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Terro in USA

報告:「生きているアメリカの抵抗運動」(10月1日)


米国市民による抵抗運動が、インターネットの中から街頭へと大きく動き出し始め
た。9月11日からしばらく大手メディアによる戦争プロパガンダの陰で鳴りを潜めて
いた戦争反対派の人々は、それぞれの声と姿をもって外に現われ出て来たのである。

9月29日と30日、あの事件後では最大規模のデモがワシントンDCで実施された。29日
のナショナル・マーチには、全米各地から貸し切りバスやバンに乗って来た人々を含
めて1万人以上、30日のコミュニティー・マーチには地元の人々を中心に約5000人が
参加した。

29日のナショナル・マーチの集会場となったホワイト・ハウスに近いフリーダム・プ
ラザ(220m×65m)には、メッセージを書いたプラカードを持った人々で溢れ、国
会議事堂へ向かう行進は9車線ある車道を大群衆で埋め尽くして進んだ。

ドラムを叩き、鐘を鳴らし、抵抗の音を響かせる人達。伝統的なイスラムの装いで
堂々と歩く人達。メイキャップや仮装をしたり、足に括り付けた竹馬にのって自由を
闊歩する人達。韓国の伝統音楽で行進を激励する人達。ガスマスクに黒ずくめの衣服
で拳を上げる人達。団扇太鼓に平和を祈り歩く人達。子どもの手を取りゆっくり歩く
人達。車椅子や乳母車を押して進み行く人達。恋人と肩を抱き合って歩く人達。踊り
ながら歩く人達。大掛かりなストリート・シアターの人形を掲げて歩く人達。メッ
セージを書いた紙を持ち、プラカードを高く掲げて歩く人達。チョークで車道にメッ
セージを書き付けながら歩く人達。カメラやビデオを手に行進の記録を取りながら歩
く人達。

「よかった。やはりアメリカの抵抗運動は生きている」。赤ちゃんから老人まで、肌
の色さまざま、出身国さまざまな、宗教さまざまな人々が参加したその行進の中に私
は身を置いて、今までにない誇らしげな気分と喜びを感じていた。1998年の米軍によ
るバグダット空爆反対のデモにも私は参加したが、あの時とは比べものにならないほ
ど、今回の行進には「今、反対の声を上げる時」という人々の強い意志が感じられた
のだ。

9月11日以降、さまざまなメッセージがe-メールで送られて来るが、9月23日にはフロ
リダの平和活動家からマーチン・ルーサー・キング牧師による1967年のリバーサイド
・チャーチ(ニューヨーク市)での演説文の一部が届いた。「沈黙が裏切りである時
が来た」で始るパワフルなメッセージは、おそらく転送を重ねて数えきれない人達を
励まし勇気づけたことだろう。

「本来あるべきアメリカの民主主義は、米国民が民主主義に則って正直に話す勇気を
見出した時に実現する」と、作家ウィリアム・グライダーは著書『誰が人々に知らせ
るのか』(Who Will Tell The People)の中で書いているが、戦争を宣言したアメリ
カ大統領に大幅な権力が与えられている今こそ、米国民は沈黙せずに大声をあげ、疑
問を投げかけ、討論を要求していかなければならないのだと思う。それが力を合わせ
て行動する草の根市民の真の力であるにちがいない。

◆ 新しい戦争に対抗して立ち上がった反戦・反人種差別連合体
「International A.N.S.W.E.R.」

ブッシュ政権がアフガニスタンへの軍事作戦に突き進むなかで、危機感を感じた市民
達は各地の平和活動団体を中心に集まり、さらにそれが全米的な連合体組織として誕
生した。「戦争と人種差別がその答えではない」(War & Racism Are Not the
Answer!)という明解なメッセージを掲げて誕生したこの団体の緊急プレス・リリー
スは、デモの五日前の9月24日に行われている。正式名称は「戦争を止め、人種差別
を無くすため、いま行動を」(Act Now to Stop War & End Racism)というもので、英
語の頭文字をとって「ANSWER(アンサー)」と呼んでいる。なかなか洒落た名前と感
心していたら、急遽つくられた連合体であったにも拘らず、名前が発表された時には
既にマス・デモンストレーションが予定されていたので驚いてしまった。

