2005年2月21日 タイ〜こどもたちと旅した2週間(1)バンコク〜チャン島

写真はクリックすると拡大表示します


タイから戻ってきました。

タイと言えば「津波」ときますが、わたしの今回、旅したルートは津波の被害を受けた南部海岸地域ではなく、中部から北部。こどもたちと1年に1回の「世界を体感する感性のサバイバル」をしてきました。今日から子どもたちは学校へ行き始めましたが、心が近くなった感じ。ひとつの物語を共に生きた〜繋がりに満たされたんでしょう。真冬の長野から真夏のタイへ〜そしてまた冬へ逆戻り。言葉のわからない世界を、背中のリュックに着替えを詰めて、飛行機、バスやタクシー、船を乗り継いで3人で、あるいは4人で駆け抜けてきました。

チャン島の波打ち際で。こどもたちは、帰国後もわたしのまわりをまとわりついています。
八星は「2週間に1回は仕事をしない土日を作って一緒にゆっくりしようね。」と手紙をくれました

音楽のパートナーの誠さんも旅の同行者でした。彼はタイへ渡って二日目にバンコクのバスターミナルでパスポートと旅券、2万円弱を失くし、旅券再発行やパスポートに変わるものを入手するために、わたしたちとはしばしば、別行動となりました。そして、一緒に旅をしている時も、心の中では別の旅をしていたようです。この距離感は、日常で感じとっているものと同じでした。

今回のようなはっきりした心配事がなくても、他の多くの現代人と同じで、彼の心を日々、覆っている『聞かれても言葉にできない』不安や彼独自の『語るほどには整理されてない』関心事の存在は強力なのかもしれません。わたしの場合、聞かれなくても心に感じてることは身近な人には話さずにはおれません。日々の気づきを分かち合いたい〜共に生きたい〜というのがわたしの自然なありようなのです。

彼の場合、わたしに比較すると「感じてることを語る」習慣がないようで、会話は一方通行。「なにを感じてるの?」と聞くと、『感じてるけれど、言葉にするのは難しい。』という答え。でもついこの前までは『わからない』の一点張りだったのですから、すごい変化です。もちろん、「これおいしいね。」とか単発的な会話は普通。「おはよう。」」も「おやすみ。」も言います。仕事の打ち合わせもします。でも、「ハートで受け取り、ハートで応える」泉のような会話にはならないんですね。どこかにブロックがかかっています。同じ繋がるなら「ハート」から。いつか、日々の思いを丁寧に分かち合えるようになれるといいな〜と願っています。ほんとうの気持ちを日々感じ取り、細やかに表現できると愛情も繋がりも、人生も進化していくような気がします。

日本では、特に男性は「弱音を吐かない」「本音を言わない」文化が根強いですね。心にブッロクがかかり、ほんとうの気持ちを身近な人と分かち合うということが妨げられます。自己完結の孤独な世界に住むことに慣れると、語りかけられても返事を待たれていることにも気がつかないという感覚になってしまいます。会話のない夫婦がどのくらいいらっしゃるのでしょうか?

一人ひとりの心が開かれ毎日が生き生きと繋がり、共に育ち、解放されてゆく世の中になりますように。

ボートツアーでシュノーケリング。最初に泳いでるのがタイ人のスタッフ。
次がわたし。最後が、八星がライフジャケットを手首にまきつけて泳いでいる

パスポートや旅券のことは無事、解決しました。そして、それらを「失くしたこと」に関して、旅先で「夢を織る家」のナートさんに特別なセレモニーで祝福していただいて有難かったです。

『パスポートや旅券、お金を失くされたことを祝福します。それは、あなたにとって新しい門出を意味しています。なくしたものはマテリアル(物質)にすぎません。でも、それがもたらすメッセージを受けとめることで、あなたの心は豊かになります。新しい道を歩いてください。』

旅の中では、いろんなことが明らかになってゆきます。人生も旅、でも、意識して旅してみると、日常の麻痺した感覚が洗い流され、立ち現れてくる本来感覚があります。日常から離れて旅すると、離れた視点から日常を見直すことができてシフトアップの機会となるんですね。

