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なまえのある家「Rupa」

第一回 Rupaの意味

 私は今、奈良県天理市の古い集落に住んでいます。
 天理市の名の由来は天理教という宗教です。明治時代の初期に、中山みきという女
性が3日間に及ぶ強烈な神がかり状態になって得たインスピレーションが、その起
源。昭和初期まで、彼女に続く何人かの霊能力者が現れては消え、分派しては散って
いきました。私達が京都から天理に引っ越してきた時の最初の感想は、「空が広い」
こと。そして、天から降り注いでいる何かを受け止めているような、大地のほっこり
とした温かさ…。今、みきさんが神がかりになった古い屋敷跡は、聖地として巨大な
檜造りの和風建築物が建ち、大勢の信者さん達が規律正しく組織を維持しています。
引越当初は(さぞかしお金と時間とエネルギーがかかるのだろうなあ…、すごいな
あ)と、畏怖堂々とした建築物を見ていたものです。黒いハッピを羽織ったまじめな
信者さん達ですが、彼らが目指し、常に実践しているというモットーは「陽気暮ら
し」。日々楽しく生きる。こんなに普通でシンプルなことをするために、こんなに大
規模なシステムが必要だなんて。

       *******

 3年前、私の現在のパートナー、金子亘(かねこわたる)が10年間の濃厚沖縄生活
にピリオドを打ち、内地に移住することになりました。実験的に共同生活を始めるに
あたって、どこに住むかということになり、何も知らないのに「京都の北方、鞍馬が
いいんじゃないか」と、なんとなく話がスムーズにまとまりました。そこで私は京都
の不動産屋さんに赴き鞍馬の物件を探しましが、そんな山間部に手頃な物件はあるは
ずもなく、代わりに紹介されたのが、かなり南に下がった西賀茂でした。大将軍神社
(星と方角を司っているらしい)という小さな社を道に挟んだ西隣、「大将軍荘」と
いう古いアパート。そこに住んで1年ほど経たった頃、私は故郷の奈良に無性に戻り
たくなりました。そこへ、奈良の友人、小川知子からパーティの招待状が舞い込みま
した。「岐阜の加子母村に森の交流大使として赴くことになったので、奈良で送別会
のようなものを開催する」という内容。「奈良に引っ越すから参加する」。私は声に
出して宣言し、送別会当日、“くのいち”のように着物を着付けて、亘と共に南下し
ました。そして、天理の家、Rupaと出会ったのです。
 小川知子の友人のミュージシャン、小向定が以前、ヒッチハイクした車を運転して
いたカメラマンが、送別会当日に来ていたのですが、彼の奥さんの職場の同僚の実家
が空き家になっていたのでした。しかし、その頃、諸々の事情で、私達はすぐにはそ
の話に乗れず、引越の件は保留に。田舎でもなく、都会でもない、地味な「天理市」
ということもあって、気も向かず、宙ぶらりんな状態のまま数ヶ月が経ちました。
 ところが一九九九年七月、突然、異変が起こりました。私と亘、各々のサイキック
な友人達が相次いで遠方から京都に訪れ、私達は彼らに誘われ、各々に改めて鞍馬詣
を果たしたのです。とにかく京都を離れ、天理に行こうと思いました。翌月、家の下
見に行き、入居を即決。途端に引越資金が貯まり始め、準備も整い、九月末日、移住
決行。東海村の原発事故を告げるラジオニュースを聞きながら、私達は流れるように
南下しました。

