8/4「13の月の暦」特別講座

間宮 真理子


「13の月の暦」とは何か 

 今日は「13の月の暦」の「特別講座」ということで、皆様お忙しい中をお集り下さいまして、どうもありがとうございます。

 これから、そもそもカレンダーとは一体何かということを踏まえながら、「13の月の暦」とは何か、ということを、2時間という限られた時間の中ですがお話をさせていただきます。途中途中、緊張しながらですので「ちょっと今の話わからなかった」という所は、首をかしげてお知らせ下さい。

 今こちらの参加者の方から御質問がありました。カレンダーの成立の話という、ちょっと前おきの話に入っていたんですけれども、今、現在普段使っているカレンダーの名前をご存知でしょうか?
(太陽暦!)

 そうですね、太陽暦(※1)です。太陽暦の、グレゴリオ暦(※2)という名前のカレンダーを使っております。というのはご存知ですよね。カレンダーというのは、そもそも、西暦前は農耕のためや川の氾濫の時期を知るためであったり、というような、生にと密着していて、生活の必要性の中から生み出されたものです。カレンダーの意義とか定義というものは「日にちを数えるもの、日付けを確認するもの」という、それがカレンダーの、もともとの使用目的でございます。それがいつしか、西暦前3000年ぐらいに、今の形、グレゴリオ暦の元になる太陽暦ですとか、太陰暦(※3)といったものが、形が整えられていったんですけど、世を治める上での道具として、カレンダーがだんだんスライドして、のちには必要品という中で変わっていきました。

 先程、講座の前に、日本の場合のたとえとしてお話したんですが、日本の場合はカレンダー自体はグレゴリオ暦、いわゆる西暦というものを使っていますけれども、日本独特の年代の区切り方として、近代でしたら明治・大正・昭和というように天皇の、天皇陛下の治世とかその天皇が世を治めている間の区切りとして、そういった日本の独特の年号、いわゆる元号を使っています。

 同じように、古くはカレンダーというのは誰の物でもないみんなのものだったんですけども、歴史の過程において要するに「誰が今この世を治めているか」という権力的なものを誇示するためにカレンダーというものがだんだん使われていくようになりました。

 歴史の過程において、カレンダーがいかに正確なカレンダーを国民とかね、なんていうんでしょう提示できるかということが、権力者というか世を治めている人の威信を、威厳とか威信というものを示すためのひとつの手段にもなっていくようになりました。

 古代のローマで使われていたカレンダーが、今のグレゴリオ暦という太陽暦になるまでには、何回も何回も何回も、その都度改暦をされて今に至っています。

 その過程で例えばジュリアス・シーザー、という、いろいろと悪名高いというか高名な皇帝が世を治めているときに、カレンダーを改暦するとその名前が残って「ユリウス暦」(※4)と呼ばれたり、また後々にそれがまた改暦された時に、1582年に今のグレゴリオ暦の形に最終的になったんですけれども、この改暦を発布したときのローマ教皇がグレゴリウス13世という人でしたので、今のカレンダーはグレゴリオ暦と呼ばれるようになりました。

 というようにカレンダーに、カレンダーを調えた人の名前がついたりする、というなかなか妙なものです。 古くは先程も申し上げましたように、土地を耕すときの、四季の移り変わりのめやすとして使われたカレンダーがだんだん税金とか徴税とか、税金を納める時期を決めるためのものになったりとか、だんだんそういう風にシフトしていったりします。

 今のグレゴリオ暦というのは私たち通常生まれてこの方ずっと使っておりますので、まああたり前として使っておりますけれど、ちっちゃい時にとか、小学校のときに、「なんだか変なカレンダーだな」と思ったこと、ございませんか、正直。「何で2月って28日しかないの?、おかあさん」とか、あと30日とか31日とかの区切りが、月によってばらばらじゃないですか、「ニシムクサムライ」という風に私は覚えていたんですけれども、何でこれが、「何でこう不規則なのかなあ」とかすごいいらいらしました。

 あと自分はアパート暮らしして、自立して暮らしていた、というとかっこよすぎなんですが一人暮らしをするときに、家賃を払うときに引越し日が中途半端な時期に入りますと、例えばですよ、2月に引っ越すときの日割り家賃と、8月に引っ越すときの日割り家賃とかね、腑に落ちないわけですよ。一月の家賃の金額はおんなじ、でもなんで日割り家賃は違うわけ、っていうのが腑に落ち
ないとか。あとアルバイトしていますと2月はアルバイト、時給でございましたので苦しいんですよ、生活が。ところが3月の家賃は同じですから同じ家賃を払うのに、なんか時給のあがりが違って苦しいから、「何でこうなってるんだろう」とすごい不思議でしょうがなかったんです。

 それで、本などで(※5)調べていきますとちょっと面白い事実というかちょっと変わっている事実がいろいろでてきまして、もともとは12ヵ月って12進法でカレンダーを区分していくまでに到るまでにいろいろな歴史の上でごたごたがあったらしいんですけれども、特に大昔は3月1日から今の私たちのカレンダーの感覚でいうと3月1日から1年が始まっていたんだそうです。そうしますと私たちの使っているカレンダーでいうところの2月末が年末だったんだそうです。なので、そこで微調整ということで28日だったり29日だったりという閏月のところは、2月のところで一日足したり引いたりしていたんだそうです。そういうことがわかったりとかします。

 また、私たち日本人は今グレゴリオ暦を使うんでも1月とか2月とか数字で呼んでいますけれど、英語ではJanuary 、February、March、April、May、June、July、August、September、October、 November、 Decemberって12ヵ月の名前をを呼んでいますけれど、これって別に1月とか2月って意味じゃあまったく無いわけです。それどころかすごく変てこでSeptemberっていうセプトって「7」っていう意味なんですね。ラテン語で。October は「8」っていう意味なわけですよ。オクトパスっていうとたこ八ですよね。あと同じようにNovember は「9」っていう意味です。December は「10」っていう意味。

 だから外人さんは日本人でいう感覚だと、9月になったときに「やあ、7番目の月になったねえ」っていってる、10月になったときにやっと「8番目の月だねえ」って呼んでるっていう、なんかへんてこりんなことになっちゃっています。これもなんか変だなあとちょっと思ったりしています。あと、日付がばらばら、っていう風になった理由っていうのも、例えば7月、私たちのいうところの7番目の月というのは英語ではJuly といってますけれど、それはジュリアス・シーザーの時代に、ユリウス暦を制定した時に、ジュリアス・シーザーさんが偉いですから、一番偉いですから、自分の誕生月を「僕月」って名前にしたんですね。ジュリアス・シーザーの名前はユリウス、ユリウス・カエサルっていう読み方がありますね。ユリウス・カエサルさんが「今月は僕の月だよ」ということで自分の名前をつけた。

 8月ですとアウグストゥスさんの時代に、戦争で大勝したんで、それで戦勝記念に「僕の月」って名前を付けてAugust に変えちゃたんだそうです。なので例えば私がすごーく偉くなっちゃって「今月は間宮月だ」という風に名前をつけちゃったみたいな、そんなようなことをしてるんだそうです。で、僕の生まれた月が小の月だと威信に拘わるから、一日多くして大の月にしよう、という風にこっちから一日持ってこようと、結構好き勝手してくれちゃって、今のカレンダーの形にだんだん、だんだんなっていっちゃったんだそうです。

 もともとはグレゴリオ暦はキリスト教、ローマ・カソリックのキリスト教の宗教暦でございますが、なぜ、私たちが今、もちろんカソリック教徒の方も中にはいらっしゃるかもしれないんですけれども、どうして私たちがキリスト教のカソリックの宗教暦を使っているんでしょうか、次の私の謎はそれでした。「なんでやねん」と思うわけですよね。「どうして」と。「なんで、旧暦(※)を使ってればよかったじゃん」と思ったんですけれどもね。それもなんか面白い話で、歴史の本を読んでいきますと15,6世紀のときかな、皆さん世界史得意ですか?、おかしいね、今日「13の月の暦」の話聞きにきたはずなのになんで西洋史に行っちゃうんだろう、っていうところあるんですけれども。

 大航海時代、どっか世界史の先生がいっていたなあという記憶があるじゃないですか、当時は政教分離しておりませんので、権力者の人はキリスト教を、悪くいえば利用して、自分たちのお墨付きをいっぱいもらっていろいろやっていたそうです。大航海時代というのは新しくジパングを求めてといいますか、黄金の国を求めて、さあいろいろな大海原に漕ぎ出して新大陸を発見しようと、そういうときに一応お墨付きとして、新しい大陸を見つけたら自分たちの国にしちゃおうねというときに、キリスト教の布教と植民地政策といったものが一緒になっちゃって、新しい大陸、例えばメキシコをコロンブスが発見しました、そこは私たちの国です。神の国としてまずキリスト教をそこで布教します。そのときに当然のように宗教暦ですから、グレゴリオ暦も一緒に3点セットという感じで、それがだんだんに第三世界のほうにも普及していきました。もちろんその土地土地で使われていた暦もあったはずなんですが、押しのけられてこういった今のカレンダーになっていきました。

 ローマのカソリック教徒の暦でございますから、当然プロテスタントの新教のお国は使うのが遅れまして、布教してグレゴリオ暦に変わっていくのも長い時間がかかりました。その世界共通のカレンダーになるまでの間に何世紀もかかっておりますけれども、特に日本はグレゴリオ暦を使うようになってから、とても日が浅いです。たかだか127年前から使い始めただけですね。明治政府が樹立して、今まで刀さしてちょんまげ結ってっていう士農工商の世界がいったん崩れて、天皇を東京の皇居に据えて明治政府がお国を治めていくときにたいへん火の車でございました。今までとは社会制度をまったく変えてしまいましたので租税、税金を集めてとか政府の職員の人にも給料を払うようにしなくちゃならない。今までとはまったく違う体系の中で建国をしていきます際に、非常に財政事情も苦しくなるし、さあどうしようというときに、明治政府ができた当初の頃っていうのは太陰太陽暦の天保暦(※6)というカレンダーを使っておりました。