言葉も文化も違う世界を旅している時は、日本の現実をすっかり忘れます。目の前に現れた環境に適応するのに精一杯。まずは、目指す場所に安全にたどりつくこと。着いたらそのエリアをなるべく早めに把握し、求めている体験を実らせてゆけるよう宿やプランの選び直し。良心的な清潔な宿を探し、リーズナブルなツアーに参加したり。子どもたちの様子次第で移動の日程を延ばしたり、早めたり。

「子どもたちに実りのある旅となるように」という願いがあったので、移動が大変な時は飛行機を利用したり、移動途中でも宿を取ったり。食事をするのも泊るのも、荷物と楽器と格闘しながらも、その場の直感で決めます。カンチャナブリーで、食事したのはマレーシアの家族がやっている屋台のような小さなレストラン。スープヌードルwithシーフードスープとか、チキンフライドライスとか〜。1年ぶりに来たのに覚えていてくれました。昨年、疲れ果てていたわたしたちの荷物を預かって、1時間ほどお寺参拝に行かせてくれました。お礼を払おうとしても受け取らず、1食20バーツ(60円)の3人分を受け取っただけ。今年は、バイオリンを弾いてあげたら、言葉の通じないおじいちゃんも満面の笑顔と拍手で応えてくれました。

********

今回の旅の最初の場所は、バンコクからトラートを経て、船で渡ったチャーン島。
常々わたしは子どもたちとサンゴ礁の海の近くで暮らして、毎日海を探索したいと思っていました。今のところその夢は果たせないでいますが、こうして旅するときくらいは、そんな時間を作りたいのです。

チャーン島へ行くことを提案したのは、一度行ったことがあるという誠さん。バンコクからバスで5時間でトラートの港まで。そこから30分くらい船に乗り、さらに島の港から乗り合いタクシーに乗って30分、白砂の海岸沿いのバンガローやホテルの林立する場所で、タクシーを降りました。もっと静かなところで泊りたかったけれど、とりあえず、日が暮れるまでには宿を決めなきゃ〜。子どもたちも疲れ果ててるよ〜。

ボートツアー 帰路では、船の上でジャガイモとイカのバーベキュー
アマチも八星もイカは嫌いで日頃は食べないのに6〜7本平らげた。

昨年、南部の小島ジャム島では、竹で編んだ簡素なバンガローが1泊100バーツ(300円)だったので、「高くても500バーツくらいでいい感じのバンガローを借りれるかな?」と思っていましたが、最初に聞いたバンガローが1700バーツ。「えー?17倍?うっそー、高いじゃない。安いところを探してるのよ。どっちへ行けばいい?」と勢いよく砂浜を荷物を引きずって(それが、なかなか進まないのですよ砂浜は)、次のバンガローへ。

ところが、ないのよね。チャーン島って、大手の観光資本が入ってるせいか1500バーツから3000バーツと、異様に高かったのです。それで、散々見てまわった結果、1500バーツの一軒屋のバンガローを借りました。ベランダも温水シャワーとトイレもあり、海辺にあって、地元の家族が経営してるアットホームなところ。

海のそばにいるだけで癒されます。海の音を聞きながら浜辺にあるレストランで軽食を食べ、子どもたちと波打ち際で戯れる〜。海の水は澄み切ってはいませんでした。島中が観光化している以上、海は汚れるばかりでしょう。一度、島を車で巡ったとき、どこまで行ってもバンガローとショップ、ホテルが建設され、島中が、観光一色なのに胸が痛みました。昔は心豊かな自給的な暮らしがあったのではないのでしょうか?

