11月23日  晴れ  thanksgiving day アメリカの祝祭日に招かれて(子育て
しながらカウンセラーになったリー)



私たち日本人には、なじみのないthanksgivingというお祭り、さすがにアメリカ在
住9年めともなると”今年のサンクスギヴィングは、どこでお祝いすることになるか
な?”と楽しみになってきていた。もともとの由来は、500年位前、イギリスから
、キリスト教の布教のため新天地を求めてやってきたある宗派の人々(今のアメリカ
のルーツのひとつだよね)が、生存の危機を、ネイテイヴの人たちによって、救われ
たことへの感謝のお祭りだという。コーンを分けてもらい、農耕の仕方も教わったと
いう。それで、どうやって祝うのかというと、どういう訳か、どこの家でもターキー
を丸ごと焼くんだよね。それに、甘いクランベリーソースをつけて、マッシュポテト
にグレービーソースをかけ、ターキーの内臓のところにはパンやセロリを詰めて、独
特の定番のthanks giving の料理をみんなで食べる。この日は、学校も郵便局もお休
み。みんな、家族で集っているようで、町は閑散としている。
 私たちは、なにしろ新聞もテレビもなしに、人里離れた山の上で、町の流れとは関
わりなく暮らしてるから、かつて、2回、この日にたまたま郵便を出しに町に降りて
きて、閑散とした町を車から眺めて、”お正月を忘れてたみたいな気分だね。”とな
んだか、うらしま太郎のような気分で、愕然としたのを思い出す。
 今年は、山を降りたところ田舎町upper lakeに住む、マイクと、リーという50代
後半の夫婦に招かれた。彼らは、2年ほど前それぞれの仕事をリタイアーして、サン
フランシスコから移ってきたばかりで、サンフランシスコの家を売って、upper lake
の家と土地を買い、毎日庭作りと畑、木を植えて暮らしている。彼らとは、わたした
ちが毎月自作の歌を歌いに行く地元の教会で知り合った(私たちは、特にクリスチア
ンではない)。わたし達の山暮らしに興味を持ち一度訪ねてきてくれたことがある。
 3時に、私たちは炊き込みごはんと春巻きをもって、彼らの家を訪ねた。この日初
対面のマイクの弟さん(52歳)と、マイクとリーとわたしたち家族4人、計7人で
、広いダイニングルームの白いテーブルクロスの掛かったご馳走の並んだテーブルを
囲んだ。定番のターキーのまる焼きとクランベリーソース、ポテトやグリンピースの
他、魚やエビ。デザートには、手作りのブラックベリーパイとパンプキンパイ、各種
の飲み物もきれいなワイングラスと共に用意してくれてあった。
 カズ(連れ合い)はマイクと、わたしはリーと、食事の前後に、ゆっくり話ができ
た。子どもたちは、時々泊まりにくるというバークレーに住む10歳になる孫娘のた
めの部屋でデイズニーのビデオ、ポカホンタスをあてがわれて夢中で見入っていたし

 リーは、30歳の時、子どもを生み、32歳から、子育てをしながら、カウンセラ
ーになるための専門の大学へ進んだ。インターンも含めて8年の修行期間の後、20
年間サンフランシスコで、カウンセラーをしていた。子どもを育てながら、自分の好
きな勉強を続け仕事にし、そして、今は田舎でリタイアー生活を楽しんでいるという
彼女の過去から現在全てが、今のわたしには、興味深かった。わたしの場合、こども
は、5歳と7歳、そして、人里離れた山暮らし、そして、マイペースで音楽活動をし
ている。でも、このところ、もっと社会と関わりを持ち、仕事(歌うこと)を今まで
以上に積極的に進めていきたいと思い始めているのだ。UKIAHあたりの郊外の町にも
家を持ち、語学や興味のあるワークショップにも参加したいと思い始めている。天地
(長男。7歳)が、週に1日通っているチャータースクール(親が公費で学校を作っ
てゆく)にも、もうすこし関われるだろう。でも、収入も少ないけど出費も少ない自
足した静かな今の生活のスタイルを変えてゆくのには勇気がいる。わたしは正しい方
向へ向かっているのだろうか?
 ”カウンセラーとしての最初の10年は、公立の病院で、低所得者の心の相談をし
てたの。みんながみんな、信じられない位ひどい状況なのよ。後の10年は、自分で
独立して、診療所をやってたのだけどね。わたし自身が病気になって、働けなくなっ
たの。多分、魂の病気なのよ。仕事をしてたら疲れて疲れて仕方がなかった。” 
彼女は根っから優しく、責任感の強い人だ。患者さん達の問題を一緒に抱えてこんで
しまい、いまだに体を痛めているらしい。そんな彼女が、子育てと勉強や仕事とどう
折り合いをつけていたのか...。
 ”最初は、学生でよかったわ。授業は、午前中だけでよかったから、子どもと一緒
にいられた。インターンになってからは、帰宅は3時。それで、子どもは、幼稚園の
あと、ベビーシッターと2時間過ごしてた。マイクは、6時に帰ってきたわ。正式に
仕事を始めてからもわたしは、ずっとハーフタイム勤務でね。3時には、帰宅してた
の。そうするとね、すこし大きくなっていた息子が、わたしが車で帰ってくるのを必
ず道で見つけるの。自転車で追っかけて来て、ママお帰りっていうの。そしてまた自
転車を走らせて友達のところへ遊びにいくのよ。それを、1日も欠かすことなかった
のよ”
 お皿を一緒に洗いながら、彼女の話をひとしきり聞き、次はわたしの話になった。
”今、町に家を借りたいと思ってるの。わたし、英語をもっと勉強したいし、人との
関わりをもっと育てて、仕事ももっとしたいの。天地の学校ともつき合っていきたい
の。日本から戻ってきたら、急にそんなふうに思い始めたの。”
 ”町に家を借りるとお金がかかるわね”と、リー。”ワンフロアでもいいと思って
るの。ルームシェアでもいい”とわたし。”離婚した女性が、生活費を維持するため
に2〜3部屋をわりあい安く貸してくれる場合があるから自然食品店の掲示版に気を
つけとくといいわよ。それで、カズはどうなの?”とリー。”カズは、山の暮らしを
大事に思ってるの。町にスペースを持つことには、賛成してくれてはいるけど”とわ
たし。 
すると、リーは、少しの沈黙の後、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。”こういう
ことは、女がたいへんなのよ。男にとっては、そうでもなくてもね。”と言いながら
。彼女の言った”こういうこと”がなにを指していたのか正確にはわからない。でも
、彼女が抱きしめてくれたとき、私は自分の心に対して無防備でいられた。彼女は、
引退しても立派なカウンセラーだ。

彼らの家を出たのは、夜8時頃。山の我が家に9時に着き、こども達は車でぐっすり
眠りこんでしまい、起こして家までの真っ暗な坂道を下った。犬たちと、猫と満天の
星々にいつものようにお出迎えしてもらって。これから少しずつ、縁のありそうなア
メリカ人とのつきあいを深めていこう。実はリーがカウンセラーをしていたことすら
今日まで知らなかった。わたし達の生活のサイクルを変えていくことには、少し慎重
に。でも、自分がどうしたいのかについては、なるべく正直にしていこうと思ってい
る。