2004年11月10日 女性たちが企画した3日連続コンサートと新しいバイオリン

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今年の2月、昨年11月に東京のコンサートに来て下さった野上さんに声をかけていただいて水戸市と日立市までコンサートに出かけた。人との出会いは不思議。呼んでくれた野上さんも含めて、そこで出会った助産婦のりえちゃん、幼い子どもたちを抱きかかえコンサートを企画してくれた志摩さん、自然食レストランを経営する大金さん、有機農業を営む布施さん夫婦、有機農業を始めた若いカップル村山さん夫婦たち。その後このつながりの中で主催者や場所が多少変わりながら同じエリアでこの1年に3回、コンサートが企画された。1回ごとにつながりが深まり、彼らの存在感がわたしの中に定着。

長崎、熊本、小倉、広島、兵庫、四国、大阪、鳥取、東京、東北、1年に1度は必ず行く地域。必ず再会する顔ぶれが全国にあって、お互いの存在が見えないところで影響しあっている。会ってなくても繋がってる。自分の存在の仕方と相手のあり方が見えないところで響きあってる。つかの間の再会でも、流れ込み、触発しあう存在感。出会いは生きていることの証でもあり、かけがえがない。


里美村でのコンサート。開演の挨拶をする美木さん

助産婦のりえちゃんは、出会ってすぐに長野の我が家に遊びに来て、3月には埼玉は新座でコンサートを企画。彼女がお産に関わった母親と父親が赤ちゃん連れで聞けるコンサート。どこかで必ず何人かの赤ちゃんが泣いている会場でも、歌と話が受け取られていたことは後の交流会でわかった。乳児連れで気兼ねなくコンサートに参加できる機会は少ない。慣れない子育てに格闘する母親と父親を応援する企画意図を理解したら、どんな状況でも意識を集中し歌えるようになった。そして、6月には志摩さんと大金さんがそれぞれに、日立市と水戸市でコンサートを企画。志摩さんの企画は自然の豊かな山荘の1泊2日。コンサートの他シェアリング、瞑想&ウォーキングメディテーション、ヘンプのビーズクラフトワークショップとそれぞれが有機的に流れを運び、縁も深まり気づきも深かった。(今度、それを2泊3日にして長野の自宅で、来年1月と4月に企画する予定です。いらしてくださいね〜。)


築290年、現役の菊池邸でのコンサート

そして、今回11月は、繋がったネットワークで違う場所、違う主催者による3日続きのコンサート。1日目、茨城は日立市では3人目の子ども、生後4ヶ月朝日君をおんぶした志摩さんが今回で3回目のコンサート主催。二日目、茨城は里美村で、生後3ヶ月の赤ちゃんをおんぶした布施美木さんと若い村山有哉子さんが二人とも初めてのコンサート主催。3日目、新座ではりえちゃんが2回目のコンサート主催。今回は、女性主催者のしなやかさとたくましさを感じた。美木さんと有哉子さんのみずみずしい活力は新鮮でした。
 わたしも子育てしながら、歌っているけれど、彼女たちは幼い子どもの子育て間最中、あるいは仕事を抱えながら、心のこもった素敵なコンサートを企画、準備。準備する中で彼女たちが、身近な出会いを改めてつなぎ直し、自分自身の存在の確かさ、人や自然とのハーモニーを感じ取って喜んでくれてるのが感じられ嬉しかった。わたしも乳児の子どもをおんぶしてコンサートしていた時代もあった。コンサートで、背中の子どもが泣き出して、それでもあやしながら最後まで歌ったコンサートもあった。ほんとに大変だったけれど、歌うことをやめるなんて考えられなかった。自分の心にまっすぐに流れに身をゆだねて今に至っているわたしの歌を、彼女たちがしっかり受けとめ支えてくれている。

11月6日は、日立市十王町で、助産婦一筋でたくさんの赤ちゃんの出産を助けてきた70才を超える加茂先生の助産院の新築祝いコンサート。りえちゃんがかつて働いていた助産院であり、志摩さんが子どもを出産した産院でもある。交流会では、コンサートの感想とともに、加茂先生への感謝の思いが話されました。加茂先生が妊娠中や育児中の母親の心の揺れをうけとめ励ましてこられたことが、たくさんの母親を支え、安心して出産や子育てに向かえるよう導いたということを知り感銘しました。やっぱり仕事の本質は、受けとめること”愛”なんだ。加茂先生から花束をいただいたとき、まっすぐなまなざしで、「一筋に道をきわめて下さい。」という言葉をいただきました。道を極めることで心がつながっていくんだなあ〜。わたしも歌を極めますよ〜。

