私に救援運動の出番が回って来たのは、昨04年春、大阪地裁が桂川君に対して、「懲役5年、罰金150万円」という、大麻事犯としては最重刑の判決を下した後のことだ。
このでたらめな判決に対して、桂川君はすかさず控訴したが、一審の救援を担当した「カンナビスト」には、控訴審を斗う展望がなく、この時点で救援活動は桂川君の地元である信州の「安曇野勝手連」にバトン・タッチされていた。
私はと言えば、7年前から喘息のため酸素吸引器付きの身となり、行動に制限があるうえインターネットも持たず、運動の前線から引退したつもりでいたが、盟友桂川君の苦境を座視しているわけにはいかなかった。
そこで私は唯一の可能性として、大麻裁判のベテランで、20年来の友人である
丸井英弘弁護士に相談してみようと思い、桂川君にもその旨を伝えた。
5月初句、私は
「安曇野勝手連」の窪田明彦君(クマ)と、
「ラバーズ」の白坂和彦君と共に、国分寺の丸井弁護士を訪れ、桂川裁判について相談した。もとよりそれは、単なる個人救済のレベルではなく、大麻解放という運動レベルでなければ無意味であり、それは必然的に運動の再構築、即ち大同団結を要求していた。
10年前、桂川君を発起人として結成した「麻の復権をめざす会」は、95年に中央大学の学園祭で「マリファナ・シンポジウム」を開くなど、大麻解放運動を大きく前進させたにも関らず、わずか2年足らずで分裂、解体して以来、運動は群雄割拠の内紛状態にあった。
5月末、安曇野勝手連の呼びかけで、「桂川救援拡大会議」が催され、
「カンナビスト」の麻生結氏、
「医療大麻を考える会」の前田耕一氏、「関西勝手連」の真鍋憲太郎氏、「ラバース」の白坂和彦氏など、約30名の″麻の民Uが集まった。この席で私は、控訴審の救援を担当する「勝手連」を全国レベルに拡大すること、獄中との交信をはかるため、窪田君を編集長、私を編集顧問とするミニコミ誌(後に『アナナイ通信』と命名)の発行を提案した。一方、丸井弁護士は大阪拘置所の桂川君と接見し、意気投合して弁護人を引き受け、主任の金井塚康弘弁護士とコンビを組むことになった。
さて、6月に秩父から寄居に引っ越した私は、手始めに最近の詩13篇に
『麻里花詩集』というタイトルをつけて自費出版し、数百名の友人、知人に配布して多大なカンパを頂き、それを活動資金にして救援運動を開始した。(詩集在庫あり、申し込みはポンへ)
この詩集の最後の一篇「麻の仕組み」は、桂川君に捧げたものだがそれは勝手連の新しい運動の発火点ともなった。
獄中の麻爆弾犯人 桂川直文氏に捧ぐ
《 麻の仕組み 》 ※1
辛酸 佳境に入る ラスト・ステージ
追いつめられ 閉ざされていく 心の世界
右翼民族主義に 外堀を埋められ
左翼合理主義に 内堀を埋められ
国家権力に包囲された 本丸で
やがて 待ちに待った運命の日に
われら規格外れのフリークスが
全員 腹を決めて 身を淨め
祭り衣裳で身を包み 晴れやかな笑顔を揃えて
「ラヴ&ピース」と非暴力の勝利を祈り
世界同時革命の“麻爆弾”を 一発決めて
「オーム ボン シャンカール!」
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おお 三千世界一度に開く 麻の花 !
まことの世界が 黄泉がえるぞよ !
さあ 世直しじゃ 立て替えじゃ !
アナナイ様のお出ましじゃ ! ※2
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※1 戦前大弾圧を受けた大元教出口王仁三郎の「霊界物語」より
※2 アナナイ(麻柱)=高い所へ登る足がかり、足場。(広辞苑)
柱は神を指す。「霊界物語」にアナナイ教(三五教と書く)あり。