 この天保暦という太陰太陽暦のカレンダーというのはもともとの太陰暦、純粋な太陰暦ではなく、2,3年に一度閏月というものを挿入して12ヵ月、12ヵ月たまに13ヵ月、12ヵ月12ヵ月13ヵ月というように2,3年に一度閏月を挿入して1年という太陽の周りを回る地球の公転周期とも合わせたカレンダーなんですけれども、明治5年のことでございました。その翌年の明治6年は太陰地陽暦でいうところの13ヵ月目の閏月が入る年回りに向かうときだったんだそうです。

 そうしますととても財政事情が苦しかった政府の中でも頭のいい人ほんとに冴えてる人将来を見渡せてる人、というのがやっぱりおりまして、大隈重信さんとか、福沢諭吉さんとかが、これから日本が西洋列国というんですかね、西洋と伍してやっていく上でまず、表向きにもどう考えてみても、西洋のお国諸国はグレゴリオ暦を使っている、太陽暦を使っている。私たち日本は今太陰太陽暦を使っている、要するに日付がまったく違うと通商貿易をしていく上でとても壁になります。なので、これから近代化に向かうには太陽暦を使わなきゃいけない、とわかっていた頭のいい人がいます。

 ところが農民の方も漁民の方も庶民はずっと太陰太陽暦で生きていますから、今さらそのカレンダーを替えてくれっていわれても非常に困るっていうのもわかっていますから、反対がないように突然替えてしまえということで、カレンダーを替えるよ、天保暦という太陰太陽暦から太陽暦にかえるよという通達を、新しいカレンダーに替えるなんと3週間ほど前に発布したんだそうです。要するに、3週間後にはもう替えるからねっていう、事後承諾、事後通達っていうんですかね、決まったことをうわっと出しちゃったんだそうです。12月の暮れの当時の旧暦の12月の2日の次の日は、12月3日じゃなくて、翌日は新暦1月1日お正月だよ、っていうことを、3週間前の旧暦の11月9日に、改暦の詔書を発布したと。それが、国中に通達が広まるまでにはやっぱり時差があるじゃないですか、意味がわからないですから国民は。で、大反対が起きる前にスパッと替えちゃったっていう、なかなかシャープな頭のいいやり方をしました。 

 この改暦、人心の刷新というのが一応の表向きの理由ですけれども、これには裏の事情もあって、その翌年の明治6年の13番目の政府が職員の人に払うお給料を、13回年間に払わなければならないお給料を1ヵ月はしょれるっていうのと、12月の3日に、次の月の明治6年の1月1日が始まってしまえば、その12月分のお給料もはしょれるから、合計2ヵ月分のお給料を払わなくてすむので、よしやっちゃえ、っていうのも、なんというか大英断のきっかけになったんだそうです。(※7)

 ということで、今、なんで日本がこのグレゴリオ暦を使うことになったかのいきさつの話をしてみました。以来、日本では127年間にわたって、今のグレゴリオ暦と呼ばれるキリスト教の宗教暦が使われるようになりました。意外ときっかけなんてそんなものということで、世界のいろんなお国、世界の標準の暦として使われるようになって、でも日本っていうのは割と最近使い始めたのだということでございます。

 これは余談なんですけれども日本が、古代の日本人が縄文とか弥生にはどういったカレンダーを使って日付を確認していたかというのは謎なんだそうです。謎、これは誰も歴史上わかっていないんだそうです。

 で、唯一日本人がカレンダーという日付を確認するという習慣を持つようになったのは聖徳太子の時代に聖徳太子さんて頭いいですね、頭いい人で、歴史というものを作っていく、記していく、しるしていくにはカレンダーが必要である、当時は暦ですね、暦があることによって歴史というものが記されていくということを知っておりまして、中国から、中国のその当時の太陰太陽暦を、初めて日本に輸入して、政府の記録を残す、いろんな書物に残すということを聖徳太子さんが一番最初にはじめたんだそうです。それ以前の日本の歴史の記録は、ですからそのときからさかのぼって計られているようですがそれが正確な日付かどうかもわかりません。(※8)

 先程ちょっとお話したように西暦という数え方をしていますが、これはキリスト教の宗教暦という性質がございますので、西暦前と西暦後というのも神が生まれる前、と神が、主イエスが生まれた後、という区分けをしております。 なぜかそれが歴史上全ての国でキリスト教文化と関わりのないお国でも全て今現在は歴史というものを、主が生まれる前の何千年前とかね、主が生まれてから何千年、という単一の文化によって単一でない文化の歴史もはかられているという、すごーくちょっとまともに考えてみるとすごーい妙なことを今私たちは現在やっているようですね、ってとこでちょっと自分も改めて考えると、へんだなあと思っております。

 まあそれが西暦っていわれていたりグレゴリオ暦っていわれていたりする、今現在の私たちが通常使っているカレンダーの成立をはしょりにはしょっておりますけれども、そういったカレンダーを私たちは生まれたときに使っているので使っています。学校に行ったら使われているので、使っています。今日ね、たとえば4月23日何曜日、当番は小林さんと国本さんが日直だよね、というと
ころから、ずっと見ていましたからね、そういうカレンダーが当たり前だと今も使っております。
 これは私が「13の月の暦」という変なカレンダーを使うようになったことによって、じゃあこのカレンダーはこのカレンダーで面白いんだけど、グレゴリオ暦ってなんなんだろう、って逆に今使っている自分の足元にあるカレンダーってなんだろうなということが不思議になって、いろいろ調べるようになったきっかけの話でもございました。
 
 で、つくづくなんか、大なり小なりなんですけれども、あったり前だと思って使ってたり、あったり前だと思っていてとりたてて意識もしてないけれども、世の中一つ知り始めると「えーっ、そんなことになってたわけ?」とおどろくようなことが掃いて捨てるほどあります。掃いて捨てるほどある「うそおー」って思うことが、「戸籍制度なんてたかだか明治に入ってから使かわれていたわけ?」「家長制度ってよその国の戸籍制度を持ってきただけなの?」とか、常識といわれている中で探っていくと「なあんだあー」と思うことって沢山あるんですけれども、私にとってはその中でも、いろいろある常識の中で、もっとも試みられてないことの一つ、誰もこれがおかしいっていったことのないことの一つとしてカレンダーと、時間を計る時計の計り方、この二つは、誰もそれが変だっていってくれなかったんです私に今まで。「ともかくこれは常識だから憶えなさい」ということで教わってきましたけれど、「それは変だよ」って、初めて異を唱えてる人に出会ったのが、この「13の月の暦」を提案しているアグエイアスさんっていうご夫妻なんです。

 このご夫妻というのは旦那さんのほうがメキシコ系のアメリカ人の方でございまして、メキシコ系のアメリカ人の方なんで、「ホゼ・アグエイアス」という変わった名前の方でございます。ちょうど14歳くらい、中学2年生くらい、日本の感覚でいうその年ごろに、当時メキシコのチアパス州にあるパレンケというところで、パカル王の墳室、「碑銘の神殿」と考古学上名付けられた神殿が見使って1952年でしたか、世界的な大ニュースになってすごくひかれて、親御さんに連れられて、アメリカ在住の方なのでメキシコに観光旅行で古墳というのか、マヤの遺跡を見せてもらって、アグエイアス少年はすごく胸に響くものがあったということで、長じてからも学生になってからも博士号を取得して美術史の教授になってからも、ずーっと個人的なテーマとしてマヤの文明の中の、特にカレンダーと数学についての個人的な研究を継続的に続けられていたんだそうです。

 このアグエイアス夫妻、研究を最初にしていたのは旦那様のアグエイアス氏のほうなんですけど、マヤ文明のカレンダーの研究を通して、どうしてマヤの人たちは今判ってるだけでも17種類、長短合わせていろんな種類合わせて17種類のカレンダーを使い分け、使いこなしてきたんだそうですが、なんでそんなカレンダーが必要だったんだろうとか、また天文学的に金星の会合周期ですとか天王星の周期ですとか取り込んだ、とても不思議なカレンダー(※10)を使っていたり、あと1年365日と通常私たちいいますけれど正確には1年と4分の1日、この周期もきちんと知っていた、これがもう不思議でしょうがなくて、そのことについてマヤの人たちはなんでこんなカレンダーを使っていったんだろうかというところから始まって、アグエイアス夫妻は「時間とはなんだろう、そもそも時間とはなんだろう」とね、カレンダーの研究から始まって時間についての研究というものを押し進めていったらしいんです。なので「13の月の暦」っていうのは、まあ、これは壁掛けタイプでございますが、紙に書いたぺらぺらのカレンダーなんですけれど、このバックボーンにあるのは「時間とはなんだろう」「そもそも時間とは何か」ということの研究成果として、このカレンダーができたんだそうです。この形に整えられているんだそうです。
 
 なので当然のように博士たちの、これは私もなるほどなと思ったんですけれど、「時間とは何か」(時計を指して)これは時間ではない、そりゃそうですね、目覚し時計だ、時計でございます。ただ私たちは「時間、今何時?」とか「何時に講座始まる?」とか「夕飯何時に食べる?」っていうタイミング、合図として、時間っていうものをイコール時間を計る計り方のひとつの、なんていうんでしょうね、一日の分割数の数字単位を日常生活の中で使っています。「12時だからご飯ね」とかね。だけど博士たちがこれは単なるひとつの近に代みんなが発明した時間の分割法に過ぎないよ、一日24分割して昼夜を24分割してその1時間を60分、60分割して、その60分の1分をさらに60分割して60秒とかいう風に数えてるのは、時間を計る単位、尺度にすぎません。「じゃあ、時間て何」「時間って本来どういうもの」っていう一番自分たちが忘れちゃってることに、こう、ずぱっとフォーカスして、問いかけてきているんですね。

