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DISCOGRAPHY

「おお チェルノブイリ」

ハルです。

忌野清志郎さんは、原発へ思想性はどうかは別にして、ロックなミュージシャ ンとして、昔から大好きでした。

なので、タイマーズの「COVERS」でサマータイム・ブルースをやったときはう れしかったですね!

同じ頃の1988年に、脱原発、脱核の時代をテーマに掲げた「NO NUKES ONE LOVEいのちの祭り」という約8000人くらい集まったギャザリングがありまし た。当時20代のぼくは、これに参加して人生が変わったと言っても過言ではあ りません。このときに流石にタイマーズは来なかったけど、このタイマーズの レコーディングに参加した元村八分の山口富士夫さんや上々颱風、喜多郎、喜 納昌吉さんたちのコンサートがありました。このなかでカルメン・マキが清志 郎のサマータイム・ブルースを歌って大いに盛り上がったことも思い出しま す。広瀬隆さんの話にもみな真剣に聞いていたし、アメリカン・インディア ン・ムーブメントの指導者のデニス・バンクスや同じくホピの予言のメッセン ジャーのトーマス・バンヤッケさんも駆けつけてメッセージを伝え、祈ってく れました。

こんな商業的ではない、草の根の市民の祭りを言い出して、そして中心となっ た、その一人が、ミュージシャンでもあり、知る人ぞ知る、内田ボブさんです。

ボブさんもこの時に「おお チェルノブイリ」という歌を歌いましたが、当時 この歌を各地の原発現地、六ヶ所村を歌い巡り、人々を勇気づけたと聞きます。

この歌は、ボブさんが今も住む長野県の大鹿村に入った、丁度その日に起きた チェルノブイリ原発事故について歌ったものです。

この事故から20年となる2006年の4月26日に、東京でNO NUKES ONE LOVEコン サートを一緒に開催しました。その少し前に東京アースデーのメインステージ のトリでもこの歌を歌いました。その後、祝島にも訪れ,ホクレア来航にも応 援歌を贈り、そして2008年に「おお チェルノブイリ」を再録音したCD「いの ちの道の上」を、六ヶ所村や上関の人たちへの応援歌として作りました。

この震災と、そして、いままで恐れてはいたけれど、でも決して現実になって 欲しくないこんな原発事故が現実となった今、あらためてこの歌を聴いて、心 に深く響くものがありました。

それでCDに付属で付けたDVDのアースデイ東京クロージングライブより、「お お チェルノブイリ」を抜粋して動画にしました。20分を超える長い曲ですの でyou tubeでは無理でしたが、どうぞ今また、一人でも多くの人に聴いていた だきたいと思っています。

 

(付録DVD) 2006年4月23日アースデイ東京クロージングライブより、 以下、岡野弘幹インディアンフルート〜内田ボブ「おお チェルノブイリ」抜 粋した動画です。20分を超える長い曲ですが、どうぞお聴きください。

 

ALL OUR RELATIONS !

ハル山口晴康 拝

 


 

おお チェルノブイリ

*チェルノブイリ 苦いよもぎ 原子力発電
チェルノブイリ 苦いよもぎ 原子力発電

ウクライナの空 ウクライナの空
熱い風が 吹きのぼる
熱い風が 吹きのぼる
死の灰が 死の雨が
降り注ぎ めぐり広がるおれ達の
降り注ぎ めぐり広がるおれ達の
故郷の空 故郷の空

母なる大気の中に
母なる大気の中に

約束された死の呼び声
逃げ場のない人々は恐れおののき
牧場の牛 草喰う上に
マーケットに並ぶミルクに
黄金に実る小麦畑に
清流を行く魚の背骨に
死の影が しのびよる
おお 死の時代
おれ達の時代

国家のお偉方はまっさきに
安全食に心がけ
国民不安に落とさぬように
NHKニュースはさりげなく
我が国の危険ゼロ% 我が国の危険ゼロ%
広大なユーラシアの大地 家もなく
羊の群れと共にさまよい歩く
何も聞かされず 何も知らない
なすすべもなく 電気も使わない
遊牧の民よ
その信仰の道の上
その果てしない空の下
おお 死の時代 おれ達の時代
おお 死の時代 おれ達の時代

