2004年1月30日(金)長野 (1)今いる場所が豊かになること

              (2)「繋がりの中で自分を知る 」企画



(1)今いる場所が豊かになること

タイから長野に戻り、こどもたちは久々に父親の家から学校へ通っている。川の流れる音の響く広い我が家はわたし一人。過疎のこの村は日頃から動きが少ないが、今や道も凍ってるので近隣のお年よりもあまり出歩かない。留守中に届いていた年賀状の返事を書き始め、ライブスケジュールなどの調整、ヘンプアクセサリーの製作などを始めているが1日一人でいると、食事も考え事をしながらで、なんだか精神的に閉塞してくる。毎日、インターネットでやりとりしていても実際に人と交流しないということは 、自分を映す多様な鏡が身近にないということで、活力が衰えてゆくような気がする。
 
このことはタイへ行く前から気がついていた。過疎の村の新住民でシングルマザーのわたし。コンサートで家を離れることも多く来客も多い。けれど、一人で家にいる時はいっきの一人の世界で孤独になる。子どもたちは我が家にいたり父親の家に行っていなかったりで、家族の有り方も理解を越えるだろうし、日常として田舎の近隣の人々と心の機微を分かち合う繋がりまでには育ちにくい。

「おばあちゃん、今度は2週間、大阪から四国へお仕事に行ってきます。」とか「年末からは、子ども達と一緒にタイへ行ってきます。」とか、挨拶に行くたびにびっくりして「あらまあ。ほんとうに。それで、へえ〜大変だねえ。」と繰り返す隣のおばあちゃん。おばあちゃんは、お漬物などマメに届けてくれるし、おじいちゃんはわたしの身のまわりを気使ってくれ、ちょくちょく電話をくれる。でも、この小さな村で人生のほとんどを簡素に暮らしてる彼等と、ほんとの意味で溶けあうには お互いを理解しあうなにかの要素や共有するものが欠けていると感じていた。

29日の深夜、大阪の友人が夫婦でやって来た。彼の方は去年から仕事を辞め、田舎暮らしを志していた。去年ここへ遊びに来て、2回目の時は わたしの留守中に我が家に長期滞在し、村の宴会にも参加して山室の住人の素朴な輝きに魅せられた。今回は住む家が見つかっていないにも関わらず、彼女も仕事を辞めることに決め、3月には夫婦で引っ越して来るという。

彼と昨夜話しこんでいて とても嬉しくなった。彼はお年より中心の14世帯しかない、この過疎の村で週末小さなマーケットを開き、歌あり、草木染めあり、カフェあり、村のおばあちゃん達の漬物やら野菜やらを販売できたら、どんなに楽しいだろうとイメージを語ってくれた。 どんどん過疎が進行し外からは訪れる人も少ないこの村では、そんなことは夢のような話だけれど、なぜかその風景がリアルにわたしには感じられた。彼はイベントを企画して人と人が出会い人生が好転していくのを見るのが喜びで、わたしのコンサートも3回、大阪で企画してくれている。

彼の言うように、村の3人のおばあちゃんなどは、現代では稀な原石のような素朴な輝きを放っている。彼等が自家用に漬けてる漬物は1級品。昔から現金収入の得にくかった暮らしの中でつつしまやかに倹約して暮らしてる彼等の手作りの食材も暮らしも時勢には左右されない根強さを持っている。

「吉本さんがいるとね、家の灯りがあってね、ほっとするんだよ。」とおばあちゃんが言い、「吉本さんがいないと寂しい。」とおじいちゃんが言う。ツアーから戻って素朴な原郷へ帰るとホットするけれど、どこか寂しい。繋がりあえる多様な人間の絶対数が少ないのは やはり寂しいと思う。おじいちゃんたちもわたしも、どこか寂しいと思いながら、この場所が好きで暮らしている。伊那まで出るとお店も多く、親しい友人もいて便利だし楽しげだ。伊那ならば、新住民も多いし同じ価値観を共有できる繋がりも作りやすいかもしれない。でも、友人の言うように、ここには他の地域にはない純朴さと輝きがある。若者たちが、みな町へ移住してしまっても わずかに残って素朴な暮らしをしているお年よりたちには 生きた知恵があり暮らしがある。時期を得て、その本来のよさをまわりに表現でき分かち合うということでこの場所、人材も生かされていくのかもしれない。そんな流れができたら、お年よりは生産者で、わたしはミュージシャン。同じ場を違う役割で共有できて楽しいだろう。暮らす人も、ここに訪れる人も喜びあえ
るそんな流れ、想像したことなかったけれど、どんなに楽しくなるだろうかと、わたしも焼酎を飲んで語る友人と一緒にリアリティを共有し、嬉しくなった。