 私はそれに結構しびれちゃって「時間って何だろう」「時間って自分はどういう風に定義しているんだろう」とかね、辞書調べちゃって、時間って辞書にどういう風に書いてあるかな「時と時の間」え、そうなの?とかね、「え〜、もっと哲学的な答えがほしいー」とかね。すごく妙に考えさせられちゃったんです。博士たちがなんでこんな変なカレンダー作っているかというと「これはマヤの暦でかっこいいよ。おしゃれだよ。みんなでマヤの暦使おうぜ、イエーイ」っていうつもりで作っているわけでは全くありません、もちろん。珍しいから、使ってるというわけでは、全くありません。

 現代に生きている私たちが忘れてしまったこと、忘れてしまっちゃった感覚が、しかしそれはすっごく大事だったはずの感覚っていうものを、もう一回、今すぐというのは大げさですけれど、今見つめなおさなきゃいけないということが、あるんじゃないかってことを、みんなに問題提起しているんだな、ということがだんだん私も判ってまいりました。「あっ、そういうことがいいたくて作ったんだ」と判ってまいりました。

 そもそも考えてみるとあたり前っていえばあたり前なですけども、私たち生まれたとき、赤ちゃんでスポーンとお腹から出てきたとき、おんぎゃーっと泣いてからこの方、なんていうんでしょう、時計の読み方とカレンダーの日付の読み方を、ばっちり習慣的に憶えるようになったのって大体、保育園か幼稚園か、五つ六つ七つぐらいのときじゃなかったかなあなんて思うんです。私の場合ですと幼稚園の先生がすごい厳しい先生だったんで時計の読み方ね、この針がここにきてると何時何分、で、なんでここの1から2までの数字の間がなんで5分なのかが解らないとかね、どうして1から2に進むと5分なのかを、飲み込むまでに時間がかかったりとかしながら、苦労しながらこの読み方をおぼえたりしていったんですけれども。

 それ以前は、ほんとにガキんちょの頃はね、絵を描きたいといえばマジック持たされれば新聞紙に挟まってるチラシの上に絵をずーっと描いて、ずーっと夢中になって描いてる時に、今何時何分だから、とか今何月何日何曜日だとか意識したことない、そん中でわーっとやってて親に引っぺがされるようにして「ご飯食べる時間だから」とかね「もう寝る時間だから」。そこで「時間だから」そういう風に親に話し掛けられて「そうか、時間なのか」ってことでは時間という言葉を覚えてはきてますけれども、ほんとのところ、時間って何、ってことでは、わかんなくなっちゃってるんです。ところが、ところが、ところが、ここの鹿島槍のお山広しといえどもですよ、今日が何月何日で、今日が何曜日で、今何時何分かっていうのを何のために使っているかというと、やっぱりスケジュール合わせですよね。スケジュールを合わせる。滞りなく無理なく、御用事を片付けるために、またはマナー、礼儀として時間を、みんなで一緒にタイミングを合わせるために「じゃあ、ミーティング月曜の夕方5時からね」とかね「朝ご飯7時から9時までだってさ」という風にタイミングを合わせるための目安として使っています。

 だけど、人間以外の動植物、鳥とか犬とか猫とかお花とか蜂とかは、そういうわざわざ時間を合わせるためのカレンダーがなくても、時計を持ってなくても、みんなきちんと時間をよく守っています。春になると桜はちゃんと咲きます。鳥は渡る時期が来ると「行こうぜ」といってみんなでいっせいに渡ります。イルカは海を泳いでいて「じゃあ帰るか」っていうときにちゃんとみんな帰ります。腕時計して、みんなでこうやってそれを見て「じゃ時間だから行こうか」といってる犬もいないしイルカもいないし、鳥もいない。みんな自分たちに内蔵されている、あるひとつの生物時間のリズムがある。私、本川達雄さんの本を(※11)読んでね、そうだよそうだよ生物時間だよ「ネズミの時間とゾウの時間」があるように、人間時間もあるはずだよと思ったんです。内蔵されたタイマーで、動物さんたちは秩序を持っていて合わせているんです。同期してタイミングを合わせているんです。アリさんが例えばここにパンくずがあるぞーというとわらわらわらわらと、巣に持って帰ろうと誰もいわなくてもわらわらわらわらと協力して持っていく。一人だけ「ちょっと待ってて」と寄り道するアリさんもいないというように、みんなその生物としての秩序というものを持っていて、その生物の中での秩序っていうのが内蔵されているタイマーに合わせて動いている。その内蔵されて作動しているタイマーも花で例えれば、花が「咲いたよ。蜜ちょうど出てきたよ」っていうときに蜂が「行くよ、めしべおしべ合わせてあげるからね、僕が」というように、植物とか昆虫、動物とか他の種族、生物間でも連携されてひとつの秩序ができ上がっている。それは地球っていう有機生命体の土地の上での全体系の秩序として、ひとつちゃんとあるんだよってことを、アグエイアスさんたちはいっています。

 その全体系の秩序からちょっとはみ出ちゃっていて、ちょっと地球を荒らしてて、ちょっと以上に環境を狂わしちゃってる、しかも数だけはいっぱいいる動物がいるよ、っていっててね、それが人間だよということをいっています。生態系の秩序とかリズムとかそこから外れて、人間は人間だけの独自のリズムを作っちゃってるよ、その原因っていうのはあんまりみんな誰も考えていないけど、実はカレンダーにあるんだよ、人工的な時計っていう、外にある目印や尺度に合わせることを生まれてからこのかたずっと学校とか会社とかで、あまりに半強制的に習慣的にやりすぎちゃっていて、もともと持ってる人間としての内蔵時計、タイマーが電池切れになっちゃってる、働かなくなっちゃってる、だからなんか今すごくまずいんだよということを、私が力説していうことではないんですけど、そういうことを博士は訴えております。

 このカレンダーは何のためにできたかというと、それは私たちがもともと生まれたときに赤ちゃんのときに持っていた人間種独自の生体の時計っていうかね、リズムとかね、あと、感応する、精神的に感応できるもの、つながりあえるもともと持っている感覚っていうものを取り戻すためにすごくこれは必要だよ、だけどそれはこのカレンダーを使うことで自分に何か良いことがあるとか、馬券が当たるようになるとか、シンクロがいっぱい起きてラッキーになる、ためじゃなくて、地球がある、地球の上で生活していく、そこのリズムに日々自分が合わせる、人間という生物の代表としてリズムを刻む役割のひとつ、インディアンの方、先住民の方がおっしゃってる言葉そのもので、祈りによって日が出てきたのを、また沈むまで見守る、っていうお役目があるように、人間が地球っていうひとつ地球独自のサイクルというものに意識的に合わせることで、媒介となって、いっぱいつなげていかなきゃいけない、いかなきゃいけないっていうのはいい過ぎですけども、何か今感じたり、それを伝え合ったり、コミュニケーションしていったり、していくときの地球との、なんていうんでしょうね、共振板、羅針盤っていうんでしょうかね、自分がこの活動をしようとか、こういったことを人に伝えていきたいとかいうときの、新しい時間、新しいカレンダーとしてこれを使っていってみてください、ということをアグエイアスさんたちは提案しています。

 でもこのカレンダーを使うということは、それによってまた、こうややこしいことも出てきます。今日はグレゴリオ暦の8月…今日ここに、いのちの祭りのイベントに参加しにいらしてる方はもう日付めちゃくちゃになってると思うんですけど、8月何日だっけ、2、3、4日。今日は8月4日の木曜日、金曜日、今日は8月4日の金曜日だってことからすでに皆さんもはずれかけてきているんじゃないかと思うんですけれども、そこにさらに今日は磁気の月の10日、だっけとかいって、この「13の月の暦」の日付もなんか忘れかけ、はずれかけてしまっていますね、今日のこのカレンダーでいいますと、磁気の月の10日の黄色い自己存在の星、っていう日にちになります。

 こういった日付をね、いろんな周期を追いかけることでだんだん自分も振動に共振する共振板となって、自分というものを通して地球の鼓動とかそういうものに自分がシンクロしていくことで、自分が何かの物事を押し進めていく上で良い同期を呼び込んでいく媒介っていうんでしょうか、自分自身がその媒体になっていくことが可能なのじゃないか、それを私は可能性としてすごく感じています。

 「13の月の暦」は1年13ヵ月のカレンダーであって、1年13ヵ月の毎月が28日サイクルのカレンダーです。新年の始まりは、夏場のグレゴリオ暦の7月26日から始まります。

 で、女性に特に、私はこのカレンダーはお勧めです。どうぞこのカレンダーで生理日をチェックしてみてください、というのは、もう口酸っぱくしていってるんですけれども。とりあえず目で見ていても気持ちいいですから、週の途中から一日が始まってないっていうのはとても気持ちがいいです。1週間、2週間、3週間、4週間28日ぴったりで13ヵ月というのを日付を追いかけていくだけでも、すごく身体が喜ぶ、まず目から見てるだけでも、慣れてくるとなんかこうでなくちゃというような、すごく嬉しいものがあります。

 逆に今までのカレンダーで私、変だな変だな変だなと思ってたのが、一番嫌だったのが、これは体感、自分の実感なんですけど、週の途中から1日が始まる、で週の途中で月末が終わっちゃうっていうのが、生理的にちょと嫌だったんで、わたし的にはこれだけでもかなり嬉しいんです。そんな話も今日ちょっとしていきたいんですけども。

