カズからの手紙


〈その26〉

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剣山へ移住しました

 

伊予の久万高原から阿波の剣山へ移住しました。
それまでにはもちろん一言では語り尽くせない長いストーリーがあり、ようやく長いすごろくの上がりにたどりついたといった感じです。
昨年の夏〜秋、家探しのために剣山をほぼ1周廻ったのですが、次々と御縁がつながり、様々な所へ導かれ、結果、剣山麓のしかるべきエネルギーポイントをタイムリーに巡ることになりました。
剣山へは例大祭をはじめ、縄文先住民の慰霊や多くの先人達のお浄めや本来の地神の復活など様々な御神事に自らの考えを越えてオートマティックに導かれ、ミッション多き流れがここ数年続いていましたが、まだ果たされていなかったポイントとの出会いを、家探しを目的としながらも次々と廻らされて行った形になりました。
これは伊予の石鎚山系から土佐へと続く仁淀川水系や天狗高原などで果たしてきた出会いの流れと、まるで陰陽関係のようにシンクロした壮大なすごろくのようでもあります。
もうこの期に及んではミッションに添った形でしか自らの居住ポイントも活動の流れも無いということは受けとっているのですが、改めてすべての流れと今ここに在ることへの必然を実感します。

剣山、久影集落の一番奥のはずれにある我が家。
隣は空き家。12月の大雪もほぼ溶けて背後に津志嶽を望む。
築250年。再建中の我が家。


まず、ここ一宇(いちゅう)村の久藪(ひさやぶ)という山里の久陰(ひさかげ)と呼ばれる集落は、剣山麓にありながら唯一石鎚山(ここでは石鉄山と書きます)を祀っている所であり、なるほど立地的にも集落の奥山津志嶽は矢筈山の山脈をたどると、まっすぐに日没方向に石鎚山があり、龍脈的にもまっすぐにつながる最適な礼拝ポイントとなります。まるで石鎚山系と剣山系を結ぶ陰陽融合ポイントのような所です。結局このエネルギーに引っ張られたなという感じがします。
ここは様々な伝説も多い所で、例えば空海が「四国に3本の鉄の橋がかかったら本土をばかしていたキツネが帰って来る。」と言った話は、知る人も多いと思いますが、実はその話の元がここ久藪のキツネの本州への封印話で、実際瀬戸大橋など3本の鉄の橋がかかった後に、封印先の神社からキツネがそちらへ帰ったからと連絡があり、日頃キツネの姿を見たことのないこの集落で数人が見たと言ってます。
この辺は阿波狸発祥の地とも言われていて、キツネはかなり少ないそうですが、僕が廃屋再建のために泊まり込んだ日から2晩連続でキツネの鳴き声を聞きました。でもそれ以来現れません。
その他、東祖谷という矢筈山の裏側から天狗が木材を飛ばして建てたといわれる築700年の立派な家もあります。ちなみに我が家は築250年で、江戸時代のいろり生活そのままに、煙抜きのために天囲も、はりから上の壁も無く、屋根裏のカヤがそのまま見える状態で、暖かく修復するのは大変な作業ですが、新建材などを使って直してない家なので、やりがいはあります。11月から作業にかかり、とりあえず一室だけ暖かく過ごせるようにして、12月2日に家族で入居しました。しばらくは住みながら再建作業が続きますが、音楽パートナーのミヤ君にも手伝ってもらい助かっています。根気のいる仕事です。