人それぞれには、その人特有の個性と役割があるように思う。タイの夢を織る家で気がついたように一人でできないことでも、ビジョンが訪れたら、そのまま受け取りそこへ向かったらいい。わたしはこの村に自分のペースで暮らし旅する中で、自分の暮らすこの場所が活性化し、生きることが数倍楽しくなっていく流れを胸に抱いていようと思った。きっと、そういう時期が来る。

(2)「繋がりの中に自分自身を知る」コンサート企画

以前から その友人が提案してくれていた「有里さんの長い1日」というコンサート企画を、今日、具体的に彼と話しあった。

コンサートあり、シェアリングあり、瞑想あり、お食事あり。おまけにヘンプアクセサリー、ワークショップまであり。出会いを深める小人数の集まりをやりたい と以前から彼がアイデアを出してくれていた。

不思議。タイへの旅のおかげで、この企画がわたしの今の気持ちに添った企画になっていた。タイへ行く直前に実現しようとしていて、あまりに慌ただしいので気持ちがそこに集中できず、時期を伸ばしたののだけれど。

コンサートでは、わたしは自分の体験の中で訪れた歌を、体験談と共に聞き手と分かち合っているんだよね。わたしの場合、自分の人生は魂を磨く旅、そして人生は、自分で無意識にでも筋書きを書いている自作自演の物語で、体験することでより深く自分と出会い、さらに旅を深めてゆく機会を作ってると感じている。だから、わたしの人生には枠組みがあるようでなく、仕事も子育ても暮らしも、人間関係も自分の心にただただ忠実に流れを受け取って進めているように思います。感情が揺れ動く時、その底にある本質を歌として汲みとることで、心の本質に添った道を切り開きながら生きているように思います。

歌を分かち合うということは、自分の人生の醍醐味を味わってもらうこと。その結果聞き手は自分自身の人生を味わうスペースを得る場合が多々ある。ライブを重ねるにつれて、自分のライブの特徴を感じるようになった。たぶん、友人はわたしがやりたいことが無理なくできる緩やかな時間を、潜在的に感じ取っていたんだと思う。「コンサートの聞き手が受身で終わらず、主体者として関われるような、そんな流れを作りたいんだよね。」と友人は話してくれた。

今日、彼と話しあった企画は、わたしがこれからやっていきたいことの1つだと感じて嬉しくなった。大阪では3月6日か7日、もしくは13日にやることになりそうですが、他でも是非やってみたいので、プログラムを公開しますね。やってみたい方はよかったら、いつでも連絡してみてください 。 場をひきうけて設定するということは、とっても大きな体験。ときめきを感じたら思いきって連絡してみてくださいね。今までコンサートの企画をひきうけた友人たちが日本中にいますが、それぞれが役割を果たすことを通じて出会い育ちあっている感じがします。感じたことは遠慮なく相談しあいながら、いろんなところで繋がりを育てていきたいと思っています。

タイで感じたのは、日々歌うことで喜ぶ自分の心と歌を、タイミングよく届けて行きたいということ。ささやかだけど、深く染みとおる活動をしていきたい。だから、わたしの投げるアイデアボールがストンと心に落ち、取り組んでみたくなった方は気軽に声をかけてくださいね。意識や目的が共有できたところで共に働けるということは、なによりの遊びであり働きを生むと思うのです。(興味のある方はこちらを見てください)


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