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なまえのある家「Rupa」


新たな芽吹きを誘うハレの食べ物 雑煮

 初々しくも、福々しく。澄みわたる清浄さと、あふれんばかりの豊穣。日本のお正月は、不可思議なまでに光に満ち満ちた感覚を与えてくれる。しかし、それは時の流れと共に自ずともたらされるのではなく、神仏に礼を尽くし家族の心をつなげてこそ、招き迎えることのできるものであった。
 また正月は、数え年で齢を重ねた戦前まで、年神様を迎えることで年をとる、家族全員にとっての誕生日でもあった。古来、魂はウブと呼ばれることがあり、それは容易に抜けやすく、折々に体内に入れ直さなくてはならないと言われた。つまり年を取るということは、正月に新たなウブとしての再生のエネルギーを取り入れることであり、1年でもっとも重要な家庭内祭祀だったのだ。神に捧げた供物(餅)を下げて、新年の福火と若水によって煮た料理を神と共に食すことで、自らの内に新たな力をしっかりととどめる。その料理こそが、直会とも呼ばれる、雑煮である。
 雑煮の歴史は定かではない。穀類の伝来以前の主食は芋であり、餅は後から加わった可能性が高い。近年まで、餅の代わりに里芋を食す風習「餅なし正月」のある畑作地帯もあった。19世紀の八丈島では、正月三ケ日はカシラ芋だけ食べ、4日に福出という餅を雑煮にする「オブスナ祝」が行われていたという。昭和以降も、福出にタマシイという小餅をつけて神棚に供え、4日に下げて雑煮にした。餅を食べることで、オブでありウブである魂を取り入れたのだ。後に加わりながら、かくも重要視された餅。一つの釜と臼でこしらえ、各神棚を経て分与される餅は、その白さと丸みも相まって、魂や霊力の象徴として御神体の役割をも果たすようになったのだ。

 古くからの年迎え行事が継承されている東山中(大和高原)。年迎えはすべて、家の主人が取り仕切る。昔は雑煮も男性がつくったが、現在は主婦が前もって下ごしらえ。年迎え行事の開始とともに男性が最後を仕上げる。当主が火を点け、味噌で濃いめの味に調え、若水を混ぜて豆腐を加える段取りだ。とにかく年迎え支度のピークは大晦日。雑煮の下準備やお節料理づくりなど、主婦の仕事がようよう一段落ついた夕方。山添村のいくつかの集落では迎え火の行事が行われる。「福丸、こっこー(福の神よ、来い)」と連呼して、松明に火をとって家に持ち帰り、神棚の灯明や、雑煮づくりのための神聖な火として使うのだ。火を持ち帰った後は、福が逃げないよう戸をしっかり閉めて過ごす。
 かつて大晦日は、神迎えのために夜を徹して過ごす神聖な時であった。柳田國男によると、古来、一日の終わりは日没、一年の終わりは大晦日の日暮れで、その晩こそが年迎えの本番であったという。真偽はともかく、今も暗いうちに行う年迎えの開始時間や順序、内容が家ごとによって異なることが注目される。氏神の行事ではかくも事細かに共同で祭祀を執り行うにもかかわらず、家内祭祀はかなり個性が際立つ。各家庭の事情で変遷を辿ったプロセスが、家ごとに親から子へと大切に継承されているのだ。「昔は、家のこと終わってから初詣やったなあ」という声を度々耳にする。外に出向く前に、まずは細心の注意を払って家内に神を迎えることが重要視されたのだ。村は、家族の絆があってこそ成り立っていた。
 とにかく多くの家では「若水汲み」で、凛とした年迎えが始まる。夕食前、夜12時、まだ暗い早朝など、スタート時間は家によりまちまちだ。しんと鎮まりかえった宵に、当主が井戸から桶へと杓子で水を汲む(「福丸、こいこい」と唱え汲む家も)。その若水で顔と手を洗い身を清めてから、雑煮に若水を加えて仕上げる。待ちかねた女性たちも起きて若水で清めた後(夜に行う家では起きたまま)、一家がうちそろう。家中の神仏に灯明を灯し、切っておいた雑煮の具と餅などを供える。そして家族一同で座敷に並び、当主から順に感謝を込めて幸を祈る「拝み膳」の拝礼を、恭しく執り行う。
 あとは神と人との直会だ。お屠蘇と雑煮を頂く。いつもと異なり、男性陣が餅を焼いて給仕してくれるのが、また改まった気分にさせる。お腹が満たされたところで、神迎えの完了。地元の氏神の初詣でに行った後は、稲積み(寝ること)して、ゆるりと元旦を過ごす。

