2002年6月30日
   京都 京北町



 
このところ、日々イベントの毎日で、感じることもあり、書きたいことはたくさんあったけれど、なかなかちょっとした時間がとれず書けなかった。おしいことをしたなあ。今月はだいぶ書きのがした。でも、とりあえずライブで書きたいので今日のことから。
ここは京都の山、京北町の古い家を5年かけて手直しし、週末をここで過ごしてる柴田さんと山本さんのカップルの家で午後のコンサートを終えた。夕方、しとしと雨の降る中で半数くらいが残り、バーベキューをしている。地元の子ども連れの家族がたくさん集まってくださり、子供たちは葉っぱの上にちょこんと坐った可愛らしい小さな蛙たちをつかまえて遊んだり、サッカーをしたり。のどかな一日。わたしは縁側にビーズを広げ、コンサート直前までネックレスを作っていた。

昨日29日、和生とあまちと、京都は山崎町にある結風(ゆいかじ)というお店で10日ぶりに合流。コンサート前の数時間の間に、お互いの夏のスケジュールなど確認し、お互いの新曲を音合わせしてみる。
久しぶりのデュオは、ほんとに楽。お互いがお互いの歌を音でサポートしメロディーとハーモニーを交互に歌うということが実に自分のバランスを整えてくれる。わたしと和生のエッセンスと表現方法が違うということが聞き手にも自分にも、安心とスペースを与えてる。ソロとデュオ、違う形態を行き来するとそれぞれの良さを味わうことになるんだなあ。また、このところ一人ずつこどもを連れて別々に活動をはじめたこともあって、とりあえず経済を別にすることの詳細を相談した。変化を受け入れあい、なおかつ繋がってゆけるということは素晴らしいと思う。少し肩の荷がおりた。当分は自分の面倒を自分でみればいい。

28日は大阪は中崎町のフリースペース天人(あまんと)で舞踏のテーラーミキさんとジョイントライブ。ここ、京北の家は周囲の自然も豊かで、築100年と古い家の空気感がなんとも落ち着くのだが、梅田から徒歩15分という大都会に、わずか残っていた町屋を改装した天人も落ち着くのだった。
ライブの後、店主のじゅんさんと、なぜ落ち着くんだろう?と話し合った。わたしは基本的には都会では落ち着けない。しかし古い家は違うのだ。「この家で人が産まれ、死んでいった歴史があるんだよね。だからじゃないかなあ。」とじゅんさん。「そうかあ。そういえば、カリフォルニアのわたしの家はね、有史以来人が住んだことのない山でね、この20年くらいの間にわたしのこどもも含めて、たくさんのこどもが山の家で産まれたけど、まだだれも死んでないの。でも、落ち着くんだよ。ここの落ち着き方とは違うんだけど。」とわたし。
しばらく間をおいてから、「そこは、精霊の地なんですね。」とじゅんさん。

あ、そうかと、その言葉、心で受けとった。

人間の集団意識から一度抜け出して、真っ白になり、自分の直感で生き直す必要があったんだ、わたし。そして、今はこうして古いものの良さに、自分が選んだ体験との共有点を感じている。

人が家で産まれ、死んでいった時代は、経済的に貧しかったかもしれないが、あんがい心は豊かだったんだろうな、と古い町屋にいると思う。建物の作りも丁寧だが、丁寧に生きるてた過去の人たちの生活感が残っている。
わたしは出産にこだわって、カリフォルニアの人里離れた山に、自分の直感にしたがって自然に産み、暮らせる場所を見つけ、いつの間にか10年もたった。出産は誰にも渡したくない聖なる時間だった。きっと死ぬ時だってそうだ。家で安らかに大切な人たちだけに見守られて死にたいし、家族もそのように見送ってあげたい。

このところ、hempのワークショップやソロコンサート、さまざまな人たちとの打ち合わせやイベントで忙しく、そんな旅暮らしを楽しんではいるが自分のベーシックな生活を大切にしたいと一方で強く思っている。”自分の身体を大切に””お金では買えないものがある”というメッセージのようなものが、ちょっと前にやってきていて、それは落ち着いた暮らしの必要性であることもわかっている。

そう、旅暮らしの長くなった今、再び自分の衣食住を取り戻すことに心は向いている。どんな形でそれは実現するのかな?カリフォルニアの山の自宅は今は唯一のわたしの家であるが、この日本に今のわたしを活かす、もうひとつの磁場があるような気がするのだが。