都会も田舎も意識のあり方が基本的には同じですね。どれだけ安い投資で多くの利益を得られるか〜。そのような次元では、汚水や汚物、ごみを処理する方法は、行き当たりばったりになってしまいます。乗り合いタクシーの窓から次々と現れる、バンガローやホテルを見ながら、美しい海に大量に流されているであろう汚水が想像され暗澹としてしまいました。

数年前オーストラリアで、シドニーの歯医者さんと夜の海を泳ぎに行ったことがあります。「知ってるかい?われわれの汚物は、この海の何百キロも先にずっと地下を這うパイプで流されているんだよ。」と彼が話したのが衝撃的でした。

「わたしになにができるだろう?」と問いかけました。わたしも一人の観光客にすぎないのですから。「歌を歌うこと」と心に答えが響きました。
人の心に眠っている本来の心、願いを呼び覚ましていくこと。

子どもたちには朝ごはんはアメリカンブレックファストが人気

翌朝、誠さんの夢にわたしが現れ「わたしは小鳥」という歌を歌っていたよと、その歌を書き起こしてくれました。
(昨年夏から、この現象は続いています。)

歌詞を紹介しますね。またコンサートでも聞いてください。

♪わたしは小鳥♪

わたしは小鳥 小さな小鳥
孤独な愛を抱えて 地球を旅する
わたしは小さな小鳥
 夢の中で 出会った友達
 世界中に散らばる もうひとりのわたし
愛を奏で 光を紡ぎ 輝いている 歌っている

あなたは小鳥 小さな小鳥
大きな願いと夢を抱えて
島を旅する あなたは小さな小鳥
 ピーピッピ あなたの歌が聞こえる
 ピーピッピ わたしがそれに応える
愛を奏で 光を紡ぎ 輝いてる 歌っている♪  (2005.2.9チャン島)

1日ボートで無人島を回りながら、美しい珊瑚礁でシュノーケリングをするツアーに参加しました。ヨーロッパや中国、さまざまな国籍の観光客が30人くらい1隻の船に乗り合い、澄み切った海で一日過ごし、船の上でバーベキューを食べ、満たされた一日となりました。シュノーケリングは3ヶ所、1時間ずつ。色とりどりの魚、ウニやさまざまな生き物たちの姿に見とれました。最後は無人島の砂浜で思い思いにくつろぎ帰路へ。

最初のポイントでは、アマチが借りたシュノーケルが不良で、塩水を飲んだらしく早々に船に引き上げ、もう入ろうとしませんでした。1年かけて、これを一番楽しみに、はるばるやってきたのに、不愉快なことにめげて自らチャンスを失うのは残念なことだよ〜と説いて、シュノーケルを取り替えてもらい、誠さんとわたしで子どもに一人ずつ大人がついて、次からは目一杯楽しめたと思います。

八星はライフジャケットを嫌がって、手に結び、深い海の上をどんどん泳いでしまうので、タイ人のスタッフとわたしの二人で必死で追いかけては、八星を見守りました。わたしと同様、彼は、八星のしたいようにさせ、見守るという姿勢でいてくれて有難かったです。子どもは時々すごい集中力で能力を向上させる時がありますね。今回、八星に、それを感じました。深い海の上、海の世界に見とれながらもぐんぐん泳いで行きました。

家族で船を出しているこのボートのスタッフは、言葉は通じないけれど、身振り手振りのコミュニケーションで活気があり親切でした。制約や注意はほとんどなく、参加者を見守り、真剣にライフガード。参加者が満足し表情が豊かになってくると、スタッフの表情が満たされていく〜嬉しかったです。彼らは、この仕事を愛してるんだなあ〜と心から思いました。アマチくらいの子どもが人数確認や、果物などを配る仕事をしていて、自信を持って働いている姿がまたよかったです。

チャン島のビーチ フリスビーが飛んでいます

さて、長くなるので今日はこれくらいに。
次はサンクラブリーで21人の孤児を引き取って育てている「夢を織る家」でのできごと、チェンマイへの旅の報告をしますね。お楽しみに。
 今回は「夢を織る家」ではナートさんと随分語り合いました。この夏、日本に来られるので流れに無理がなければ 「リトリート」のゲストに迎えようか〜と思案中です。

今日は3月のレコーディングの手伝いのために若い友人が熊本から来てくれる連絡があり嬉しかったです。4月のリトリートの申し込みが何人かあり、これも嬉しかった。そして、アマチがギターを習いたいと言い出して、初めてギターに取り組んでいます。これまた、楽しみです。


日記の目次へ