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◆生命の中に宿る神佛の声を、耳で見て、眼で聴く

生命の中に宿る神佛の声を、耳で見て、眼で聴く
        ― 稲垣伯堂 ―

 仙人と話をしているような、そんな心境に陥る。仙人に会ったことはない。しか
し、もし存在したとすれば、きっとこのような人であったにちがいない。白髪痩身の
体躯に、炯炯たる眼光。草木や花、蝶や小鳥、月や星を見つめ、その声に耳を傾けて
きた人が話す言葉は、すべて神話のように心に響く。日本画家、稲垣伯堂氏の絵はよ
く「神佛との対話」と評される。
 「この世の花は皆、一つ一つ違う。日当たりの良い所に咲く花もあれば、日陰で咲
く花もある。それぞれが一生懸命に生きている。だから同じ花を咲かせてはいけな
い。『どこまで描かせてくれるのですか』と心の中で祈ると、花の声が聴こえてくる
のです。『私のここを描いて、こんなふうにして描いて』と。私はただ、そのとおりに
描く。自然との対話は実に楽しい。自然は絶対に嘘をつきません」。
 古唐紙や古和紙、明墨などの古名墨や、古名硯など、本物の文房四宝を使用し、自
ら紙を漉き、米の籾殻からとった煤や世界各地の岩石から墨や絵具をつくり、木の枝
などで筆までも拵える。氏が常に最高の素材を使用するのには、明確な理由があった
のだ。各々に最も相応しいものを使わないと対象が「承知しない」という。しかもそ
れらの名墨や自作の墨と「会わせてくれた」のは神佛であるという氏の芸術は、こだ
わりの域を超えて、限りなく自由である。しかも、見る側と見られる側、という両者
を隔てる枠は、絵を介して無化され、氏は対象と一体化している。
 『風外聴竹』。そこには対象そのものを描いているのではなく、竹とでんでん虫と
一緒になって遊んでいる氏の姿がある。「風が吹いて『竹の声を聴いてくださいよ』
という声が聴こえる。すると一生懸命に生きている竹と自分が一緒になる。そこへで
んでん虫がやってきて、竹を友達として嬉しそうに『遅くてもいいから、ゆっくり頑
張りなさいよ』と言ってくれた。私は一緒に遊んだのです」。自然と遊び、墨と遊
び、紙と遊ぶ。白髪の仙人の眼には、神社の神官の四人兄弟の末っ子として生まれ、
和歌山の自然の中で元気いっぱいに遊んだ子供の頃の輝きが、今も宿っている。
 「私の絵は信仰です。人間として生まれてきた以上、みんな自分の中に神佛をもっ
ている。神と呼んでも、佛と呼んでも、何と呼ぼうが構わない。とにかく心を静かに
してその声に耳を傾け、背伸びせず堂々と、あるがままに生きていけばいいのです。
そのままであるということ、それが王道ということです」。
 仕事部屋の奥の間にある、朝鮮の古い小さな吊り鐘。この鐘の音を聴いた人は幸せ
になるという。創作の折に心静かに聴くときもあるという、その鐘の音を聴かせてい
ただいた。人が何をするわけでもなく、あるがままのその音はいつまでも響きわた
る。すべての生命の中に宿る神佛の声、そして自らの生命の中に宿る神佛の声を、耳
で見て、眼で聴く。静かに澄みきった心は、すべてと調和して一つになる。世界を受
け入れる瞬間である。