この連合体の母体となっているのは、ニューョークに本部のある「インターナショナ
ル・アクション・センター」(以下、IAC)である。この団体は数ヶ月前から、9月29
日と30日に予定されていた世界銀行とIMFの総会に抗議する目的で「ホワイト・ハウ
ス包囲集会」を計画していたという。9月11日後にその総会が中止となり、反IMF・世
界銀行のデモへ参加を予定していた各団体がワシントン行きを取り止める中で、IAC
はデモの目的を反戦と反人種差別に変えて29日のデモの準備を進めてきたということ
である。

最近、イタリアのジェノバにおけるG8サミットへの抗議デモで死亡者を出した後だけ
に、厳重な警備の中で実施された反戦デモの群集を平和的な行動へと導き、終了させ
ることが出来たのは、やはりマス・デモンストレーションの組織化に慣れた彼らの経
験と努力の結果と称賛したい。

◆ もう一つの行進「コミュニティー・マーチ」

ここで9月30日に実施されたもう一つのコミュニティー・マーチについても報告しな
ければならないだろう。こちらの行進は反戦平和のメッセージを地元の人々に届ける
ために企画されおり、行進はワシントンDCの商業地区と住宅地区を三時間近く練り歩
くものであった。主催団体はワシントンDC地区で社会正義のための教育活動をおこ
なっている「ワシントン・ピース・センター」と平和活動を活発におこなっているク
エーカー教徒の人達による「アメリカン・フレンズ奉仕委員会」。

29日の行進より参加人数は少なかったが、集会場となったマルコム・X・パークには
一人一人の参加者の顔がよく見える親しみのある雰囲気が漂っていた。実際、私は近
所の顔見知り三人と出会って言葉を交わすことが出来た。これは29日の行進にはな
かったことだ。そして、公園にはTシャツやバッジや絵などを売ったり、情報交換の
ためのテーブルも並べられていて、行進がこの公園から出発した後も人が絶えること
なく集まって来ていた。このマルコム・X・パークはラテンアメリカ出身の労働者が
多く住んでいる地区にあり、公園の半分ではサッカーを楽しむ人などもいて、共に自
然に反戦平和のメッセージを耳にするといったリラックスした環境は、あの悲劇を共
有した私たちにとって大切なことと感じられた。

りっぱなステージの上では、平和へのメッセージが語られ、歌があり、詩が朗読され
た。活動家の友人の薦めで私もステージに上がり、1991年の湾岸戦争の時に書いた詩
『世界で一番大きくて 醜い人間とは?』を朗読した。10年前は日本語で、そして今
回は英語での朗読だったが、やはりこのような時に10年前と同じ頁を開けてを朗読す
るのは悲しいことだった。

◆胸につける反戦平和のマーク

今、私の胸にはWAR IS NOT THE ANSWERと書かれた半径2センチほどのバッジが付い
ている。9月29日の行進に参加した日本山妙法寺の市川尼僧の厨多袋に付いていたそ
のバッジの由来を尋ねたら、「どうぞ」と言われてそのまま私の胸へとやって来た
バッジだ。

これから外へ出る時にはいつもこのバッジを胸にして出ようと思う。きっと顔を横に
向ける人に出会うだろう。そして、きっと同じようなメッセージを身に付けた人にも
出会うと思う。そんな時はどちらも笑顔で胸を張りたい。行進が終わり、そんな勇気
と希望がむくむくと湧き出して来た。

◆参考サイト:
・International Action Center http://www.iacenter.org
・International A.N.S.W.E.R. http://www.internationalanswer.org
・Washington Peace Center http://www.washingtonpeacecenter.org

International A.N.S.W.E.R.は、10月12日〜13日を「戦争と人種差別に反対する国際
行動の日」として世界各地での参加を呼びかけています。

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US-Japan Environmental Action Center

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