2002年4月7日  奈良 天理 rupa




前回のホームページは桜の木の下で過ごした一日を書いたが、あれからわたしの心の季節は次の季節へと巡った。スケジュールのない日に野外でのんびり過ごすと心が洗われる。あの日、わたしは熊野の桜の香に包まれて、安心して自分の心に含まれているフィーリングを自分で味わいつくすことができた。
それは自分が傷ついてるという認識をもたらしたが、不思議なことにそれを認識すると翌日あたりからそのフィーリングは心の表層から消え、現状を改革していこうという積極的意思が新しく立ち現れてきた。

あれから数日、わたしたち家族はタイミングよく友人の初めて作詞作曲した愛の歌のレコーデイングに全面的に関わった。友人を含めて、わたしと和生とこどもたちが共同作業をする中で解きほぐされていくものがあった。音楽って偉大だな。
そう、わたしと和生はお互いのスペースを尊重し、お互いがありのままでありながら成長してゆけるような関係をつくっていくということを積極的意思で今、選択しているように思います。

さて、わたしは昨日から八星とふたりで電車に乗って奈良まできました。友人の家rupaでも、不思議な流れの中に身を置いてます。直ちゃん&わたるくんというわたしより(かなり?)若い彼ら。そしていそうろうの佳月さん。それから八星。
昨夜から今朝にかけて急に、ドタバタと相談がまとまって、きょうはわたしと直ちゃんと佳月さんでダイミワークに参加してきました。八星はわたるくんと一緒に直ちゃんの御両親のおうちへ遊びに行きました。
ダイミワークの中で認識したのは今、わたしは今生では初めて自分ひとりで立っているという意識にいるということ。今まではいつでも、離れていても、母親かパートナーの意識が側にあった。そう気がついたら今までいつも側にいてくれた存在たちに感謝の念が湧いてきました。ありがたかったなあ。そしていつも自分のことを様々な形で気づかい、側に意識をおいてくれる存在が今いなくなったことが寂しかった。でも、桜の花びらが散ってゆくのを讃えたように、新たな季節を受け取ろうと思いました。
それは別れるとか別れないという話ではなく、今の関係性をどのように出会い直していくかという話なのです。わかりますか?それでは、また書きますね。いつも読んでくださってありがとう。