをして店主の四郎さんがとても喜んでくださった。今回は「毎日やってくれ。」との話だったけれど、この日は霧がでて一般のお客さんがはいらなかった上、前日の夜、電話した知り合いたちも夏休みで出かけていて店は閑散としていた。そんなわけで数人集まったところで腹を決めて歌う。歌い終わると、まなちゃんが「1時間くらいあとに、友達がくるからそれまでコンサートできるか?」とわたしに聞く。あまちも、妹のこどもたちも、もう海に行きたくなっている。「ちょっと、無理かなあ。」と、「夜までやろう!」という四郎さんとギターのセッションを始めた明日香さんを残して海へ。
海で泳ぎ、温泉に行って、夕食を料理して食べ終えた頃、今さっき御神火茶屋で別れた人たちと、時間を間違えて遅れたという二人が、みんなでぞろぞろやってきた。深夜まで歌ったりしゃべったり、そして、わたしと妹のバースデイを祝ってくださった。大島でまなちゃんにコンサートを企画してもらうと、こういう感じ。コンサートというよりは身内のパーティー。ひとりひとり味のある人と出会ってゆく。これはこれでよし、なんだか新鮮でもある。わたしも休みにきてることだし。でも、次回はちがった形でコンサートも、やってみようかな。
7月31日、まなちゃんは舞踏の稽古のため関西へ。港まで彼女を送ってから、わたしは久々に本気で休養する。2月末から家に帰らず、ずっと、旅しながらのコンサートツアーで身体と心をゆっくり休める余裕がなかった。妹がこどもたちと海に出かけ、わたしは一人になって、数カ月ぶりの昼寝。それでも、夕方、妹が帰ってくるまでにはひとつ原稿を書き上げ、秋にカリフォルニアへ帰るための連絡をとった。こういうことって、集中しないとなかなかできない。
夕方、浜の湯という海の見える混浴の露天風呂へ。水着着用。妹の連れてる1才の晴ちゃんの姿に老若男女が頬をゆるませ声をかけてくる。晴ちゃんは裸んぼでふらふらとあちこちをさまよい歩く。
宿にさせてもらってるまなちゃん宅へ帰宅すると四郎さんから電話。紹介したい人がいるから今から来ないか?と。 あまちを助手席に、四郎さんのバイクに先導されて夜道を車を運転して四郎さんの家へ。四郎さんは豊さんという友人に、わたしの歌がいかに素晴らしいかしきりに説明する。「この人の歌を聞いた時、こういう歌こそ、今の大島に必要だと思った。」なんて言う。かなり酔っ払ってたかな?でも、愉しそうに焼酎を飲む二人の島の男性のやりとりの中から、彼らの願いをうかがいしることができた。

久しぶりに妹と4日過ごして、家族というのは鏡なんだと発見。思った時に思ったことを遠慮なく言い合える関係だからこそ、多少理不尽なことを言われたり、言ったりもする。自分も妹も簡単に腹を立てるのにも少しびっくり。(けんかはしなかった。自分も妹も時折、ちょっとしたことで腹をたて、きつい言い方をすることに驚いた)普段、他の人にはこういう感じにはならない。関係が近いどうしでも、いつも愛情深く穏やかであれるには、よっぽど修業が必要なんだなあ。いや、逆に他の人たちにも、失礼なこと言われたらこのぐらい素早く応戦できた方がいい時もあるのかも?身内と身内でないものへの態度のちがいが良くもあしくもあるんだな。基本的には等身大の自分と妹が、時を経てもかつてと同じ反応をしている、それをながめ観察している自分もいて、その状態を認識したことで関係性はより自立したものへと育ってゆくのだろう。
静岡では久しぶりに母に会う。父はわたしには会わないが、こどもたちを連れていってあげるつもりにしている。年々、衰えてゆく両親のためになにかしてあげたいな。

伊豆大島 御神火茶屋 04992ー2ー1576