あの、皆さんの中で、時間とは何か、さっき私がいいかけた言葉でございますけれども、そんなことを普段考えたことってあります?「私は時間とはこういうものではないかっていうのを考えたことを、実は実行したことがある。」もしくは「すごい興味があって哲学書とかいろいろ調べた」とか。私はね、全然なかったんです。全然なかったんです。「時間とは何か」なんて考えたこともなかったんです。私はまーったく考えたこともない。

 でも改めて、そう問われてみるとすごくいろんなこと考え始めるようになりました。そして、ひとつ「カレンダーとは何か」とか「時間とは何か」ということを考えることを通して、私の場合はそれから「お金とは何だろう」「貨幣制度、紙幣制度とは何だろう」とか「食、食べていくものはなんでこんな大量生産、大量消費なんだろう、スーパーで見栄えのいいものとか、どうしてこんなになっちゃったんだろう」とかいろんなことを考えるようになりました。「…とは何か」っていうね、最初は「時間とは何か」とか「カレンダーとは何か」と考えるようになってから自分の場合は逆に「お金って何だろう」「何のためにあるんだろう」とかね、「家族制度って何だろう」とかね、「…とは何か」っていうのを当たり前ってことではなく、自分の頭と体験を通して感じたり問い直していくってことを少しずつ始めるようになりました。

 「時間とは何か」ってことをね、考えながら自分が思い出したことというのは、南の島に行って海岸に寝転がって、ビニールシートを敷いて寝転がって、こんな感じの雲を見上げているときに時計なんか要らない、っていうと変なんですけど、「今何時」とか関係ない。仕事で絵を描いているんですけど絵を描いて夢中になっちゃうと、夢中になっている時にはトイレ行くのもいや、ご飯なんか食べなくていい、って状態のときって、今が何時何分か関係ない、関係ないんです。関係ないのに「今何時だろう」って見ちゃう自分がいる。悲しいんですけれど。海辺で横になってても「まだ帰る時間大丈夫かな」って、つい調べちゃう、そういう自分がいる。でも「今何時だろう」って思っちゃうときの自分と、ボーっとしてるときの自分、もしくは一生懸命になってものを作っているときの、夢中になっているときの自分の感覚とは、まったくすごく対対照的なんだよな、ということに気が付いたんです。だから今自分が思っていることは、ひとつの外にある尺度、外側にある尺度としての時計の時間に目をやるということそのものが、なんかすごく不自由だなという感じなんです。

 でも時間を守るのは礼儀、礼儀ですよね。集団生活のマナーというか。「5時にね、スタッフミーティングだよ」っていってもこない人がいるとすっごい段取り悪くなるし、やっぱり全員揃いたい。そのときに逆に、もしってことを、if を考えたんですが、「じゃあ、夕方に、2階でスタッフミーティングね」っていったときに、「夕方に」っていっただけでみんなが「あ、行かなきゃ」って思ってわらわらわらとタイミングよくぴったりに、ちょうどいい具合に集まる、そっちのほうがいいなって、なんかそれのほうがなんかちょっと自分的にはいいなよあと思うようになってきたんです。

 で、例えば友達とね、「駅前で、じゃあお昼にね、駅の前でね」といって待ち合わせるときに、いろいろやって、用事も片付けて、着替えてお化粧して出ていってバス降りて駅に行ったらそこに友だちが現れて、「ちょうど今私も来たところなのよー」のほうが普通じゃないか、そっちの方が普通なんじゃないかなと最近思えるようになってきたんです。

 まあ、笑い話なんですけどうちの母は74歳で、ちょっと最近洗脳してて「お母さん、このカレンダーいいよ、いつが満月かわかるよ」と洗脳してて、「このカレンダー見てるとシンクロおきるんだよー」と冗談半分でいってたんですけども、結構ほんとうに母親ともばったり外で会うようになってきたんです。今私は、実感の近くに住んでいるんですけど、駅前とかでね、母親が買い物してると私が通りかかる、「あ〜〜、なんてあんたちょうどいいときに」っていうことが何度か何度か繰り返し起きたもんですから母親に「でしょう、このカレンダー見てるとね、そういう偶然が普通になるんだよ、お母さん」とか「そういうのを普遍的なテレパシーっていうんだよ、お母さん」とかいいながら、すると「そうね不思議ね」とかいって白髪のもう真っ白な母親がね、やっぱりだんだん「そういうものなのね」とかいうようになってきて。私としてはその方が自然だよなって、やっぱり思うようになってきたんです。

 これはでも、母親と電話で待ち合わせしなくても買い物途中にばったり会えるためにこのカレンダーがあるんじゃもちろんなくて、もっとなにか、自分が仕事なり活動なりしていきたいっていうライフワークを持ったときに、そのライフワークの中でしようと思っていることの中の大切なことを、ちょうどいいタイミングでつかまえることができるとか、ちょうどこういう人と出会えたらばもっとうまくいくのになあ、って思うような人をたまたま友達に紹介してもらって会えたとか、この機材じゃなくて、こういう機材があれば、これがもっとうまくできるのにっていうときに、ちょうどそれがどっかから回ってくるというような、いい具合の同期がまわりとどんどんとれて進んでいくほうが、本来は自然なんじゃないかな、ずっと自然なんじゃないかなと思うようになってきました。もしそれが自然な状態であれば、物を作りすぎたり、自分が食べられる以上のものを買いだめしたり、作りだめしたりするというようなこともなくなるよなあとか、ちょうどいい同期の中でちょうどいいものが、ほどほどに進んでいくんであれば、急ぎすぎたりね、「早く早く」とかね、そういうものがなくなるっていう方が、自分としては非常に自然なことなんじゃないかなと考えたりするようになりました。

 実際、そういうためにこの「13の月の暦」があるんであれば、ひとつの道具として、このカレンダーを普通に使うっていうのはすごくめんどくさいし、意志の力も必要ですし、人によってはそんなことばかばかしいと思うことも当然あるかと思うんですが、そのためのツールとして使うっていう風に私は意識し始めてからは、なんかすごく、自分でカレンダーを選べるんだということとか、自分の意志で人と違うカレンダーを使う、なかなかめんどくさいこれが習慣としても組み込めるようになるんであれば、他に何か自分が新しいことを始めようと思ったときにも、自分が自ら自分の習慣を自分の意志、選択で変えていっていいんだ、ということの自信になっていくなと思ったので、今もそう思って使い続けています。

 だって皆さんそう思いません?カレンダーってそもそもは、その時々の一番偉い人が国を治めるために使うというためのものではないし。今でいえば私たちはキリスト教徒でもないし宗教上の理由でグレゴリオ暦を使っているわけじゃないですよね。現代の場合ですとグレゴリオ暦と時計は何のためにあるかっていったらば本当はもう経済、資本主義経済を支えるための道具ですよね。すごい哀しいことですけどもこれは事実です。これ(時計)とグレゴリオ暦がないと今現在の経済社会というものは成り立ちません。なので今は結果的にグレゴリオ暦と時計というものが、経済とかね効率優先の大量生産大量消費の世界を動かしていくためのツールとして使われちゃっています。

 でも、この「13の月の暦」のカレンダーは、自分の意志で使いたいと思ったから選択することができるひとつのツールとしてあるということと、このカレンダーを使うということは自分にとって何かいいことがあるとかラッキーなことがあるっていうんじゃなくて、全体の自分の活動とか地域とか全体の必要性に応じてタイミングを合わせて、丁度いいタイミングで同期を取っていくときの私たちの感覚、感性というものを、生まれた時のそのままの、子供の頃の感覚に戻してくれる、そんな働きがあるんだぞと、アルマナックの間宮さんが立ち上がって熱弁振るってたよ、っていうのをいつかちょっと思い出していただけたら嬉しいな、なんて思っています。「13の月の暦」はそういったカレンダーなんじゃないかなって、私は思っています。

 ちょっと熱弁振るっちゃったんですけども、このカレンダー自体が何のためにできたか、それは今現在あるグレゴリオ暦に対して、アンチテーゼとして、もともと人間が持ってた時間感覚とか生物としての「時間ってなんだろう」っていう、時間を通してまわり全体とつながっているっていう本来人間も持っている感覚を取り戻すためのリハビリツールっていうか、それを思い出すためにすごく活用して使えるものなんじゃないかなと私は思いました。
 
 そもそも、なんだか順序が逆になったんですけども、私が何者かというのもちょっとだけ自己紹介させていただきます。私は自由業のフリーランスの仕事をしております。5年程前、1995年の春なんですが、このカレンダーを作られたアグエイアス博士とその奥様が、日本に初めて来日講演でいらした時にそのレクチャーを聴きに行きまして、それ以来「こんな変なカレンダーがあるんだー」って事を知って、「そっか、じゃこの変なカレンダー使ってみたいな」と思って、当時英語版を貰いまして、トイレの壁にかけていたんですけれども、英語だとすごくめんどくさくって、例えばここが「電気の月」って書いてありますけども、ここが「Erectric deer Moon 」とか書かれてると英語苦手な私としてはしんどくて、頭の中で一回「電気の月」と翻訳しなくちゃいけないんですね。だんだんめんどくさくなっちゃって日本語版があればいいのにな、あればいいのにな、あればいいのにな、あればいいのになって思っているうちに、根が短気なもんですから、もういくら待ってもできそうもないから、しょうがない自分で作ろうという、単純な発想で、自給自足の精神でこのカレンダーの日本語版を作ろう、作るぞ、で作り始めたのが1996年の冬でございます。