     *******

 下見に行く直前、大家さんから古い集落の端に建つ広い家であることを聞いた私達
は、とてもワクワクしていました。まだ見ぬ家に、親しみと愛情を込めて、名前をつ
けようか。そうしたら、空き家だった建物が生命を吹き返すんじゃないか…。時折、
夜中に意味不明の寝言をつぶやく習性をもつ亘が、自分が覚えている寝言をひとつ候
補に挙げました。「ルパ」。よくわからないけど、シンプルで響きも良いので、私も
賛成。ちょっとカッコつけて、アルファベット表記にしようということになりまし
た。
 「ところでRupaって、どういう意味なんだろうねえ」。それ以降、二人の間で時折
話題に上るようになった会話です。もちろん、学もセンスもこだわりもない私達に
は、「さあ…。まあ、どうでもいいか」という言葉で会話をしめくくる以外に術はあ
りません。とにかく、古いRupaを毎日掃除することから、天理での生活がスタートし
ました。すぐに、「どんな家なの」という問い合わせが、友人達からくるようになり
ました。流されるようにして天理にたどり着けたのも、多くの友人知人のおかげ。広
い家だし、この際、まとめてみんなを招待しようかということになり、十一月十三日
にお披露目パーティを開いたのでした…。
 それから一年半近くが経った、二〇〇一年二月現在。「Rupaでやっているおもしろ
いイベントについて書いてよ」と、あぱっちさんに頼まれて、恩返し状態で書いてい
る私がいます。「フリースペースを主催して、よくイベントを開催しているんですっ
て、何してるの?」と、聞かれることが増えました。それに対しては「いや、まった
く普通の家なんですよぉ、私達は何もしていないんですよぉ」と応えているのです
が、なかなか詳しい説明ができないのです。どもっていると、「今度そっちに寄って
いいですか」となり、「どーぞ、どーぞ」となります。小さな出会いが集いになり、
それが気が付いたら時折楽しいイベントのようなことになる。これぞまさしく、
「天理の陽気暮らし」。

       *******

 次のようなエンターテイメントに出くわす機会が多いのは、私達だけでしょうか。
 例えば、映画『マトリックス』。さんざんSFX的世界を展開した挙げ句、最後の場
面で主人公ネオは、非SFX的である普通の日常世界にたどり着きます。例えば、私達
の友人が企画したTVゲーム『Moon』。ロールプレイゲームの中に入り込み、愛を集め
ることで活躍する「私」ですが、ゴールに着くためには、最終的には「私」がゲーム
の中でゲームを終わらせ、日常生活の中に帰らなくてはいけません。近頃、似たよう
な展開のストーリーが多く出てきているような気がしますが、共通項を言葉にするの
は難しい。敢えて言うなら「あることを極めることによって、それ自体が消滅し、あ
ることが完結する」というような感じでしょうか。そして、その鍵はどうやら「普通
の日常生活」、「身近なこと、身近な人々」にあるようです。
 極まり、なくなる時。映画が「映画」でなくなる時、ゲームが「ゲーム」でなくな
る時、フリースペースが「フリースペース」でなくなる時、施設や病院が「施設や病
院」でなくなる時、精神世界が「精神世界」でなくなる時。その時、すべてが映画に
なり、ゲームになり、フリースペースになり、施設や病院になり、精神世界になり、
結果として、そのもの自体が消滅します。有って無いもの、無くて有るもの。然るべ
くして在るもの。そこには、ジャンル分けしようのない時間と場所、ごく当たり前で
自然な状態が出現します。それは実に単純で普通です。
 ある時、東大寺のお坊さんがサンスクリット語にあるというRupaの意味を教えてく
れました。一言で言うと「色」。目に見えるものすべて、色、もの、かたち、美、と
いう意味があるそうです。「色即是空、空即是色」という有名なお経の一節がありま
すが、それにならうなら、Rupaも即ち「空」です。あらゆるものが極まっている今
は、あらゆるものを手放す時なのでしょうか。今、私達が感じているRupaの状態は、
「極まり、手放す、すべてのプロセス」ということです。しかしその意味は、まだわ
かりません。目の前には、ただ普通の日常生活があるだけです。

(Rupa/天理/YHE03204@nifty.ne.jp)


4月8日(日)午後3時頃から
川井博之チェンバロ リサイタル

ゲスト 近藤直子(リコーダー)

ピアノの先祖、チェンバロを持ち込んで、珍しい曲の数々をご披露します。
寝っ転がったりしながら、リッラックスして聴けるライブです。
リサイタルの後は、ユタカさんのピリカ堂開店&詩集自費出版記念パーティ。チェ
ンバロ演奏をバックに詩を朗読します。情熱のユタカさんに是非会いにきてくださ
いね。

会費500円(投げ銭・おひねり大歓迎) 0743−67−0467