 山添村北野のとある古民家に集まってくださった地域の古老たち。古くからの年迎え行事を継承してきた先達たちのご厚意で、雑煮をつくっていただくことになった。「ちょっと早いけどなあ」と、Aさんが自宅の畑から抜いてきてくださった大きな唐の芋。軽トラから下ろした途端、皆が素早く手を伸ばす。女性は芋の皮をこそげ、男性はズイキの皮をむく。山添村近辺では「人のカシラに立つように」と、カシラ(親芋)を切らずにそのまま雑煮に入れる。野趣あふれる巨大なカシラが主役然と鍋で煮立っている様は、楚々として上品な正月料理のイメージではない。しかも大晦日はお釜さん(竈)がフル稼働する、一年でもっとも多忙な日。吹きこぼれないようにお釜の蓋をちょろっと開けてみたり、「薪、さしくべてや」と子どもらに声かけたり。煮豆や昆布巻きと言えば、コンロ(七輪)の炭火でじっくりと。お釜さんの焚口が流しの反対、座敷側を向いているものだから、とにかく主婦はよく動き回る。「お釜さんはニワ(台所の土間)の王さんやから、向きは決まってんのよ。こっちが動かな」。普段の食事時は、主婦だけ座敷に上がらず、w?お釜さんと座敷の間に置いた腰掛に座り、前に後ろにくるくると向きを変えては家族の給仕と料理を同時にこなした。自分の食事は合間にささっと済ます。それだけに男性が給する雑煮は、より一層美味しかったのではないだろうか。家長として権威を示すというよりも、主婦に対する労いや思いやりも込められていたのだろう。家族でこしらえた雑煮を、家族そろって食べることの慶び。絆を深め思いをひとつにする食卓にこそ、神は到来する。
 ところで夜を徹して年神を迎える正月には、「寝る」という言葉を避けて「稲積む」と呼ぶ。雑煮で心身が満たされた後、正月にだけ許される朝からの贅沢な稲積み。稲積みとは、沖縄では籾種を貯蔵するために積む収穫後の稲のこと。また能の翁舞に登場する稲積翁は、稲を発芽させる種おろしの行事に関係するという。つまり雑煮の後の稲積みは、まさに新たな発芽を促す、自らの再誕の始まりなのかもしれない。
 聖なる火と水による陰陽和合で顕現した新たなる魂。芋や餅が入った雑煮は、消費者としてではなく生産者として日々を懸命に生きてきた農家の人々の思いの結晶だ。願わくは家族に、田畑に、健やかな芽ぶきを。めでたき、芽出度き、新たなる再生の光に包まれて。春、来たり。

・参考文献
『やまぞえ双書 年中行事』山添村年中行事編集委員会
渡部忠世・深澤小百合『もち(糯・ 餅)』法制大学出版局
谷川健一「翁と翁舞の原像」『季刊 東北学9号』柏書房、『日本の神々』岩波書店


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 奈良盆地の東、奈良、三重、京都に広がる山間部は奥大和・元大和であり、巨石に関連する聖地や縄文遺跡が数多く存在しています。このエリアにご縁を感じる方には、お話をお伺いして、関連すると感じられる地へご案内します。宿泊も可能です。お気軽に遊びに来てください。 rupa@kcn.jp  0742-94-0804


名前のない新聞 No.152=2009年1・2月号 に掲載