 よし、自分が使うために作ろうと最初思ったんですけども、でも悲しいかな、一部だけを作ってもしょうがないということに気がついて、これはどうやら一緒に使う人が沢山いないと面白くないぞ、そうしないと共振とか同期とかタイミングをとるとか、一緒に使う人いないと全然面白くないじゃんかって事がわかって、そんなつもりは初めはまったくなかったんですけどもだんだんに、なんというんですか、お店やさんに営業に行ったり、行商じゃないですけど担いで「あの、すみません、「13の月の暦」ってカレンダーなんですけれども扱っていただけませんか」って地味なことをやっております間に、すごくファンの方っていうのか、このカレンダーの意図することを理解してくれて一緒に使ってくださる方が増えてきて「やったー、やったー」とだんだんうれしくなってきて、最初は趣味道楽、ボランティアとして作って、売れたお金は寄付とかしてたんですけれども、だんだんおおごとになってきちゃいまして、部数が何千部とかになってくると「いけない、そろそろ税務署がうるさいかもしれない」と思って、今は事業として確定申告してるんですけれど、決して儲かるような感じではないんですけれども、なんだかすごく面白い状況になってきました。

 そうこうするうちに日記帳タイプのものを作ろうということを考えた方もいまして、この方、柳瀬さんという方は日記タイプのものを、ビジネス・ダイアリーのようにして、自分も日記帳があればグレゴリオ暦から「13の月の暦」に橋渡しにしやすい、ということで「コズミック・ダイアリー」という日記帳を作ったり。また別の方は手帳タイプがあればいいのにな、手帳タイプがほしい、じゃあ、やっぱり自分で自腹切って作ってるか、ってことで作っています。卓上タイプをずっと作っていた方もいたし、大阪ではポスタータイプのを作ってる方たちもいます。本当に今や、なんだかカレンダーの自給自足シリーズになって、いろいろ揃ってきています。私は壁掛けが一番使いやすいんで、自分は壁掛けカレンダーだけを作っているという風にしてやってきています。

 で、最初窓口を開いて「このカレンダーのことで解りにくいことがあったらどうぞ、私にわかる範囲でご質問にお答えします。」っていうことを行っていましたところ、いろいろ、初めはわけわからないカレンダーですから、ものすごいお問い合わせがきちゃって、それこそ毎日毎日喉がかれるほど答えなくちゃいけなくなちゃって「うるう年はどうして、どうなんですか」とかね「このマヤ暦はいつできたんですか」とかね「なんで新年が夏の7月26日からなんですか」とか「はいそれは、はいそれは、はいそれは」といって答えているうちに本当に、もう本業ができなくなるぐらいに大変だったもんですから、一冊の本にまとめちゃえと思って、こういった「13の月の暦ガイドブック」というのを後から作りました。  
 
 よくあるご質問とか、皆さんから、さんざんさんざん何度も訊かれたことに対して、一生懸命答えているうちに、もまれて練れてきて、お答えの仕方もだんだん洗練してきたんで、それを一冊の本にまとめてみたんです。去年、こういったガイドブックというものを作りましたところ、ご質問のお尋ね電話がぐっと激減して、最近はだいぶ楽になりました。今日はお話、この後もいろいろお話したいなと思ってるんですけれども、ま、この一冊の中にどこかしらかに書いてあるんで、一生懸命メモとらなくても、間宮さんがあのときに、なんかいってたなあっていうのは、この中にどこかしらに書いてありますので、どこかに探すと書いてありますのでどうぞご安心ください。

 このカレンダーってどういう風に見ると生活に取り入れていき易いかっていうお話を、これからお話させていただこうと思いますが、長話になっちゃったんでその前にちょっと一瞬だけ休憩して、5分間だけ中休みさせてください。

(5分間の休憩)

 どうもたいへんお待たせしました。 休憩終わりましたんで、あ、いい風入りますね、この後はじゃあ「13の月の暦」っていうのはどういう理由でできて、何で作られたのか解った、私たちが時間感覚っていう時間本来の意味ってものを体と心で思い出すためにこのカレンダーっていうツールはあるらしい、ってところまでのお話をしました。

 この後、実際に「13の月の暦」を生活に取り入れて、自分が新しい時間の発信機になってみようじゃないかという奇特な行為に自由意志で参加する場合に、誰もが一度は挫折するっていうかつらくなって、カレンダーをはずして閉じてしまい二度と開かなくなることを皆さん一度は経験するんですけれども、そのめんどくさいなっていうのをいかに克服していくか、っていうことも多少お話していきたいと思います。まったく日付も違えば年始も違えば、数え方も違えば、今慣れてるカレンダーを当たり前と思ってれば思ってるほど、こちらにシフトするのは結構時間かかるからです。とても時間かかります。使い初めて、何年かはかかります。

 この中ですでにこのカレンダーを使っています、という方、既にユーザーです、って方、いらっしゃいますでしょうか?ヒュー、三人、嬉しいです。何年ぐらいお使いになってます?二年目、去年のカラー版からお使いになってます?ありがとうございます。どのくらいお使いになってます?やっぱり去年から。国本つく紫さんは?

― 国本さん 「一番最初のカレンダーの5の月から」
 最初って、なかなか頭混乱しませんでした?日付が。

― 国本さん 「ああ、なんとかこう」
 こうね。

― 国本さん 「その日何月何日だったっけなと考えちゃうと、混乱するけど」

 混乱するけど。結構、混乱っていう、楽しい楽しい体験があります。混乱、今日の日付を目で確認するという、ただそれだけのことでも、なかなかに混乱というものがある場合もあります。ま、人によるかと思うんですけれど、何故私が壁掛け型カレンダーが好きかと申しますと、トイレの壁とか台所の壁とか、仕事机の脇に掛けとけばボーっと見る、何か目がうつろになりながらもぼーっと眺める時間を持つことができるからなんです。そうするとなんとなく目が、例えば今日でしたら「磁気の月の二週目のここの位置なんだなあ、今日は。」っと例えばトイレだったら、坐りながらとかね、「はあーっ、今日は10日なんだー」というのを見る、「今日は13日なんだー」って見ていくところから始まります。「28日だー。」まで来ますと私の場合は根が単純なものですから、「あ、明日は新しい月になるからめくれるんだ」と思うとちょっと楽しみになるんですね。めくると、「おおーっ、新しい月が始まったな」という風に、目で少しずつ追いかけていくというところから入るのが一番いいように思います。

 で、今はなまじっかこういうようなガイドブックがございますんで、理屈と仕組みから入ろうと思うと、読んでも読んでも書いてある意味がわからないということもままあります。まったくカレンダーとか時間に対しての概念が私たちの通常の感覚と違うので、頭にしまいこもうと思うと、かなりつらーくなって来ます。なので最初は全くこれ(ガイドブック)を読まない、というのもひとつの手です。車の運転とか自転車乗るのと同じで、自転車に乗るときにバランスのとり方を頭で理屈で了解してからペダルを踏もうなんて思っても無理、というように自転車乗るときは転んで転んで転んでいるうちに突然乗れるようになるとか、車の運転にしても、教習所行く前に教習読本全部読んでアクセルの入れ方とかね、クラッチの切り方とか覚えようたってやっぱり無理です。教官の人に怒られ、怒られながら段々体が覚えていくこともありますんで、私的には28日サイクルの「13の月の暦」というのも目で28日というものを体に憶えさせちゃって、めくるっていう行為で28日サイクルっていうものを習慣化させちゃうって方がいいような気がします。なんか長続きの秘訣はそれじゃないかなと思っています。

 だんだんそうこうしていくうちに今日が何日、何日というのがわかってきて見えてくるように自分の中でなると、すごく面白いです。なんか私的にはグレゴリオ暦のフォーマットを一回初期化して新しい28日サイクルにフォーマットし直すと自分で呼んでるんですけれども、それにはボタンクリック一発自動に、ではなくて、半年、1年、2年くらいかかるらしいという風に思っていただけるといいような気がします。なんせ、生まれてこの方何十何年間ずっと、お正月だ、バレンタインデーだ、節句だ、夏休みだクリスマスだ、というのを、1月2月3月という日付でやりながら暮らして参りましたから、今さら「磁気の月」とかね「宇宙の月は」とか、「何それ、なんか、ずいぶんかっ飛んでる名前だな」っていうこれが自分の中で当たり前になるまでにはそれ相当に時間かかります。私もずいぶん時間がかかりました。私の場合はスペクトルの月という11番目の月が毎年今でも難関で、なぜかというと、この月の日付が、グレゴリオ暦と「13の月の暦」の日付とが、一日違いでずれているので、それが非常にややこしくて、いまだに仕事の請求書の月日を間違えちゃうというか、なかなか、意識をするのがたいへんだったりするんです。

     (テープ空白)

 女性の方には、なんといっても、生理日のチェックを、この「13の月の暦」でするのがお勧めです。あと妊娠されているお友達とかいらっしゃいましたらば、妊娠週のチェックにもどうぞ。お勧めでございます。この7日、7日、7日、で追いかけていくと、すごくストレス無いです。非常にストレス無いです。チェックしやすい感じがします。妊娠週のチェックがしやすいと、評判です。

 男性の方の場合は、28日まできたら、めくるのは俺の役目ということでね、家庭内での支配欲とか権力を発揮するのに、めくるのは男の僕の役割、というぐらいにね思うと、28日でめくる、28日でめくるっていうサイクルが、なんとなくあたり前って感じで、だんだんだんだんに入ってくるんじゃないかなと思います。