母屋の前の石垣の下に離れがあり、日当たりが良い。
音楽スタジオと子供室になる予定。
背後に見えるのが矢筈山系の津志嶽。石鎚山へと龍脈が続く。

剣山へ12/2に引っ越し、2日目に何十年ぶりかの大雪、
四日間閉じ込められ、停電もありましたが薪の暮らしは問題なく
雪を楽しみました。一新も10才になりました。


ここは大変土地波動が良く、残り少ない集落の人々もとてもやさしく暖かく迎えてくれました。嫁以外に血縁のない者がこの辺に入ったのは初めてということですが、何か御縁というものが働いたのでしょうか。土地からも集落の人の輪からも強力に引っ張られた感じで、実にスムースに入ることができました。そしてその後もすべてが良い流れになっています。剣山移住は元来パートナーのフミエの希望でもあったのですが、結果僕の動きにとっても家族全体の流れにとっても良いことになりました。地域ともうまく溶け込んで、先日、一新の転校した古見小学校が、地域の人々にも声をかけてコンサートを開催してくれました。とても感動的なコンサートとなり、ありがたい流れと共にさらなる御縁が広がります。
音楽活動の方は、また山田征さんとの流れが深くなって来ています。今までは原発や再生可能エネルギーの問題点についてのメッセージを中心に動いていましたが、今ここへ来て、もう一つの側面“見えない世界”からのメッセージがもっと表へ出てくるべき時が来たようです。征さんは現実的な環境の問題“命のつながる世界”を守るためにずっと活動してきた人ですが、同時に“見えない世界”からも天恵のメッセージを受け、伝えている人でもあります。
それらのメッセージは、自動書記という形で文字化されていて、今までに書かれたたくさんのノートの中から一部が本になり紹介されています。その内容は、話せば長くなりますが、宇宙の始まりから我々人間が地上に存在することの意味に至るまで、壮大なドラマになっています。(「光と影のやさしいお話」他数冊)
僕と征さんとの出会いはその本から始まり、すぐに本人と直接出会い、活動をシンクロさせるようになりました。もう20年以上も前のことです。その本の話は様々な側面から、一人の主婦の感性を通じて伝えられているもので、宇宙の根源である我という存在から神のエネルギーの2つの側面(両極)をイエスという光の存在と影のルシエル(ルシファー、闇の帝王ベルゼブルなどと言われている)という存在の位置づけから解説されています。つまり‥‥
広がり行く光の存在イエスとちぢみ行く影の存在ルシエル、その2つの力は元来1つのものと語られています。ここまで話せばもう解る人にはピンと来ると思いますが、まだまだ世間一般には簡単に受け取られない話でもあると思います。例えば善と悪とか、喜びと悲しみとかに現される2元性のとらえ方と、すべては神のエネルギーの1元性から現れた両極のものであるというとらえ方の違いです。
ルシエル存在とは、今までのとらえ方のように人や世界を害する悪魔的な存在ではなく、人の存在そのものや思考すらも司る力で、ルシエルなくして天と地上も物や生物も形あるものすべてのものは存在しえないという話です。
そしてルシエルは神と同じ深き愛ゆえに神の分霊である人の魂を地上に降ろし、人の自由意志において世界を創造する力を与えた。そしてその結果を人は自ら体験し味わうというプロセスが大いなる学びの中で与えられているというとらえ方です。光をさえぎり闇を増長させていたのは、光を見失った人類そのもののあり方ではなかったでしょうか。何が原因でこの地球の“命のつながる世界”が壊されて行ってるのかはもうはっきりしていることだと思うのですが、なぜ人類はその様に生きられないのでしょうか。すべての原因は人の在り方ですから、それを“しっかりと見きわめて生きて行きなさい”というメッセージでもあると思います。

再建作業は暮らしながら続く。
旧トイレを改築して鶏小屋を作っているところ。
最初に整えた居間の一角。江戸時代のいろり、神棚も復活。
玉響(たまゆら)、光の存在たちもふつうに共存しています。


征さんの自動書記を通じて語られている“ルシエルのうたえる詩”は、多くの角度から表現されていて、とても簡単には語れるものではありませんが、20数年のプロセスを経てようやくそれを一つのコンパクトな歌として凝縮して完成することができました。
それは直接に征さんの口から伝えられたメッセージのエッセンス、それに僕自身の体験や心情がミックスされて何かふわっと時間をかけて形になったものです。また他の角度からのメッセージもたくさんあります。
それともう一つ、霊的なメッセージを伝える人はたくさん居ることと思いますが、僕は基本、その人が何を語っているかよりも、その人がどう生きているかで本質が見えると思っています。征さんの“命のつながる世界”を最後まで大切に、自分のできることをやり続けて行こうとする姿が、一番の共感ポイントであり、信頼しています。
“ルシエルの詩(うた)”を歌うことにより広がって行く世界を信頼して活動を剣山から発信して行きたいと思います。
この歌を受けとって下さる人々との出会いを心から喜びたいと思います。是非コンタクトして下さい。
今回はその歌の詩を紹介しておきます。
この春から活動が忙しくなることと思います。
お会いできる日を楽しみに。     Love   和

                          *写真はクリックすると拡大表示します。

 

【新連絡先】
TEL. 0883-55-8466
〒779-4304 徳島県美馬郡つるぎ町一宇久藪480
             オオムラカズキ まで

*ケイタイもメイルもありません。コンタクトは家電と手紙かオートマチック・ミッションのみです。


"ルシエルの詩"

宇宙で一番遠い昔
まだ何もなかった時
自分自身を味わいたくて
力を2つに分けた

広がり行く力とちぢみ行く力の
2つを一つにして
うずが廻りはじめた
その力が物となり 天と地を創った

喜びも悲しみも
胸いっぱいの愛も
風のように舞う心も
すべて味わいたくて
そなたらを生み地上に降ろした
降ろされた光は影を伴う
光と影は一つのもの
光はイエス 影はルシエル
2つの力は一つのもの

ルシエルはそなたらに自由を与えた
そして神と同じ力を与えた
想いのままに世界を創る力を
人々に与えた

心のままに素直に
生きて行くのは良いが
しっかりと見きわめておくれ
人の創るものが土に還って行けるのか

想いのままに自由に
生きて行くのは良いが
しっかりと見きわめておくれ
人の創る世界が命をつないで行けるのか

命のつながる世界を愛する
その想いは確かに受けとった
道はけわしいが歩いてまいれ
たどりつく日まで我も 涙かれることはない
ルシエルと共に
まったき光へ
そなたらがたどりつくまで
喜びも悲しみもひとしずくの愛も
すべて共に味わいつくしていこう

時こそ来たれり
時こそ来たれり
さえぎるものさえなければ
光は影なき光となる
そこで共に安らごう
ルシエル

 


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