*(繰り返し)

母なる大地の上に
母なる大地の上に

深まりゆく秋よ
日々 色どりを変えてゆく
赤石の峰に 吹く風寒く
里は冬仕度 収穫の時
熊は ガサガサ餌を漁る
小枝を踏み散らしながら
森をさまよい歩く
谷間に響く 鹿の鳴き声
谷間に響く 鹿の鳴き声
誇り高い鹿たちの愛のままに
森と共に流れゆく
時には 地主に追い立てられて
時には 罠にはまりながら
時には 鉄砲に怯えながら
時には ダムに道を奪われ
誇り高い鹿たちの愛のままに
森と共に流れゆく
チェルノブイリよ
お前の死の灰は
誇り高い鹿たちの魂を
殺せるとでも 思っているのか
何たる うぬぼれよ
殺すことも 守ることも
お前にゃ出来ない
おお 死の時代 だけど おれ達の時代 だから
おお 死の時代 だけど おれ達の時代

*(繰り返し)

母なる乳房の上に
母なる乳房の上に

ミルクを飲むな 野菜を食うな
水を飲むな 空気を吸うな
数万の民は これからどこへ
子供抱え 行き場もない
数億の民は これからどこへ
偉大なる国家の名の下に
死の国へと向かう
母なる乳房に注がれる 死の雨
生まれ来るおれ達の子供らよ
この雨の中を歩くことしか出来ないんだ
この雨の中を歩くことしか出来ないんだ 

おお 死の時代 だけど
おれ達の時代 だから
兄弟よ 仲間たちよ
支度はいいか 準備はいいか
誇り高いお前の魂を
大空に捧げる時が来た
おれ達の生まれのままに
おれ達の生まれを超えて
おれ達の愛のままに
おれ達のいのちのままに
おれ達の自由のままに

谷間に響く 鹿の鳴き声
谷間に響く 鹿の鳴き声
誇り高い鹿たちの愛のままに
森と共に流れゆく
森の道 深く
森の道 深く
おお 死の時代 だけど おれ達の時代 だから
おお 死の時代 だけど おれ達の時代

     詩・曲 内田ボブ

 

1988年にリリースされた「おおチェルノブイリ」を内田ボブが歌っていた 頃、私はどこにいただろう? 

チェルノブイリのことを深く考えることもなく、バリ島で映画を撮っていて、 内田ボブという名前すら知らなかった。20年の時を経て、私はようやく「内田ボブ」に出会った。

イラクーハンフォード(アメリカの核兵器工場)−ヒロシマ.ナガサキーボス ニアと劣化ウラン弾や放射性物質で汚染された地帯を旅したその果てに私は 六ヶ所村に行きついた。地球の表面をめぐる長い道のりの後で、私たちが生き るヤポネシアの根っこを掘り下げる映画を撮ることになった。

ドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディー」はこの国の原子力発電が吐き 出す核廃棄物の行方と私たち自身の暮らしを描いている。

この映画の上映を通して、私は長年同じ問題に取り組んできた人々と出会うよ うになった。ボブさんの音楽と出会ったのは山口県の祝島だった。瀬戸内海を シーカヤックで横断してきた男達を通じて初めて、私はその歌声を聴いた。

「ヤポネシアフリーウエイ」は海に生きる生き物達と一体化するような気持ち にさせてくれるアルバムだった。そして今回の「いのちの道の上」が同じシー カヤックをあやつるハルさんから手元に届いた。

ボブさんが「おおチェルノブイリ」で歌っている歌詞を私たちは20年前よ り、もっと現実感を持って聞くことができる。その歌声の明るさ、確かさ、豊 かなイメージの喚起力。「おお、死の時代 おれたちの時代 その果てしない 空の下 死の灰が降り注ぎ、めぐり広がる、おれたちのふるさとの空 母なる 大地の上に・・」

2008年、この歌が再び装いを新たに世に出る意味を考える。これまでの社 会のメインストリームから遥か離れた自然の中で生きてきた音楽家のメッセー ジが私たちに問いかけるものは何だろう? 

