2004年2月29日 長野 山室 こどもの急性腎炎


日記を更新したいと思いながら時間がとれず1ヶ月経ってしまった。

2月は6〜7日、東京、水戸と日立でのライブ。水戸と日立は初めてのコンサートだったにも関わらず、深い交流ができた。主催のきみこさんの人柄は味わい深く、2泊3日を有意義に案内していただいた。川が蛇行してキラキラ流れる景色の美しい静かな宿は、下村さんが「また、あそこに泊まりたい。」と念願してる程。そして交流会では、参加者の思いをありのままに受け取り、みんながそれぞれに素晴らしいという満たされた輪を感じたいという最近のわたしの願いがそのまま形になった気がした。というよりも、そう望んだ時には既に、そういうハートの繋がったネットワークが待っていたというか。。。同じネットで、6月には、次のコンサートが企画され、その次は11月と決まっている。縁は深まり、楽しみは続きそう。

帰宅と同時に10日間で延べ10人、入れ替わりで泊まりの来客があり、その間に産まれて初めて連れていった病院で長男が、ようれん菌の風邪の後の急性腎炎と診断されて「常識的には少なくとも1ヶ月は入院です。」と入院を勧められた。

元連れあい、こどもの父親がネパールへ行ってしまったばかりで、学校へ通う八星の世話と仕事があるので、入院させたら自宅から遠い病院へ預けっぱなしになってしまうかもしれない。こどもたちはお腹に宿った時から医療の世話になったことはなく、出産も風邪も直感に基づいて、家で自然養生しその時々を乗り越えてきた。こどもが回復してゆく兆しは親の直感としてわかる。2週間上がったり下がったりしていたアマチの熱は既に平熱に戻り落ちついているし、回復に向かってる感じがした。

病院に連れていったのは、遊びに来ていた友人が不安そうに熱心に勧めるので行ってみた。感染するようなものではないか?という友人の不安が、病院へ行くことを勧めてくれたのだと思うが、タイから帰ってきたところだし実際、確認の必要があると感じて慣れない病院へ行ってみた。(わたし自身もお見舞い以外に病院に行ったのは生まれて初めてなのでした)

結局、優しい女医さんにお願いして薬を処方してもらい、注意事項を聞いて自宅へ帰り療養させることにした。入院の病棟まで行ってみたが、どうしても自分の選択としては心が納得できなかったのだ。女医さんは年配の男性のお医者さんも加勢に呼んで3人で話し合った。わたしは正直に、治療に対する自分の考えを話した。数値からだけではなく、全体的な生命力が高まる生活をさせたいということ、なるべくなら命はいじらない方がよく、最低限の治療で自然治癒力に任せたいこと、こどもの病気は基本的に日常生活やら親との精神的な絆を見なおす機会だと感じることなど。

「話されてることはわかる気がします。でも、なにかあったらお母さんが責任をとれますか?」という年配の先生の質問で、その場は締めくくられた。 「時間があればもっと話したいのですが。」と言いながら。若い女医さんも、真剣に治療に取り組んでいるし、わたしの考えも聞いてくださる。でも、充分に検討し話しあう時間はなく、たくさんの患者さんを一定の時間内で見なくてはならない。それでも限られた時間内に、食事療法と安静が今一番必要であることを理解した。

アマチの強い希望もあり迷いつつ家に連れて帰ったが、お医者さんの言うように数値を確認しながら治療が必要で、病気を自力では治せないかもしれないし悪化の怖れがあるかもしれないという不安と、彼が病気になったということを機会に、健康を志向する暮らし作りと子どもとの絆を改めて見なおしていきたいという自然な思いがせめぎあい、一時は苦しかった。思えば、最初の子ども、アマチを元連れあいと二人で自宅で迎えた自然出産を実現せるためには、妊娠6ヶ月で日本を出るという選択が必要だったことも思いだされた。周囲が心配し干渉する場合、思いきって自分の信念を通すことは困難になる。 周囲の干渉も心配もほとんどないカリフォルニアの山の中で二人の子どもは自然に生まれ、健康に育った。

「急性腎炎」を「肝炎」と、わたしは友人に、うっかりいい間違えたらしい。これが原因となって(後からわかったことだが)、その友人から「アマチくんのためだけではなく、まわりの人にうつらないために入院させた方がいい。」と電話をもらった。

