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 70年代には喜多郎らと共にロックバンドZEROを結成。ベーシストとして活躍。以後、ギターと寝袋をかついで日本、アメリカ、カナダを放浪の果、北海道に流れつく。
 長年、北海道の大雪山麓で暮らし、80年代には当時草分け的な無農薬野菜の生産流通グループをつくり、農薬問題と取り組むかたわら、メッセージを歌にのせて活動をつづけた。
 詩人としてゲーリー・スナイダー、アレン・ギンズバーグ、ナナオ・サカキらとも共演を重ね、活動の場を世界に広げていった。
 90年春には革命直後のチェコ&スロバキアをギンズバーグ、ナナオ、内田ボブらと共にコンサートツアー。
 90年夏に吉本有里と出会い、デュエットでのライブ活動を開始。92年には共に渡米し、北カリフォルニアのエルク・バレー(標高約1000m)にて人里から遠く離れた山暮らしを始めて10年になった。カリフォルニアでは自然農法による畑作、太陽光発電による生活やレコーディング、自ら2人の子どもを取り上げた家族だけの自宅出産、ホーム・スクーリング、泉の水を引き、薪を使ったシンプルなライフスタイルから生まれた歌や話は、自分らしい生き方を求める人々の心とやさしく共振し、ニューエイジ系の人々や教会から歌を求められることが多く、ヒーリング・ギャザリングやレインボー・ギャザリングなどで歌ってきた。
 長年アメリカで活動してきたが、2001年から再び日本でのライブ活動を開始。
 2002年春にはオーストラリアでコンサート・ツアー。パーマカルチャーで注目を集めるコミュニティーのクリスタル・ウォータースや子ども達のフリー・スクールとして興味深いサドベリー・スクールの企画で歌ってきた。
 2002年夏に長野県上伊那郡の廃村・芝平(標高1200m)にて廃屋を再建しながら再び移住。新しいパートナーと再婚し、廃屋もよみがえり、そこで三男を取り上げ、新しい流れがスタートした。山の精霊や野生からは学ぶことが多く、より“あるがままに共に在ること”を目ざしている。
 そのユニークな暮らしや旅の体験談、そしてそこから生まれる歌は人々の夢やインスピレーションを触発する。
 現在はソロ活動を中心に、時にはバンドバージョンも交えて活動中。


芝平の自宅にて長男のアマチとともに薪づくり

    

不耕起・無肥料で雑草と共に育つ小豆の畑。周囲のフェンスはイノシシよけ。バックに見えるは現在住んでいる自宅兼スタジオ。
このすぐそばにもう一軒、現在再建中の大きな廃屋がある。どちらも明治時代の建物だ。もうこの辺には村人は誰もいない。

廃屋の再建作業。屋根のサビ落としをしてサビ止剤を塗り、さらにペンキを塗る。一枚のトタンを磨くのに約1時間かかった。
全部で86枚あって、途中で本当にイヤになるほどの作業だったが、がんばって仕上げた。

カリフォルニア・エルクバレーで

最近の写真はシピラ通信1に載せています。