 で、みなさま非常に不思議だと思われるでしょうが、例えばこの壁掛け型のカレンダー、こちゃこちゃしたものがいっぱい描いてある。なんだかわかんないことがいっぱい書いてある、後ろにも、気が遠くなるようなことがいっぱいかいてありますけれども、気にしないでください。これ、おまけなんです。目を楽しませる不思議なおまけだと思って。これを全部理解しないと使えないかっていうとそんなことはまったくありません。これは、先のお楽しみとかね、仕組みとか構造に興味が湧いてきたときのお楽しみ用ですので、なんかあるらしいな、という程度でまったくかまわないです。大事なのは28日のサイクルです。28日のサイクルはイコール月のサイクルとかね、月の満ち欠けのサイクルはまた別に書かれてあります。月の満ち欠けの新月と満月のサイクルはこのカレンダーの中では新月が黒丸、黒全部丸、満月は白丸で、カレンダーの日付の右上のところに表示されています。それ以外の28日サイクルっていうのは、私たちの中のひとつのサイクルとして思い出す、基準になると良いと思います。

 あの、女性的なサイクルとしてもすごく28日サイクルっていうのは、私たち女性はピンとくるんですけれど、これは男性の方も同じで体の生物的なリズムっていうのは28日サイクルっていうのは、内蔵されてます。歯が28本あるとか、皮膚の表面の角質が入れ替わるサイクルであるとかいいますし。あとは面白いなって思うんですけど、稲、お米の稲が稲穂の中でお米が1個育つのに、7日間、1週間かけてたっぱが決まって、また7日間かけて横幅が決まって、7日間かけて厚みが決まって、最後の1週間で丁度一人前のお米さん、1粒のお米さんになるってことをある時人に教えてもらいました。「ほー、よくできてるんだな」って関心しました。なにかこう、生き物ってものが育っていくときの秩序ある周期的なリズムとしてこの7日、7日、7日、7日の4週間、その中に内蔵されていて、でも今はそれが錆びちゃっててちょっと蓋されちゃってたり、グレゴリオ暦使ってるうちに28日のサイクルを体がとりにくくなっちゃって、もし生理不順とかね、もし婦人科関係とかね、もし体のリズムってものが狂ってて、ストレスを感じて狂ってしまっているんだったらば、それを逆に緩めて戻していくようなイメージで、最初はこの7日、7日、7日、7日のサイクルを、目で確認して追いかけていくといいように思います。

 で、ちょとここにカレンダーの毎週の左側に、今年は赤、白、青、黄、創始、洗練、変容、熟成というような言葉が書いてありますんで、これも何かの計画をたてるときにね、今月ひと月の計画みたいにたてるときに、日本人の感覚でいいますと、起承転結という言葉がありますが、そんな風に1週目だからどんなこと始めようかなとかね、この週にはじめたことを今週は洗練させていこうと、で、3週目で仕上げよをしよう、4週目に入ったら、例えば「いのちの祭り」の決算報告書とか後片付けとかをこの週に全部ちゃんとやっとこう、あと、在庫残っちゃったやつの整理もここまでで片付けようと、そんな風に捉えたりして、実際の生活の中での具体的な計画をたてて実行していく時に、この4週間のサイクルで計画をたててみるっていうのがすごくお勧めです。

 ここにね、カレンダーの上のページに言葉が書いてあります。磁気の月のとこでしたらば「What is my charenge 」とか英語で書いてあります。日本語で下には「今年1年の私の目的は何か」とかね、思わせぶりなことがかいてあります。これは後ろのほうのここにね、毎月のキーワードと一覧表があるんですけど1年13ヵ月を、毎月毎月がバラバラで何の脈略もなく13ヵ月があるっていうんではなくて、ひとつのサイクルの全体構造として見立てています。これ見立てです。1番目の月がもしここだとしたら1番目の月、2番目の月、3番目の月、4番目の月、5番目の月までが、なにか今年1年間の自分の活動とか目標とか計画をたてていく上での基礎固め、まず、どんなことしようかなっていうような計画をたてる月にしようとか、5番目の月、6、7、8、9番目の月までにそれをどんな風に展開していこうかとかね、それをどんな風にこの辺りの月で完成させていこうか、とかね、13番目の月までにそれをどう完了させるかというような、生活の中で何か勉強したり活動したりする時の、先程もいいましたがタイミングを合わせる、同期をとっていくための物指しとして、指針として使うっていうのが、私は結構実際的で実用的で使いやすいんじゃないかなって、これはすごく役に立つぞと思っています。

 で、このカレンダーの右上の13単位の変なカギ型の図は、かぎ型っていうかなんというのか、この曲がった形は何かと申しますと、これは目に見えないし、触れないし、匂いもなくて、味もない、時間、時間、つかめない、この時間、時間は感じることしかできない感じ、今、今、今って、飛んでいっちゃうこの時間の今っていうものを、感じるしかできない時間というものを、無理やり形にしたとき、平面の形にしたときに、アグエイアス博士はこんな形が時間の形にふさわしいんじゃないかっていうひらめきを図にしたものです。

 音楽の例えにも似てるかなと思うんですけども、ドラムの拍子とかねドンツクドンツクドンツクっていうあの音とか、それからメロディーとか耳で聴いたり、体で振動を味わうドラム系とか打つ音系が振動ですよね。音楽だったらばバイオリンの音色とか、歌とか、まあ、ミュージックテープでもそうなんですけども、音楽はほんと時間の芸術だなあって思うんですけれども、連続の中で自分の中でひとつメロディーというものが聞こえてくるし感じることができますけれども、つかめない、音楽はつかめないし触れない、感じるだけ、体にだったり心にだったり感じる、その音楽というものをみんなやっぱり目で見たいから目で見て確かめるためにはどうしたらいいんだろう、昔の人は頭いいですから五線譜っていうものにね、みんなでわかるように共通の記号を作って音楽の楽譜というああいう形にして目で追いかけることができるようにしました。同じように時間っていうものを目に見えないものを無理やり形にして目に見えるような形にすると、そうかこういうカレンダーってものになるんだなあって私は思いました。

 なので、このウェイブスペルの形っていうのはなんだろう、って思ったときに私は目に見えない時間というものを目に見える形にしたときの、時間の形の図ですよーっという風にお話しています。これは、こうやってただ見ていると、変なのっなんだこれはって思うんですけれども、これを横にいたしまして、1番目の月が始まって2、3、4、5番目の月までいって、で、またこういって、13番目の月まできますと次のまた新年が始まって、5、9、13、また次のって、こういうようにね左回りの螺旋状にスピンをしてるって思うと、ちょっとイカスじゃない、と思ってたんですけれど、あるときに、はっと気がついたんです。「この形って、スパイラルじゃーん」って。そう思ったときに、これを横にすると、「あらー、ウェイブ、波形になってるんだー、時間ていうものも、連続していくときに形が振動、波型になっているんだなあ」って思って、面白いなあなんて思うようになりました。

 そのひとつのサイクルが形として、断片っていうのでしょうか、なんていうんでしょう、変な例えで申し訳ないんですが、どこを切っても金太郎飴っていいますよね…世代違うかな?…金太郎飴、どこを切っても金太郎飴っていうのがあるんですけど、こう細長くってね切ると金太郎の顔が見えるってね、その切った断面、時間を切った断面っていうのがこんな感じかな、ってイメージするといいんじゃないかなと思います。で、今月は13ヵ月あるうちのここなんだなとかね、次の月はこの位置なんだなあとかね、これなんとなく目で見ることで、ここの位置まできたってことが見えると思ってください。

 この1番目の磁気って呼ばれている月のテーマ、これがテーマなんだな、今なにか新しい1年が始まったんだなあっていう風に考えてみるといいんじゃないかと思います。ここに書いてある3行くらいの言葉は、自分が毎年この「磁気」の月に書かれた問いかけの言葉の時に、私自身が心がけていることなどを、短くまとめてみた文章です。間宮さんはこの月になると毎年こんなことを気をつけていますという、自分の覚え書のようなものを恥ずかしながら書きだしてみました。で、この左上の図は、デザイナーの方が毎月の数字のイメージをこんな風に図にしてみた、ということでございます。これも、なんとなくなんとなく目に入れてチェックをしていただければ嬉しいです。

 このカレンダーの1番のミソは、13ヵ月28日の周期とは別に、もうひとつ、日付の下に一緒に四角いマークとドットとバーで表された通称ツォルキンと呼ばれている260日周期の暦が同時に組み込まれているというのが大きな特長です。通常グレゴリオ暦は1年12ヵ月28日だったり、30日だったり、31日だったりするけれども、不ぞろいだけれども12ヵ月の月があって、プラス7日単位の曜日が延々と月火水木金土日、月火水木金土日というのが組み合わされているだけなんですが、「13の月の暦」ではプラス13個の数字と20個の四角いマークから表されているこの組み合わせの260日周期の暦が一緒に組み合わさっているというのが大きな大きな特徴になります。これ、便宜上なんですが、28日サイクルはからだのリズム、という風にいっております、28日の周期。プラスこの13個の単位の数字と四角いマークっていうのは、便宜上マインドとかね、こころとかね、リズム、要するに更に目に見えないほうの、掴めないほうの時間本来のリズムという風に説明をしています。この2つが組み合わさって1年が構成されている、というのがこのカレンダーの大きな特徴です。

 最初は28日サイクルっていうものを目に入れて、安定させていく、これがお勧めなんですけども、慣れてきたらば、下の四角いマークの周期っていうのもチェック入れてくるとなかなか味わい深いものがあります。13単位の数字のサイクルと20単位のマークのサイクルを追いかけていくことで、なんといったらいいんでしょうか、自分が普段日常で体験し、味わうさまざまな出来事の周期とか共時的な秩序というものに意識的になれる、自分の中であれっ、なるほど、そうかと思えることが増えてきますので、私はそれが一番面白かったです。あの、まあひとつこういった見方を通してでなければが見落としていただろうこととか、目に入っているんだけれども改めて意識したことのない事柄に対しての新しい見方、新しい視点を持つことができる「ああ、だからこうなってるんだ」と胸落ちすることが増えていったのが、いろいろと確認できて面白いのです。