また、他の友人からは風邪が治り元気になって学校へ行っている八星を「他の子にうつる怖れがあるから休ませた方がいいんじゃないか。」と親切なメールももらった。これらの意見でアマチの体をいたわること以外に、周囲の思惑への配慮という見えない圧迫感がわたしにのしかかってきた。ちなみに八星は完全に回復してるし、アマチも見たところはいたって元気。アマチの方が長引いて生命力が衰えてる気がしてお医者さんに見せたが、腎臓が炎症をおこしているだけで見たところ病気という感じではない。
そして、お医者さんは「うつる」とは一言も言わなかったのだが。

病院から戻り、すぐに快医学をやっていた友人に来てもらっていた。0−リングテストなどで原因を探ると共に、民間治療のやりかたを助言してもらいホメオパシーも処方してもらった。実際に子どもを診断した病院のお医者さんからも、快医学の友人からも「うつるから他の子どもに会わせないように」とは、言われていない。でも、あらためて、腎炎がうつるのか、あるいは「ようれん菌」による風邪が完治したあとでも「うつるのか」針灸師の妹や、アマチの体を診てくれた友人に問い合わせた。

彼等の答えは「ようれん菌は日本にもある風邪の菌の一種で、平熱に戻っていたらうつるものではないから、気にせずアマチの体のことだけ考えたら。」というものだった。

また、その時滞在していた若い助産婦さんからは
「おたふく風邪のように、うつるとわかっていて学校では通学を禁止されてるものでさえ、一部のお母さんたちは、誰かがおたふく風邪になるとね、おたふくパーティーをひらいて、一緒にご飯を食べたりして、うつったとしても『うつって良かったね。』と言うし、うつらない子はうつらないっていう、そういう自然のなりゆきを大事にして、同時に健康について勉強して、なるべく自然に治してる人たちもいるんだよ。」
と聞いて、ほんとに嬉しかった。

わたしは、病気に対して彼等と同じ感覚を持っている。病気は基本的にはうつるというよりは、それぞれの体の浄化が必要な時に、解毒としてあらわれ鍛えてくれるありがたいものではないかな、と感じている。だから、親しい友人が病気を怖れから捉えてるのを感じた時、距離を感じて悲しかった。

助産婦さんの彼女は、てるみーという、薬用の煙りを体にかけながら暖めるという民間療法の器具も持参し教えてくれた。アマチだけではなく疲れやすいわたしもテルミーをかけてもらい、翌日目覚めが爽やかだった。アマチも気にいって、寝る前必ず「テルミーして。」と呼びに来る。仕事仲間の下村さんともライブの後、かけあうようにになり、なんだかみんなの関わりがぐっと近くなった。

このところ、八星が学校へ行きアマチが家にいる。アマチは血色もよく、ほんとに元気。でも尿に血尿と淡白が出ているので、静養と食養生が必要だという。

23日に再び検査に行ったら、だいぶ回復していて 、次回の検査は2週間後になった。アマチだけが家にいる日々に、わたしはアマチに取り組んでいる。二人の子を一度に関わるのと、マンツーマンは見えて来るものがちがう。 これも自然の計らいなのかなと思って、忙しいながらに関わりを育てている。

25日、家から車で15分の距離にある「さくらホテル」で海草会席料理とミニコンサートという企画があり、八星を学校にやりアマチに朝ご飯を食べさせてから、仕事に出た。午前中はマイクなどのセットアップしてから、湖の見える控え室でサポートの下村さんと瞑想し、落ちついた別室でおいしいお昼ご飯をいただき、45人の地元の女性客に1時間弱コンサートした後、地元の新聞の取材を受けてからホテルの温泉にゆっくり浸かった。帰りに、倉を改造した高遠町のお蕎麦屋さんの2階の多目的スペースを下見しに、お蕎麦やさんに寄りぜんざいを食べ帰宅したら、八星が学校から帰ってきた。

アマチは、このところ漢字の勉強や家の手伝いを始めてくれている。地元でコンサートができるということは、子どもたちとの日常をリズム良く育てていける。少しずつ、地元でも歌っていきたい。


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