amanakuni Top | なまえのない新聞ハーブ&アロマ | 八丈島の部屋テロ/Top

Terro in USA

有事法制が民主制を破壊する


どうもはじめまして。岩手県で学生をしております日下(くさか)と申します。
<中略>
今回の連続テロ事件が契機となり、日本ではまたもや「有事法制」の整備を
求める声が姦しくなってきました。
このことに対して、手始めに問題提起させてください。

(9月17日に、私が主宰するML『僕らの戦争論』
http://www.freeml.com/ml_info.php?ml=spicenet-a
にて発表した文章から一部抜粋したものです)

■□■有事法制が民主制を破壊する■□■

<1>民主制の礎になった、近代法の基本理念とは

 イギリスの思想家トマス・ホッブスは、近代国家のことを「リヴァイアサン」と呼
びました。リヴァイアサンとは、旧約聖書に出てくる怪物の名前です。この怪物は無
敵で、一度立ちあがれば、神々でさえ戦慄して逃げまどうばかりで、どんな武器も通
用しません。ホッブスは近代国家をこの怪物に喩えたのです。

 もし、国家権力が何の制約も受けずに自由に動き出したらどうなるでしょう? 誰
にもそれを食い止めるだけの力はありません。何しろ、近代国家には軍隊や警察とい
う暴力装置があります。やろうと思えば、人々の手から財産を丸ごと奪うことだって
できるし、さらには国家の命令ひとつで、人々を徴兵して、命を戦場に投げださせる
ことも可能なのです。

 この怪物を縛るために、さまざまな制度(議会、裁判所など)、法律(近代法)、
さらに憲法というものが、長い長い試行錯誤を経て整備されてきました。

 法律とは、「国家権力による、誰かに対する強制的な命令」といえます。その「誰
か」は、民法なら日本国民全体ですし、刑法であれば裁判官です。刑事訴訟法であれ
ば、行政権力が対象となります。法律は、権力を持つ者をも絶対的に縛るものです。
権力を持っていれば法律だって無視できるというようでは、それは法治国家とはいえ
ません。

 そのような国家権力による法律の無視を避け、さらに国家権力が自らにとって都合
のいいように法律を制定したり、改変したり、解釈したりするのを防ぐために、民主
制国家においては、国家権力を三つに分けました。法律に基づいて国民を統治する行
政権力の他に、法律を制定、改変する立法権力と、制定された法律を解釈する司法権
力を独立させたのです。いわゆる三権分立というやつですね。

 これでもまだ、国家権力という「怪物」が暴れ出す心配があるというので、さらに
国家権力を縛るために制定されたのが憲法です。憲法とは国民に対して書かれたもの
ではありません。憲法とは、司法、行政、立法といった各権力の権力行使の範囲・手
法を縛る命令です。各権力は、この憲法による命令に背いて権力を行使することはで
きません。例えば立法府であれば、憲法の理念に反する法律は制定できないのです。
もちろん憲法自体の改正も可能ですが、法律と比較すれば遥かに難しくなっており、
国家権力による安易な改変を防ごうとしています。

 つまり、国家権力を徹底的に信用せず、自由に動き出さないように国家権力をぐる
ぐる巻きに縛りつけようとしたもの、それが近代法なのです。この近代法の概念こそ
が、デモクラシーの誕生につながり、さらに西洋近代文明の礎となったものだといえ
ます。

<2>有事法制が民主制崩壊の引き金となる危険性

 こうして近代法の概念をさらっとおさらいしただけで、「有事法制」の問題点が顕
わになってくるのではないでしょうか。
 「有事法制」とは極論すれば、国家権力が「非常時」と判断したときに、己を縛る
「制度」「法律」「憲法」を国家権力が無視して、その権力を行使できるようにする
というものです。つまり、立憲主義に基づいた民主制が機能しなくなるわけです。

 「有事法制」というのは有事の際に即座に適用されなければ意味がありません。
「有事」というのは殆どの場合突発的に起こります。したがって、緊急事態に際し
て、その事態を「有事」と判断するか否か、「有事法制」を適用するか否か、極めて
迅速な判断が求められるのです。誰がそれを判断するのですか? そこでは、必然的
に民主的手続きが軽視され、権力を行使する側が恣意的に判断をする余地が広範に生
れます。ここが、新たな「リヴァイアサン」誕生の突破口となる危険を孕んでいま
す。

 立憲主義にもとづく民主制に「例外」を認め、国家権力への制約を緩める「有事法
制」は、結果として民主制の崩壊につながりかねません。国権を拡張し、国民の権利
に制約を与える「有事法制」は、日本国憲法はおろか、そもそも近代法の概念、民主
制の理念すら否定、もしくは軽視したものです。「有事法制」の整備など、民主制国
家の住人であれば安易に主張できることではありません。民主制という非常に壊れや
すい制度に対する基本的認識が欠如していると言われても仕方がないと思います。

 そもそも、日本では現状においても相当程度民主制が崩れているといっても過言で
はありません。日本は、戦前は軍官僚によって国家の意志決定がなされていました。
今は、軍官僚に代わって経済官僚が、意志決定過程をほぼ独占しているとはいえませ
んか。官僚が、国家権力を恣意的に利用して己の利権を貪ってはいるとはいえません
か。日本は、いわば官僚独裁国家ではありませんか。

 なぜこのような状態になったのか。第一に、憲法の厳格な適用がおろそかにされ、
憲法が事実上死に体になっていることが問題です。そして、法律を作るのも、解釈す
るのも、その殆どを本来は行政権力を持っているにすぎないはずの官僚が代行してし
まっている。立法権力と司法権力が本来の役割を果たしていません。さらに「第四権
力」といわれるマスメディアは、どうしようもない体たらくです。

 こうした現状を改め、正常な民主制国家を標榜するのであれば、なおのこと、法律
・憲法を厳格に適用し、一切の例外を認めない姿勢が必要となるでしょう。現状で
「民主制」に例外を認める「有事法制」などを認めれば、ただでさえ強大な権力を持
つ官僚たちに、さらに恣意的に運用できる権力を大幅に追加して与えることになり、
日本の民主制がさらに加速度的に崩壊していくことにつながりかねません。

■ □ ■ □ ■ □ ■
日下 羊一 くさかよういち

terrorism in USA

amanakuni Home Page