2004年12月1日 沈黙断食念仏道場から戻って

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こちら長野は寒くなってきました。朝、目覚めた時、布団から出て薪ストーブをつけて豆炭こたつで温まると、体が解凍し、ほっとリラックス。これからが寒さの本番なのですが。

さて、11月20日から27日までの1週間、東京は本應寺の品愚上人の指導の下、栃木の愚静庵という自然豊かな庵での沈黙断食念仏道場に参加してきました。最初の1日は集中できず、脈絡もない雑念が自分を覆っていましたが、2日目からは、今の自分の状況を隅々まで眺めてゆく機会となりました。忙しさにまぎれ心が行き届かないため細かいところの決断が保留され、気がつかないうちに鈍く重くなっていたようです。心に現われてくるこれからのスケジュールを心の目でよく眺め、おのずと見えてくる細かい決断を、次々と受け取ってゆきました。なにも動かず、1日座っていることが実は本質から仕事に取り組む時間になるんですねえ〜。

断食の間、食事時に人参&りんごジュースをいただきました。

参加者は13人。沈黙を守り、それぞれがどんな体験をしていたのかは、最後の日のシェアリングで初めて分かりました。13人13様。体験の仕方がまったく違っていて驚きました。音楽のパートナーの下村誠さんは、すっかり忘れていた過去のシーンを鮮やかに蘇らせたりしていたようです。「自分がだめなところを知らされた」と。そこからがいつも始まりですね。彼とは久しぶりで、深い会話を延々とすることができました。彼は、1ヶ月くらい前、千葉から高遠に引っ越してきて、今は車で10分くらいの距離の「ご近所さま」なのです。

5日目の朝、回復食。これが味わい深いんです。

自分の心を見つめるなんて日常ではなかなかできません。今回は ほんとにいい機会だったと思います。断食も集中した祈りや瞑想も、心と体の大掃除になりますね。1年に数回は そこに集中してみたいと思いました。また、大人でも「ほんとうのこと」を学び、魂の滋養を受け取ると日常の滞りが消え、はつらつとしてくることを実感。子どもたちへ思いがゆきました。彼らの日常は、魂に充分滋養が行き届く英知や大きなまなざしに見守られているだろうか?と。

この世の中の常識と「ほんとうのこと」は同じではありませんね。「ほんとの世界」はこれから現れてくると思っています。人と人とは競争する必要はなく、また同じである必要もなく、それぞれの天性が大きなまなざしで見守られ育まれ、お互いを認め合うことで豊かになり、育ってゆく美しい世界があると思います。そんな価値観の中で育って欲しいと心から思います。

愚静庵の中

「南無阿弥陀仏」という念仏は 今までのわたしにはあまりなじみのないものでしたが ほんとにパワフルな祈りの言葉ですね。上人の説明では「見えない偉大な光に帰依します」という意味だそうですが、1週間も念仏と瞑想を繰り返していると、その音を発すると光が注がれてくる感覚を自覚しました。声は光ですね。自分自身の判断を超えて、大きな光に自分をゆだねてゆくという宣言(念仏)をしている間に、おのずと現れてくる選択をたくさん心に受け取りました。

愚静庵の外。「不可思議光山」と山尾三省さんが名づけた山が見えてます。

休憩時間や食事(人参ジュース一杯です)も、味わい深く気持ちよかった。沈黙を守る。そうすると、それぞれが心ゆくまで、感性を開いたままにできるんですね。落ち葉や風、日差しを味わい、寝転んだり、本を読んだり、体操したりして、沈黙の中にも満ち足りた空気がありました。

27日の深夜、帰宅。
28日は親しくしている石釜パンや野良やさんが近くの山の中に気持ちのいい家を建てお披露目パーティーということで、父親から子どもたちをピックアップした後、歌いに行きました。光がたくさん入る気持ちのいい家でした。広々とした山の景色が素晴らしかったです。この頃、あてもないのですが、「自分だったら どんな場所に どんな家を建てるだろう?」という目で家を見ています。現在、暮らしている家の良さは広さですね〜。10部屋もありますから。リトリートするには適しています。でも、いつかは光が一杯入って、(窓を閉めたら)風は入らない家に住みたいですね(笑)。周りは、家がない静かな自然の中がいいですし、畑もやはり、やりたいです。

29日は、八星が風邪で「頭とのどが痛い。」と学校を休みました。でも、なんだか元気そうで、乗れるようになったばかりの自転車で、二人で並んで近くを一巡りしました。いつもは車で走る風景も自転車でなら、いろんなエッセンスが心に飛び込んできて、新鮮でした。家では、竜の絵を描いたりしていました。朝、版画家の秋野イサムさんから送っていただいた版画を額に入れて飾るわたしの姿を見ていたのでしょう。自分の絵も額に入れてわたしの部屋に飾ってくれました。

風邪引きの八星と二人で自転車乗り

アマチもそうですが、子どもたちは家にいると、1日中自分のやりたいことをやり続けています。「学校が朝10時からで、週に3日くらいだったらいいのに。」と八星は言いますが、そのくらいの時間のゆとりが欲しいです。学校を休みながら彼独自の世界を育むか、あるいは、シュタイナースクールのように 個々の天性を尊重した「ほんとの世界」を教える手がかりを持った学校を選んで行くか〜。将来、もしどこか違うところに移るとしたら、子どもたちの魂が健やかに育つ自然環境と人的環境をそなえた場所を、というところが基準になるのかもしれません。

また彼らのふるさとであるカリフォルニアに、短期的であれいつか帰りたいです。「どう帰るか」という手立てや、その意味なども念仏中に心に整理されました。また、ロスの近くのヒーリングの学校「エサレン」で、魂の滋養を受けながら私自身が学びたいという欲求も浮上しました。道場で心に受けとめたさまざまなことは、きっといつかわたしの暮らしに織り込まれてゆくのでしょう。

さて、今日は野沢菜を漬けました。隣のおじいさんから今年もたくさんの野沢菜をわけていただいたんです。おいしく漬けられたかな〜。

1月のリトリートに我が家に来られる方には食べていただくつもりですよ。
お待ちしております。


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