里美村ライブの懇親会。乾杯の音頭をとる美木さんと有哉ちゃん


この夜、里美村の古民家に志摩さん家族やりえちゃんたちと泊まって、志摩さんに前から聞きたかったことを質問しました。 「コンサートの間も、子どもたちの世話でゆっくり聞くこともできないのに、子育てだけでも大変なのに、どうしてコンサートを企画してくれるの?」と。志摩さんは「子どもがいるからできないって考えるのが嫌なの。子どもがいても、やりたいことはできるってことを示したい。」と答えました。彼女の笑顔はすごく暖かい。言葉も柔らか。でも芯が強い。一緒にいるつかの間の時も、いつも子どもたちを細やかに受けとめるお母さんだから、ゆっくり話す時間もありません。それでも、コンサートを企画する。すごいな〜と思うと同時に、「わたしもそうだった。彼女も同じなんだ。」と深いところで心が動きました。

今回、彼女の3人の子どもたちの個性がわたしの中に入りました。ありがとう。志摩さん。またお願いしますね。

11月7日は、築290年のわらぶき屋根の古民家の庭でのコンサート。樹齢300年を超えた樫の木がわらぶき屋根を見下ろすようにそびえていました。里美の道の駅の駅長さんの白石さんが入れてくれたコーヒー、美木さんが漬けたお漬物、有哉ちゃんが用意した新米のおこわと煮物、あたたかい日差しの中でお昼ご飯を食べていたら、美木さんの3歳の娘さんが「有〜里さん!有〜里さん!」とうれしそうにみかんと漬物をわたしのお皿に入れてくれました。みかんの皮をむいてあげたら、おいしそうに食べてくれました。心が伸びやかになりました。
 開演30分前くらいから、村の人が次々とやってきました。再会した野上さんと話に夢中になっていたら、もう開演時間。2500円の入場料は里美村では「高い」と驚かれたそうですが、用意した椅子はほとんど埋まって70名ほどの来場がありました。そして2時間。太陽が差し込んだり、雲に隠れたり。この日は出だしから曲目を決めていなかったのですが、自然と出てくる曲目も話しも、流れとリズムがあり、会場のすみずみまで染み渡って行くようでした。話や歌に表そうとするものたちが、会場には、すでに存在していましたから。それは、太陽と土、風、木々たち、鳥、虫たち、長い年月生き続ける現役(今も住人がおられます)の古い家、つながりを生きる友人たちの存在、まだ、きっと他にもあったと思いますが、すでにそこに存在しているものを歌い、語るということはなんて軽やか。

里美から新座のコンサートへ出発、見送ってくれる仲間たち


今回、充分満足したコンサートをさせていただいたと同時に、充分な謝礼もいただきました。

それでね、帰りに東京の楽器屋さんに寄ったんです。わたしが使っているバイオリンは200年以上前にイタリアで製作されたもので、14年前に父の援助で購入しました。熟成した音色に魅せられ気に入っていました。でも、この13年、酷使してきたんですね。乾燥の激しいカリフォルニアで2〜3回、表の板に割れ目ができました。そのつど直しましたが、3回目に割れたときは修理費が出せず、なんとアロンアルファーで我慢してもらったんです。野外で赤ちゃん連れで毎週、4〜5時間演奏したりもしていました。今年の夏くらいから、なんだか音が冴えなくなってしまいました。今年になって東京出た時、楽器屋さんに持って行きましたが、調整するのに時間がかかるとのこと。スペアのバイオリンを貸すことはできないと言われるし、1ヶ月コンサートがない時はないんです。方法が見つからず、そのまま使っていました。いよいよ音の状態が悪化してきていました。

今回見ていただくと、かなり修理箇所があり、やはり修理に1ヶ月、費用は10万円くらいかかるとのこと。このまま使い続けることもできないし、そうかといって1ヶ月バイオリンを弾かないということも考えられない。(この間に、ライブも、あります)スペアのバイオリンを買うことを考えて、店に飾ってあった安いバイオリンから順に弾いてみました。そしたらね、3番目に手に取ったバイオリンがわたしの心を惹きつけたのでした。(これがわたしには、結構高かったのです)それが、ドイツのクレメントとワイスという二人のバイオリン製作者の弟子たちが製作した現代のバイオリンです。楽器が弾き手を選ぶということもあるのでしょうか?今まで活躍してくれていたバイオリンを修理に出すのはやめました。しばらく休んでもらうことにしました。このバイオリンの音色は、今までと同じ哀愁のあるタイプの音色ですが、もう少し張りがあり若々しい。弓も新しくしました。
 今回のツアーの謝礼全額に加えて、貯金もおろしに行きました。空になったお財布を見せて、「あ〜あ、すっからかんになっちゃった。」とお店の方につぶやくと、「でも、この楽器が一生あなたと一緒ですから。」と言ってくださいました。ほんとにそうですね。これは、わたしを支えてくれて下さっているたくさんの聴き手と、しなやかでたくましい素敵なコンサート主催者たちからの贈り物だと思っています。ありがとう。嬉しいな〜。また、腕を磨き、音を届けますね。

この道一筋 極めて行きますよ〜


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