2003年11月3日 いわき市 山の音楽会 


2日、登米郡は南方市でコンサートを終え、ウッドベースのでんちゃんの車で翌日のコンサート地いわきの戸渡(とわだ)に着いたのは、もう深夜3時をまわっていた。携帯も入らない山の分校が雨の場合の会場で、晴れたら山の中でコンサートと聞いていたので、家もまばらな山のくねくね道に分校らしきものを見つけて「このへんかもよ。」といきなり元気になったわたしは車から降りてみた。降るような星空。さっきまで、コンビニで買ったクッキー付き300円の南さおりのCDとか下村さんの昔懐かしいCDとかを、下村さんが大きめに鳴らしていて、でんちゃんの眠気をさます気づかいをしてるふうだったけれど、わたしは最初から体を休めなきゃと、時々爆睡していた。やっぱり、ひとつライブをこなしたら、それなりの休息が必要になっている。でんちゃんや下村さんだとなんだか安心して、そのまんまのわたしだった。
 分校あたりをうろついてから、コンサートの主催者、吉田さんからファックスしてもらった地図があったことを思いだし「これこれ、これがあったよ。」と取りだした地図を頼りに吉田さんの家までたどりついた。吉田さんが仲間たちと建てたという素敵なログハウスに、コンサートスタッフや家族が眠ってるところをそっと通り抜けて2階の案内された部屋で眠った。
 朝9時からの「森の探索」はパスして11時頃、森の中にあるというコンサート会場へ。落ち葉を踏みしめて楽器を肩に10分くらい山を登ると、落ち葉の敷き詰めた開けた森の斜面に座ってステージが見れるように、ステージがしつらえてあった。マイクスタンドがたっているステージまで歩いていくと不思議な感覚に包まれた。「あれ、ここって、エルクバレーのオークグローブじゃないの?おかしいなあ。いったい、どうしちゃったんだろう。」この森、この感じ、まさにオークグローブ(樫の森)って呼んでいた住み馴染んだ北カリフォルニアのわたしの愛した森なんだ。

 「この森の向こうに坂道があってね、そこを降りていくとわたしの家があるんだよ。」なんて、わけのわからないことを下村さんに説明。リハーサルをやって、さらに感慨深くなった。わたしは1992年、長男アマチの出産のために山の懐の静かな自宅というイメージに導かれて、妊娠6ヶ月で元パートナーと共に北カリフォルニアに渡っている。標高1000mの山中にある小さな家を借りることになり、2ヵ月後、専門家の助けなしに基本的に夫婦で迎えた出産を通じて、直感を信じることを学びとった。直感を捉えられるようになる訓練には、山の静けさと、情報のないシンプルな暮らしは最高。その山で、子育てし、町に降りての音楽活動を素朴に展開させて8年アメリカで暮らした。山の暮らしで、わたしの中心となった時間はオークグローブで過ごす時間。1日30分でも一人で森へ行き、瞑想し、歌い、バイオリンを弾いた。その頃の隣人が、その人里離れた山の中でリトリート(その山で取れた食べものを食べてもらい、文明から離れた静けさの中でそれぞれの人生の目的をもう一度感じなおす憩いの場)を
したいと方向性を打ちだして、家の建て増しやガーデンに力を注ぐようになって、わたしの中に触発されたイメージは、オークグローブでのコンサートだった。山の静けさの中で生まれた歌を町へ歌いに行くというスタイルを逆転させて、町の人達が森に憩い、森の中で音楽を味わったら、どれだけ深く伝わるだろうか?わたしを憩わせ、心の奥にある光を感じ取らせ、歌を授けてくれていたのが、その森だったから。

戸渡の森で歌いながら、わたしはエルクバレーで歌っていた。あの森とこの森は繋がっている。そして、わたしの思いと佳子さん(森でコンサートしようと言いだした)の思いは繋がっている。目には見えないけれど、繋がってるんだという実感。自分が思ってもできなかったことを、こうして実現してくれて、そこで歌ってるなんて、想像を越えている。

戸渡リターンプロジェクトは、4年前に廃校になった分校の校舎を守るために始まった村おこしだそうだ。12世帯しかいない過疎で高齢化している村人たちが協力しあって、こうしたユニークな企画を実現させているなんて、どうしてやれちゃてるんだろう?村人以外に応援団と腕章をしたスタッフが手伝ってチームを組んでいる。村人と応援団とがみなそろって打ち上げをした。こういう交流の場、それぞれの感想を言いあう場が心を繋ぎ、次へと繋げていくんだなと感じる。わたしも村のコンサートの企画を始めているけれど、こういう席はまだ設けたことがない。
 この日の参加者は約200人。歌っていたわたしも、すっかり森の気に清められて、打ち上げでも爽やかで、裏方でコンサートを聞けなかったスタッフのために歌うことにした。森山良子の声に似てるという声に、すかさず伴奏をはじめた下村さんの乗りで、森山良子の歌まで歌ったりした。

下村さんも、分校まで来た時「ここへは来たことがある。」と驚いていた。数年前道に迷ってこの分校まで来てしまい、佳子さんの車に乗せてもらったことがあり、ふたりは顔を合わせ気づいた時、お互いに驚いていた。なんだか偶然が重なる。来年、次のCDのレコーディング地として、この分校も候補になりました。岩手のでんちゃん、千葉の下村さん、長野のわたしが結集し易い地域ですしね。ほんとに縁って面白い。 ちなみに、わたしが吉田さんに出会ったのは、19年くらい前だったと思います。福島の河内村の獏原人村のお祭りでおそば屋さんをしていた吉田さんにおそばを注文して、ステージで遊びでドラムをたたいていた若かりしわたしの足元におそばを運んでくれたのが出会い。はじめはゆっくりと、そして急速に深まってゆくのが縁の面白さですね。また、再会できる時が楽しみです。

(写真はいわき市の吉田さん提供‥‥クリックすると拡大します)


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