 で、自分としましては例えば「13の月の暦」っていうものを「いのちの祭り」で、ひとつ講座という形で皆さんの前でお話してくれませんかと頼まれたときに「えーそんな、ドキドキするから恥ずかしいから」とすごく思って、「お断りできるものならお断りしたいな」なんて最初はドキドキしたんですけれども、この「13の月の暦」のカレンダーを広げて見ると、自分の場合は「うわあ」と思っちゃって、こういう月の第2週目のこの期間に始まるイベントなんだっていうのをまず確認して、この期間の中で私がおしゃべりができるんだったら行きたい、ぜひ行ってみたいし、しゃべらせていただきたいと逆に思う、そうするとよし頑張ろう、というようなことが自分の中で確認できていいなあ、とすごく思っています。

 これはよく誤解されることで、「「13の月の暦」はマヤ暦ですよね」「占いですよね」「このカレンダー使って今日はどんな日って思えばいいんですか」という質問をよくいただくんですけども、まったくそういった発想では作られていません。「マヤの暦ですか」という質問に関しては「マヤの暦と数学を研究されたアグエイアス博士達が現代人の私たちがつかい易いようにってことをまず念頭において、人間も地球の上に住んでる生物種として、もうちょっと回りとバランスよく暮らしていくための、もともと持っている能力をもう1回調えるためのカレンダーとして作っていますので、マヤ暦そのものじゃないんですよ、私たちのリズムを地球と時計合わせっていうか時間合わせするためにできていますとお話していまして、「占いですか」ということに関しては占いっていうんで、今日はどんな日だから何をしなくちゃいけない、とかまた、今日は種まきする日だから、今日は刈り入れする日だからっていうことを決めるためにあるというよりも、自分の中で何かをしようと思ったときのタイミングをとらえていくときの参考にはなります、という風にお話しています。

 私は28日サイクルのここで何かを始めようとか、あと13日周期の1番目の位置に入ったからこれをやろうとかいうように能動的に使う場合もありますし、また13日周期の今日は13日目だからやり残しを今日中に片付けて、明日から気持ちよく新しい13日周期をむかえようとか、そういう風に積極的に仕事に何かけりをつけるときにも使ったりしています。これは自分が能動的に何かをしようとする行動計画書として、結構いけるんじゃないかと思います。また、何か自分の中でもやもやしたものとか、これやろうかなどうしようかなと思っているときに周期を確認すると、「あっ、そうなのか」と思って納得すると、「よし、じゃ、やろう」とか。「そっか、やめとこうかな」というときの参考にはなります。参考にはなりますけれども、今日は何の日だからあれをしなくちゃならない、そういうような占い的な使いかたは、できないこともないと思いますが、する必要もないんじゃないかな、と思います。

 むしろ、自分のなかにある直観とかね衝動とか欲求とかを捕まえやすくする、自分の中で意識的にそれを「私ってやっぱりこれがやりたいんじゃん」とかね「これやっぱり、やろうと思ってたことやってみよう」と意志を引っ張り出してくるのには、結構いい目安に、いい時間地図帳になるなあなんてすごーく思っています。なので、自分としては例えば今月は自分でこれ、このカレンダー作ってたときって半年くらい前なんですけれど、今月のところに3行ほどの文章で、「私の今年1年の目的は何か?」の下に「身のまわりに起きてくる、さまざまな出来事や出会い。新しい体験に心を開き、流れに身を委ねていく中で、1年の目的となることが、少しずつ見え始めてくる。」っていうことを半年前に一生懸命に字数を揃えながら、なんとか3行で終わらせようとしながら考えてたんですね。考えてみるといのちの祭りという場所に参加して、たしかに新しい出会い、いろんな出会い、あるある、とかね、あ、なんかこう引きつけてる引きつけてる、とかね、自分も今体験してる体験してる、と思うと今ちょうど磁気の月だからそういう中に自分がいて、ちょうどいいんだなと安心していられるっていうか、仕事をほっぽらかしてもここにきてよかったなって思う、そういうのでなんというか自分の今の位置を確認できるし、私はこれを道路マップ、時間地図帳みたいに思いながら使っています。

 であとはさっきもいいましたけど、やり残しのことがあったらこの辺までに片付けて、気持ちよくカレンダーをめくれるようにして、新しい月からまた新しいことを始めようとか、そういう節目節目のけじめをつけるときに使い易いなと思っています。 いろいろ一生懸命になっちゃってついつい気合入れて喋っちゃうんですけども、まだすこし残りの時間もございますので、質問とかね、「私こんな風に思うんですけど、どうでしょう」みたいなこととかお話とかあれば、お話できたら嬉しいな、なんて思ってます。なにか、お話ないですか?長老。

― 国本さん 「長老?」

 すみません、長く使ってるから偉いとかそんなことはまったくないんです。私も全然。ただ面白くて面白くて病みつきになっちゃって、作ってたりね、自給自足で。先程も申しましたけど、自分が使うにはないと困るの日本語版、という動機で作りましたし、大変なことになっちゃったなと思いながらも使ってくれる人が増えると面白いからやめられなくなっちゃってるんですけれども、たまさか、今日初めて国本さんなのですが、私がまだ訳わからずに作ってた頃から毎年カレンダーを注文してくださっていて、お名前だけはいつも自分の注文伝票にね「国本つく紫さん」、つくはひらがなでみたいに書いてたから、今日初めてこの祭りのおかげでお会いすることができたんです。ちょっと感想とかこの暦は私はこれが面白いと思いますみたいな話しとちょっとお話しいただけたら私もその間にお水が飲めるんで嬉しいんですけれど。

― 国本さん 「私も、だから仲間内で2年位前に本当にごく少人数のところで別に誰が先生とかじゃなくて新しい暦が始まるちょっと位前に集まって、    
       
           とか(テープの音不明)
そういうこととかしてたんだけど、そのころみんなの感想で面白かったのは、私の場合はこうやって去年はもうカラー印刷になってたから、赤とか白とかもうあったんだけど、白黒印刷の時は自分で色鉛筆で塗っちゃって、今日は白だとか青だとかってそういう感じでやってって、最初の頃はちょっと気を入れてやってたから色に意味があるんじゃないかと思って1年くらい使ったあとでちょっと統計とってみようとか思って、いやあ、あんまりたいしたことじゃないんだけれど。誰々と会ったときに私ちょことここら辺にメモしてるんだけど、まあちょこっと名前とか書いとくわけ、それを抜き出していくと例えばどの色だったかちょっと忘れちゃったんだけど、赤だったかな、赤のときがなんか人と会ってる時が多いとか、まあその年によって違うのかもしれないんだけど、やっぱりそういう偶然じゃなさそうな必然的なものがあったりとか、で、ほんとにこれは28日周期で例えば1月前の、ああ、これはもう(註:年が変わってしまったので)ひと月前は見れないけど、今日は10日だから、10日は何してたんだろうとか、2月前の10日は何してたんだろうとかみるのも面白かったし、なんかそういう遊び感覚ね。

 だから私ほんとに何年か使わせてもらってるんだけど憶えようとしない、全然。だから今でもね、5番目の月は何の月だとかいわれても見ないと、ぱっとはすぐいえないっていうかんじで。で、この20種類のこれにしても、自分の誕生日で調べると判るんだけど、自分は魔法使いなんだけどそういうのは14番目っていうか、自分の身近にあるのは憶えてんだけど他のは憶えようとしてないていうか。

 だからほんとに、もうなんていうの、憶えようとしないから続けてこれたっていう感じ。気楽でね。やっぱしその時、おととしやってた仲間とかに今年「どう、使ってみる?」ってきいても、「あー、ちょっと、もう今使ってないんだ」っていう人もちらほらいるんだけど、でも、かなり熱心にやってる人もいたりなんかして」

人それぞれですよね。

― 国本さん 「そうそう。だから。それでいて私はグレゴリオ暦も兼用して使ってて、分裂気味になりはしないけど、そこらへんは適当でやってるんだけれど。(間宮さんに)グレゴリオ暦は、使ってないんですか?」

 我が家はですね、いわゆる普通の銀行で貰ったり文房具屋さんや本屋で買うタイプのグレゴリオ暦のカレンダーのたぐいは撤廃してはや4年かな。

― 「じゃ、もう全然ないんだ。」

 ないない。ポスタータイプとか、日記帳タイプとか、いろいろあるじゃないですか、今は。去年までは卓上タイプとかもあったから、我が家は全部「13の月の暦」にシフトしました。ほらやっぱりカレンダー作ってる手前もありますんで。なんかそうしてやってみたいっていうんでやってますけど、別に、思うほどの不便はないんですよ。「13の月の暦」のカレンダーの中に、グレゴリオ暦の日付も一緒に併記してありますから、それ見ればわかりますので。

 今、国本さんがおっしゃってたように私もカレンダー作ってみて目から鱗が落ちることがいっぱいあるんですけれど、もう私ね、面白いって思ったのは、カレンダーを通して、へえ、人間って面白いなって思うことがいっぱいあるんですけど、いろんなタイプの人のいろんな反応とかを知るのも楽しいんです。ありがちシリーズですが、「このカレンダーを使いこなしたいんです。どの本読めば解るようになりますか。どの本を読めばこのカレンダーの意味がわかりますか」と訊かれるのは圧倒的に男性の方なんですね。男性の40代50代の方が多くて、「いや、もう一切読む必要はありません、ただ壁に掛ければいいんです。」といった時に「それじゃあ、使う気がしない」っていう人は年配の男の人に多い。女の人の場合は「まず一番自分が目に付き易いところに壁に掛けるのがいいと思います」といったら「はい、わかりました」ってすぐ、掛ける。「ただ見ればいいんですよね、間宮さん」って「ただ見ればいいと思います。それだけで十分です」そしてFAX とかで感想で「ただ見てるだけですけれども、意味は相変わらずさっぱり解りませんけれども、でもすごく面白くて病み付きになって手放せません」っていうのはやっぱり女の人が断然に多いです。

