オープニングセレモニーより

KAORICO(山口薫子)、西村 健


 昨日、今日と、そしてもっと前から準備に関わってる皆さん。
この二日間の雨が嘘のように、今日、この火の神様が届く、この時に、スピリットは穏やかな天候のプレゼントをしてくれました。心から感謝します。暑い中、雨の中、ウォーカーの皆さんが、この平和の火の神様を運んで下さり、わたしたち人間が、最もシンプルに行える祈り、歩くということで、この祭りを迎える事が、本当に嬉しく、この火を見ていると、背筋が伸びるような、凛とした気持ちにさせてくれました。

 祭りに関わっている皆さんは、この日が来る何日も、何ヶ月も前から、忙しい時間の中、ミーティングを重ね、そして、この地に祭りができる事が決まるまで、大変な努力をされて来たと思います。そして、準備にたずさわる中、暑い日、雨の日、本当にありがとうございました。わたしたちが今、このサークルが組めるのも、そんな、未来に続く子供達の為、そして、この大地を愛する気持ち、そして、思いが、又、12年の年月を越え、大きな幹となって、空高く伸びてゆく、この祭りに迎える事ができたと思います。
 
 この火の中を生きている形ないいのちが、今、わたしたちと一緒に、ここに居る事をすごく感じます。
 この祭りができることを、最も願っていた、一人の女性のいのち。今月のはじめにスピリットの元に旅立って行きました。その人の名をおけいさんと言います。この祭りを心から願っていたわたしたちのお姉さん。おけいさんも、このどこかで、この祭りを迎える火(日)を喜んでくれていると思います。
 他にも沢山の、わたしたちにつながる形ないいのちが、ここにはあります。そして、まだ見えない、未来のいのちも、ここまで降りて来ています。

 そんな、つながるいのちが、わたしたちのこの祭りによって、わたしたちが、こうして作り上げていく後ろ姿を子ども達が見て、若者達が見て、またいつの日か、この「いのちの祭り」がずっと続く事を願って、開会宣言の言葉をかえて、祈りの歌とさせていただきます。

<ドラミング&歌>♪〜レイユーハーチェワーキーエーロー〜〜

                          ホーミータクヤシン

                                      
        
Walk in Beauty 調和のとれた美のなかを歩いてゆけますように…  KAORICO

------続けて録音されてて、そのまま入れておきます-----------------------

私が、この火に出会ったのは三年前、松本の神宮寺というお寺で、原爆忌の法要が行われた時でした。
その方は、広島に原爆が投下されて一月以上たった後、叔父さんがやっていた本屋の倉庫で、くすぶる本の中にチロチロと燃える火を見つけられたそうです。お前は体が弱いからと、おばあさんから懐炉を持たせられていました。彼は、懐炉にその火を移して、で、実家は九州の星の村なんですけれども、そこへ持って帰って。で「これは亡くなった叔父さんだ」と。
で、おばあさんはこれを灯明にしたり、あるいは火鉢の火にしたりして、ずっと保っていたそうです。それを、松本の人が譲り受けて17年間、保たれて来たんだけれども、あんまり大変で、「 神宮寺でやってもらえないか?」ということで、神宮寺に火がやってきました。

で、今回、まぁ「いのちの祭り」だって言うんで。1月に、アメリカのその、原爆のウラニウムが取り出されたビッグマウンテンの地へ、ウォークをするっていう事が始まって、その時にそれじゃ、その地域の消し炭と、火を合体、50数年ぶりに出会わせて、平和への祈りにしたいっていうのが、みんなの中に芽生えて来て、ウォークの計画が始まりました。だから、1月のウォークからこれはずっと続いているのだと思います。

そして、今年一年、そういう流れの中で僕らは生きて行けたらいいかな…と。このまま、ずっと平和への祈りとしてやっていけたら、とっても素晴らしいなと思います。

最後に、その火をずっとキープされて来たお母さんは、まぁ、はじめは恨みの火だったそうです。でもずっとキープするうちに、祈りに変わったそうです。神宮寺の和尚さんは、この火を生活の火に使って欲しいと言われています。だから、祭りの間中キープされていますから、ロウソクの火にしたり、かまどの元火にしたりして、生活の火にかえて、平和への祈りの火にできたらいいなと思います。よろしくどうぞ。 

                             西村健


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