これまでのメインストリームが後生大事に掲げてきた価値観への根本的な問い かけがようやく普通の人々にも届いてきたということではないだろうか?

内田ボブがこの世界を歌う、その目線ははるかに時代の先を行っている。

「死の時代だけど、おれたちの時代だから、兄弟たちよ、仲間たちよ、したく はいいか、準備はいいか、誇り高いお前の魂を大空にささげるときがきた、お れたちの生まれのままに おれたちの生まれを越えて、おれたちの愛 おれた ちの命のままに、おれたちの自由のままに、」

ここに歌われているのは単なる反核のメッセージではない。もうひとつの価値 を生きる実践から生まれてきた言葉であり、次のまた次の時代にまで届くメッ セージなのだ。

原発や社会のありかたをテーマにしながら、こんなにも純粋で洗練された音楽 を私は知らない。20年後の今、めぐり合えた幸せを感じながらこのアルバム を聞いた。しかもボブさんの声は20年前と変わらず若々しくチャーミングな のだ!!

次々と、普通の人々が自分たち自身のこれまでの生き方に疑問を感じ始め、 もっと自然とつながりたいと望み始めた。そんな「おれたちの時代」にボブさ んの音楽を「解き放て」ば、後続の若い人々が、どんなに力づけられるだろう。

「死の時代」を「愛の時代」や「いのちの時代」に変えるのは私たちのこれか らの仕事になるのだから。

ボブさんの歌声からいのちの息吹が吹き渡ってくる。

 

映画「ヒバクシャ」「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」映像作家 鎌仲ひとみ
〜内田ボブCD「いのちの道の上」ライナーノーツより

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YAPONESIA FREEWAYというレーベルを内田ボブさんたちと作り、CD制作ととも に、太平洋、アジア、母なる地球、ぼくらの住む日本列島ヤポネシアの非核・ 非戦を願い活動をはじめました。そのCD「いのちの道の上」に収録されている 「おお チェルノブイリ」の歌はいま!だからこそ、たくさんの人の心に響く 歌であると思います。

(付録DVD) 2006年4月23日アースデイ東京クロージングライブより、
以下、岡野弘幹インディアンフルート〜内田ボブ「おお チェルノブイリ」抜 粋した動画です。
20分を超える長い曲ですが、どうぞお聴きください。

ハル拝

 

・・・ぼくらはまっしぐらに各自の内面深く降りてゆこう。ゲームの内にただ 空回りしてゆくだけの愚かな状態は、ぼくらの誰からも消え去ってしまうだろ う。人類は生き残るべき道を、ひとりひとりの自己は無限の自己への道を見い だすだろう。部族社会は、まさに夜明けの太陽のごとく、全地上にあまねく光 を投げかける。国家社会の下に息絶え絶えに生活している他の人類に対し、幾 度も幾度もぼくらの内面の呼吸を、大地の呼吸、魂の呼吸を取り戻させるべ く。「大地に帰れ!」と、そして「自らの内に大地の呼吸を取り戻せ!」と。

「部族宣言」(抜粋)ナーガ(長沢哲夫)
『部族』新聞第一号(1967年12月発行) より

日本にも、かつて『部族」という生き方を選択した若者たちがいた。

イベントだけではない、生き方として日々「アースデイ」を生きてきた。そん な生き方から、オーガニックフード、ディープエコロジー、脱原発や反核、平 和へのムーブメントに今も影響を与え続けている。

チェルノブイリ原発事故から20年が来る2006年4月23日アースデイ東 京。

そんなアースデイの源流でもある「部族」の、ゲイリー・スナイダーの盟友に して20世紀の生き証人である詩人ナナオ サカキ、ナーガこと長沢哲夫、百 姓シンガー内田ボブ・・・、

このチェルノブイリの20年目の地球の日に集まった20才前後の若者たちに スピリットをつなげるべく、ヤポネシア部族長老会議がステージの上で行われ た。

詩と歌と、そして 大いなる祈りと共に! NO NUKES ONE LOVE !