 男の人で、特に仕組みとか構造とか意味とか順番とかキーワードとか全部暗記して覚えないと気がすまないってタイプの人に「それって楽しいですか?」って、「そういうことしないと、使う気になれないのでしょうか?」ってきくと、「そういう風に今まで勉強する仕方を憶えてきちゃったから、全部理解してからじゃないとそうしないと使っちゃいけないような気がする」っていうの。で、私は「学校教育の弊害、ここに極まれりですねー」っていう風に冗談でツッコミ入れるんですけれど。ただ使えばいい、ただ見ていくっていう、ただ気楽に楽しむっていう方が、私はすごく自然だと思うんですけれど、確かに、カレンダーとして使いながら、だんだん構造や理屈を理解する楽しみ、自分でそれがだんだんわかってくる歓びがあるんです。それが醍醐味であるんですけれども、使う以前の段階で頭でだけで最初に知ろうとしてひっかかると、そこで止まってしまうんです。で、結局、カレンダーとして使わないで終わっちゃう。難しいから、わからないからって。なまじっかこんなにいろいろなことが書かれてたりすると、何か意味があるんじゃないか、それを知らないと、完璧に憶えないと100点取れないと、使ってはいけないような気になっちゃうというのは、あーもう、そんなこと最初は全然考えなくていい、それはやっぱりどこかおかしいと。でもそういうことをまたね、人の反応を見てそれを通していろいろ自分が気がつけるっていうのは面白いな、なんて思うんです。

 あと、自分の中で面白かったのは、さっきからもうこの症状が出てるんですけど、今日が何月何日の何曜日だかわからなくなるっていうね、この混濁感がすごく良くって、それである時頭の中が真っ白になって、はっと気がついてみたら、西暦ってこと自体がひとつの現代のコンセンサスリアリティーに過ぎない、それも宗教的な理由から生じているものだということにはっと気がついた時に、なんか夢から目が覚めてそこから脱けていくような感じがする。本当は「今日」という日に、日付や名前があること自体、変なことなんだと気がつく瞬間があります。グレゴリオ暦っていうものがこういう物なんだって気がついたときに、はっと気がついたときに、これは国が決めているかも知れない、社会が採用しているかもしれない、私はそれを尊重もするし同意もする、ちゃんと請求書をグレゴリオ暦で切りましょう、だけど私個人の暦としては「13の月の暦」をこっちを採択します、という風に自分で決めていいんだ、っていうね、この喜びを味わったり。今日が月、火、水、木曜日、木曜日っていうのはコミック・モーニングの出る日、じゃなくて、木曜日っていうのは週の中の何日目、これもキリスト教徒の人が作ったんだよなあってことを再確認できる。なんかひとつ知ったら、自分が客観化できてくるようになるっていうのはすごく面白かったです。本来、もう日付なんかあること自体がおかしいんだ、人間だけがやってるんだと。

(いのちの祭りの午後の恒例となった雷鳴の音)いいですね、なんか来ますね、一発ね。皆さん、足場とか帰り道とか、傘とか大丈夫ですか?そろそろ最後の締めの言葉いっちゃってよろしいでしょうか。

 そういうことを自分が客観化できていくときに、今度このあとどうしようかっていうのを自分が主体になってやっていくっていうのはいいことだなと思いました。あとこのカレンダーにはいろいろなアグエイアス博士が時間概念とか時間の法則とか、「時間とは何か」ていうのを訴えていく上でゲーム形式に工夫してね、カレンダーゲーム形式にしてまず遊び心でそれを楽しみながら憶えてほしいってことを最初カレンダーを作る前の1990年頃に「ドリームスペル」っていう名前のボードゲームで提示してたんです。だから、カレンダーを使うにしても、国本さんがちょうど気楽に遊び感覚でっていったように、子供心にかえって遊びながら楽しみながら、少しずつ憶えていくっていうのがなんかすごくいいように思います。
 
 で、「13の月の暦」っていうカレンダーは1年13ヵ月28日の暦で、マヤの珍しい暦っていうよりは、今生きている私たちが生まれもってきたせっかくの能力、生物としての時間感覚というものをもっと活用してね、世の中の全体の中でそれをつなぎ合わせながら同期をとって使っていく方法、ツールとしてありますので、どうぞお使いになる方は気長にこれを通して、日々の時間を、新しい時間として、自分自身で発見していっていただければと思います。

 下のブースで、カレンダーも発売しておりますけれど、今この会場内にも入り口に見本とか本とかも置いてございますので、どうぞよろしければお目をお通しください。チラシもありますのでどうぞよろしければお持ち帰りください。

 ということで、3時になりましたので終わりとさせていただきます。今日はお時間を2時間も取っていただきまして、本当にどうもありがとうございました。

             拍 手

<後 記>

 この度は、西暦2000年夏の8月4日(青い銀河の嵐の年、磁気の月10日 4・星)に行われた「13の月の暦」特別講座の原稿を、いのちの祭りのサイト上にて公開いただけるとのこと、たいへん嬉しく思っています。いのちの祭り2000は、「13の月の暦」でみると、「青い銀河の嵐の年」の新年早々にシンクロして開催されていた、いわゆる年頭のイベントでございました。その記録を残そうという、スタッフのみなさまの熱意とご努力に、ただただ感激しています。本当にありがとうございます。

 今現在、西暦では2000年の暮れということで、世間では新たに始まるキリスト生誕後の新しい千年紀に向かって祝賀ムードもだんだんに盛り上がっているところですね。「13の月の暦」では、年始は夏場の7月26日からなので、まだ次の夏までは「青い銀河の嵐の年」が継続中です。ということで、一年は、まだ真ん中をやっと半分折り返そうというところでございます。「13の月の暦」を使用していますと、こういった世間の各種行事のフィーバーから、なんというかこう、一歩身を引いて客観的に眺める視点を持つこともできて、なんとも面白いです。余談ですが、年賀状を出さなくなってはや数年。それはそれで軽快な気持ちのするものです。

 さて「13の月の暦」での現在は「青い銀河の嵐の年」。青い色の年まわりは「自己変容」の年と言われてます。またこの「銀河の」という8番めの数字の年まわりは、自分の信じている、規範とする生き方を、今自分自身生きているか?を自ら省み、その無欠性を固めていく時であるともいえます。そしてこの時期は、ここ数年間してきた活動の形を整えていく時でもあります。西暦2001年の夏までの年間テーマとして、少し意識をしてみていただけたら幸いです。で、今度の夏からはというと、今行っている活動が社会化に向けて、有意義に方向転換、公式化していくという1年になるのではないかな?と私は受けとめています。

みなさまにとっての「今」が、「今、ここに在る」時間が、充実したかけがえのない瞬間でありますように!Be here now!

アルマナック 間宮真理子

<関連情報>

●「13の月の暦」関連サイト
水晶の日の円卓:http://members.aol.com/Entaku/
コズミック・ダイアリー・クラブ:http://www.async.co.jp/cosmic/

●「13の月の暦」のお問い合わせ先:
アルマナック TEL:047(495)5607(13:00〜18:00)/FAX:047(495)5608

<文中注釈一覧>

※1 太陽暦:地球の公転周期の365日を、1年の基本の枠組とする暦。「13の月の暦」やグレゴリオ暦は、この太陽暦である。
※2 グレゴリオ暦:現在使われている暦の名称。1582年10月にローマ・カトリック教会の教皇グレゴリウス13世によって制定された、キリスト教の宗教暦。4年に一度(正確には400年間に97回)のうるう年があるのが特徴。
※3 太陰暦:月の満ち欠けを基準とする暦。新月を月の1日、満月を15日とし、1か月は29日か30日で、1年を12か月とすると合計354日となる。イスラムの宗教暦などがこれにあたり、純粋な太陰暦では1年が354日となり、地球が太陽のまわりを一周する公転周期の1年365日とは、11日前後のずれが生じる。そのため、イスラム教の宗教行事であるラマダーンの断食月は、季節を移動していくことになる。
※4 ユリウス暦:紀元前46年にジュアス・シーザー(ユリウス・カエサル)によって制定された、ローマで初めての太陽暦。現在の一月の年始もこの暦から正式に採用されたという。
※5 参考書籍:「暦と占いの科学」(永田久:著/新潮選書:刊)、
※6 天保暦:西暦1844年より29年間使用された、日本最後の太陰太陽暦。いわゆる旧暦。
※7 参考書籍:「暦入門ー暦のすべて」(渡辺敏夫:著/雄山閣:刊)
※8 西暦604年、聖徳太子が憲法十七条を制定した年に、初めて暦法が採用された。ちなみに日本で元号が初めて使われたのは大化の改新の645年からで、正史に暦が正式に採用されたのは、690年の持統天皇の頃からと言われる。
※9 マヤ暦:中米のマヤ文化圏で使われていた暦の総称。現在判明しているだけでも、その周期の長短や仕組みによってさまざまな暦が17種類あるといわれ、用途に応じて使い分けられていた。その中で代表的なものが1年365日周期のハアブ暦(農耕暦)と260日周期のツォルキン暦(神聖暦)。この2つの暦は同時に組み合わされて使用されていた。「13の月の暦」に組み込まれている260日周期の暦は、ツォルキン暦のシステムを踏襲している
※10 ツォルキン暦のこと。
※11 「時間」(本川達雄:著/NHK出版:刊)




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