3月11日、判決公判の朝まで「控訴棄却」など思いもつかなかった。前日、クマと共に桂川君と面会した時も、執行猶予の可能性について語り合ったが、控訴棄却という言葉はなかった。
午前10時半ごろ、扇町公園についてまもなく雨が降り出し、車の中で雨宿りして丸井さんと話したところ、「控訴審の9割が棄却だ」と聞いて、「まさか、被告に3回も供述させておいてノノ..」と思ったが、最悪の場合もありうると肝を決めた。
正午を過ぎても雨はやまず、コンサートもパレードも中止と決め、集まった人々は喫茶アマンドで時を過ごし、3時ごろ裁判所へ向かった。デモを警戒したのか裁判所員が物々しく出迎え、傍聴券を配り、定員40名が入った時点でシャットアウト。約20名がロビーに残された。
入廷時はいつもうつむき加減の桂川被告も、今回が最後とあって顔を上げ、傍聴席に目礼して着席。開廷早々に近江裁判長は「控訴棄却、未決算入270日」を宣言し、傍聴人たちの真っ白な頭の中へ、年寄りの小便みたいにぼとぼとと判決理由を漏らした。
ひょっとしたら執行猶予もありうると、10数名が押し寄せた地元安雲野勝手連のショックは大きかったに違いない。昨春クマと丸井弁護士を訪れた際「日本の裁判制度では、1審の判決を2審で覆すことは、特別なことがない限り不可能」と聞いていたし、私たちも「たとえ減刑にならなくても、桂川君に言いたいことを言わせてやってほしい」と弁護を依頼したのだから、丸井さんには十二分に戦ってもらったのだ
しかし、控訴審の3回の公判における桂川被告の供述に、すっかり乗ってしまった私たち支援者は、これで裁判官たちも十分に理解したはずだなどと、勝手に思い込み、希望的観測を膨らませてしまったのだ。
だが裁判制度というのは、弁護人を雇う金がある被告には、言いたいことをいう機会が与えられ、裁判官も耳を傾けるが聞く耳は持たず、判決は公判以前にあらかじめ決められているかのようだ。ひょっとしたら逮捕以前に。
ヨーロッパの大麻非犯罪化・合法化を尻目に、ドラッグ戦争マニアのビッグ・ブラザーはのたまう。
「日本はヨーロッパ派なのか、それともアメリカ派なのか? 大麻によってそれを証明せよ!」
アメリカはカリフォルニア州など11州が医療大麻を刑法で合法化しているが、ブッシュとネオコンは連邦法(国法)でこれをつぶそうとしている(注)。この反動化の波に呑まれた小泉が、ブッシュ帝への忠誠を証明するために、「大物」として選ばれた桂川君に、大麻取締法の最重刑を課したのではなかろうか。
この痛恨の敗訴を逆転するためには、裁判官たちにはまったく通用しなかったが、支援者である私たちを励まし、勇気付け、感動させた桂川君の大麻に対する情熱と知識と信仰を、広く世間に伝え、大麻に対する無知と偏見から民衆を解放する以外にない。
公判後、カンナビストの呼びかけで記者会見が行われたが、控訴棄却では記事にはならないだろう。マスコミは当分頼りにならないが、、ミニコミやインターネットを通して大麻の真実をアピールしながら、桂川君の出所と復活を待つとしよう。
その晩は天満のお好みん焼きてんごに集まって慰労会を催した。一審以来、全公判を傍聴してきたカンナビストの麻生さんと麦谷君、関西勝手連の眞鍋さんと早苗さん、安雲野勝手連のクマを始め桂川裁判を支えてきた人々の労をねぎらい、次なるステップをいかに踏み出すかを語り合った。最高裁へ上告すればあと3〜4ヶ月は手紙も面会もできる。(*その後、桂川氏は上告しました)
さて、懲役5年に未決算入が、1審で5ヶ月、2審で9ヶ月、合計14ヶ月。
5年―1年2ヶ月=3年10ヶ月
05年4月に下獄したら満期は09年2月。模範囚として仮出所が1年前に出れば08年春。最高裁まで戦っても1〜2ヶ月の違いだろう。08年といえば北京オリンピック年、そしてヘンプ大国の中国には大麻取締法がないのだ。
(注)風砂子デアンジェリスの手紙「麻あれば憂いなし・地球の未来」参照 →桂川救援全国勝手連HP
新・治安維持法
「本件控訴を棄却する」と裁判長が宣うても
満員の聴衆席からは 一言の怒号も野次もなく
白けきった法廷に 年寄りの小便みたいな声が
ウソ臭い判決理由を ボトボトと垂れ流した
やがて捕縄を打たれ 連れ去られてゆく被告を
沈黙して見守る 大麻吸いの支援者たち
突然「カツラガワ ガンバレヨ!」の一言に
数人の拍手が パラパラと鳴った
政府・防災会議のシュミレーションによれば
首都直下型地震で 都市機能がマヒした場合
予想される死者の数は 1万4000人とか
ウソ臭い被害想定を マスコミは垂れ流した
まさか 1桁か2桁 少ないんじゃないの? ※
などと想像力の働く奴は 危険人物と見なされ
治安維持のために 大麻取締法の対象にされるかも
だから思想犯 カツラガワ ガンバレヨ!
※関東大震災(1923年)の死者は約14万人
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