2003年12月10日 山室 冬仕度


すっかり寒くなった。おととい、友人に手伝ってもらい、よく使う3つの部屋を外から透明ビニールで覆い隙間風を防ぎ、森林組合から2tトラックで運んでもらったカラマツの切れ端を家のまわりに積んだ。やっぱり薪も山の木の方が、ずっと長く燃えるしバイブレーションが柔らかいが、今年は山へ入っての薪とりまでは手がまわらず。来年は、こどもたちや友人たちと山へ入って薪とりをしたいな。
 先日、隣のおばあちゃんから野沢菜の漬け方を教わった。流しっぱなしの山の水の蛇口の下に、おばあちゃんがお嫁入りに持ってきたという大きな桶を置き、取れたての青菜を次々と洗っていく。「ここは山の水があるからね。おかげだよ。」と繰り返し言うおばあちゃん。「今年はどこでも、野沢菜がよくとれてね。町にいる娘も息子も『いらない。』って言うだよ。たくさん漬けても残ったら捨てる場所がないって言うだよ。この辺は畑を掘ればね、どこでも植えられるだに、『捨てる場所がない。』って、そう言われれば、そうだよね。」などと、いろいろ話してくれる。こういう時間が豊かさを運んでくるんだよね。 ちなみにおばあちゃんの教えてくれた野沢菜漬けは桶に青菜を敷いて、塩、黒砂糖、酢、とうがらしを振りかけ、青菜をしいて、また調味料を振りかけ、それを繰り返し、一番上にずっしりと重しをします。2日くらいして、青菜が水につかったら、重しを減らしていく、とシンプル。1週間でおいしく食べられました。春まではたっぷり食べられる程に、たくさん漬けました。 ちなみに、わたしが借りた家には漬物を置くための部屋まであるんです。

 明日からは、10日間のコンサートツアー。そして、23日からは、子どもたちを連れて初めてタイへ4週間の旅に出る。1月22日に山室へ帰ってくる頃は雪国になっていることだろう。タイヤも冬タイヤに変えたし、後は留守中、水道が凍結しないよう出かける時、蛇口を空けておかなくちゃ。

昨夜、久しぶりに本を一気に3冊読んだ。デイブ、ペルザーという男性の「itと呼ばれた子」という自伝で、実の母親にすざまじい虐待を受けて生きのび、逃れ、里子としての偏見と差別の中で成長し、そして心の傷を克服し自分の人生を生きるようになった苦悩と希望の物語。昨日、風邪で学校を休んだ八星と買い物に。「どらえもん」を欲しがる八星と一緒に本のコーナーへ寄った時、目にしたこの本が気になって全巻買い、一気に読んだ。デイブのお母さんは幼いデイブに食べものもろくにあげないばかりか奴隷のようにこき使い、精神的にも肉体的にも自分自身を好きになれないように徹底的に虐待した。彼の人生は、自分らしく生きることへの芽が踏みつぶされても、なお生き続ける希望と、そして虐待されても欺かれても、母からの愛を求め、それでも母を出しぬいて生きのび、さらに母を理解しようと苦闘するデイブの心を伝えてくれている。自分を生きるためには、自分の環境が正常でないと感じたら、自分の一部が属してしまっている正常でない世界から離れなければならない。このことが、非常に難しいのは人はどんな環境でも、その世界に適応する力を持っているし、一人になるよりも、自分の場があるのならばそこを維持することが安心であったりするからだ。
最近、友人が、あることで偽りを語り続けていたということが発覚して、わたしは傷ついた。本当のことであれば、どんなことでもまっとうに向かっていられたのに、わたしの気持ちを穏やかにするために 彼はいつからか嘘を語り、一度語った嘘は、次々と次の嘘を呼んで、わたしはいつのまにか虚構の世界に誠意を尽くしていた。言葉というのは 大変便利な道具であるけれど、心と言葉、そして行為が一致している人はどの程度いるのだろう? わたしは、友人との関わりをやめようかと思ったけれど、欺かれてもなお友人を嫌いになれなかったので、関係性を育て直している。
 欺かれても悔いないように、自分の直感にしたがって、自分の中心で生ききるように調整していく必要を感じた。人を信じることも大切だけれど、自分の中心を動かしてはいけない。
 
対等な関係でさまざまなことを分かち合い、共に成長してゆけるような日常を作りたくて、わたしは ある意味では正常に機能しなくなった元パートナーとの家庭を終わりにして、シングルとして再スタートを切った。でも、いつの間にか、偽りの上になりたった親しさがやってきていた。関係性に執着しないなら、いつだって本当のことを語れるはずだ。わたしは、偽りを語り続けていた友人を嫌いにはならなかったが、ただ、本当に悲しかった。

繕っていたものが発覚するということは、再スタートのチャンスでもあると思う。わたしは友人と随分、話しあい、そして、これをきっかけに今まで共有できていなかったこと、生きる指針についても 話し合っている。そこまで話さないと伝わらないし、深いところで出会い直さないと信頼も産まれてこない。少し時間がかかりそうだけれど、もし繋がってゆけるのなら、今までよりずっと深く関われることを感じ感謝している。自分も含めて、みな完全な姿を生きているわけではない。どこかで、ゆがんできてしまったいびつな自分を抱えている。本当の自分と出会い、この世にほんとの自分で生きていくチャンスとして 偽りの自分と対面しなくてはならない時があるのではないだろうか。

みなさん、親しい間がらでは、ほんとうの気持ちを伝えあおうね。それが愛だと思うんです。嘘の上に築かれた友情や愛情は、ほんとの喜びを運んでこない。どこかで崩壊していくよね。自分自身に誠実であること、身近な人に誠実であることが平和への第1歩だと思っています。


  ほんとの気持ち 2

ほんとの気持ちを伝えるのが辛い時もある
あなたの望みにわたしの気持ちが応えられない時
怒りであなたは胸を閉ざす 傷つけられたと思ってしまう
思いだして わたしは あなたを 愛してる
忘れないで わたしは あなたを 愛してる
 
わたしがわたしで あることが 辛い時もある
あなたのために動いてあげたい でもできないわたしがいるよ
怒りであなたは胸を閉ざす 傷つけられたと思ってしまう
気持ちを話して 受けとめあおう あなたを愛してる
こだわり手放し 分かち合おう あなたを愛してる

満天の星 吐く息白く 薪を運びに おもてに
家の中では柔らかな火が 静かに夜が更けている
あなたはいない どこかの町で 喧騒の中を生きてる
わたしがわたしで あることが 愛することの始まり
あなたがあなたで あることが 愛することの始まり
思いだして わたしは あなたを愛してる
忘れないで わたしは あなたを愛してる


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