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牛は草を食う

牛は草を食う
追う牧童もいない
しめるものも ゆるめるものもいない
ロープもない
雨が降る御断食の日
今ここにあったものは
今ここにはない
ナナオのお父様は地動説を死ぬまで納得できなかったそうだ
やまに住む猿
たにを走る鹿
天動説地動説何のことやら
でも大地と季節のことはよく知っている
笹子トンネルの事故を受け
ニュースキャスターは
文明の老朽化を語っていた
選挙演説はあなたの運命は私に任せなさいと言っている
毎日毎日入つて来る放射能の話
ギターを爪弾く日々
時と語らう今
今日は母の命日
雨が降る御断食の日

昨日ガイガーカウンターをもって
友が遊びに来た
0、13マイクロシーベルトはストーブの周り
ここはまだいいね、彼はいう
彼は北から来た、彼のところは桁が違うという
ここは赤石連峰(南アルプス)山中大鹿村釜沢
彼は移住場所を探し旅をしていた

このたびのツアーの最中
マーシャル群島のリジョンさんがなくなった
67歳だった
58年前のブラボーショットの時
彼女はロンゲラップで被爆した
7回の流産を体験している
死ぬ前は薬との闘いだった
彼女は世界中を回り
非核平和を訴えた
一体誰が私たちの話を聞いてくれるのだ
私たちはもう遅いかも知れない
が、未来の世にはこの苦しみを引き継がせたくない
7世代先の者たちのための祈り
ここでも同じだ
今日は母の供養
雨が降る御断食の日

牛が草を食う
追う牧童もいない
しめるものも ゆるめるものもいない
ロープもない
雨が降る御断食の日

2012.12.12


上関原発絶対反対!

そして、原発建設予定地は瀬戸内最後の藻場である。そこを埋め立て、原発を建てるというのである。何という馬鹿げた経済論理だろうか。完全な白痴状態である。原発がたとえ出来なくても、この海の生命の生命線でもある藻場が、失われるのなら元も子もない。漁師たちは、大きな致命的な打撃を受けるだろう。

先日、岡山牛窓の友達を訪ねた。そこは、錦海湾という大きな入り江のそばにあるところだった。錦海湾は、4、50年前に堤防で仕切られ、その内側を引き水形の塩田にした。しかし、その塩田は創業10年で終わり、その後は放置され、塩田の会社は輸入塩を扱ったり、産業廃棄物を塩田跡に持ち込んでいる。もともと錦海湾は公共のものであったのだが、県と業者が手を結び、一企業のものとして、名義を作り変えてしまい、今日にそのままに及んでいる。塩田の跡地利用をいかにするかということで、今、県や業者は、頭をしぼっている。そして、瀬戸内海各地に溜まったヘドロの捨て場にしようとしていて、周辺住民と揉めている。そのヘドロたるや、調査された結果はひどいもので、ウランがその中に含まれているところも確認されている代物だ。その錦海湾は、瀬戸内有数の藻場だったのだ。漁師達の話では、堤防ができてからは目に見え、魚は減っていったそうである。当然のことだ。魚たちを育む藻場である。岡山県では水島コンビナートの建っている場所と錦海湾が、大きな藻場だったと地元の人が熱く語っていた。錦海湾を失い、すべてを失い、さらに、瀬戸内のヘドロを押し付けられることになってしまったのだ。ここにも、高度経済成長の爪痕がある。まして高度経済成長も行き詰った昨今、上関で同じことを繰り返そうとしているのだ。

  ぬばたまの
  夜は明けぬらし
  多麻の浦に
  あさりする田鶴
  鳴きわたるなり

ちなみにこれは錦海湾の千年前の風景である。

悲しき瀬戸内海、この50年、60年、いったい何を得て、失ったのだろうか。最後の藻場と言われる上関原発予定地を埋め立ててしまっていいのだろうか。
手をつなぐ人々!
抗議しよう!
中国電力、山口県、日本国に対して、見つめなおそう。私自身、私たちはこの原発建設からいったい何を得て、何を失うのだろうか。
今年秋風のツァーで、南九州を少々回り、そして、山口県長門市、電車の駅でいうと人丸という駅で降りて、しばらく車を走らせ、小さなこみ入った入り江のそばで、塩を作っている若い人たちのグループがあり、その人たちは、古い農家を改造して小さな民宿をやって、自給自足の生き方を模索していた。そのような場所のため、また、いろいろな人たちが集まってくる場所にもなっていた。県外からも若者が旅をして立ち寄り、仕事を手伝っったりしていた。日本にもこのような場所が、またあちらこちらに増えてきたような気がする。そこは長門市で、上関と行政は別だが、同じ山口県だ。そこの集まってきた人々も今度の県民投票は頑張るぞと意気揚揚としていた。
上関を取り巻く状況は、原発反対、原発建設敷地埋め立て反対の人々にとって、とても厳しい状況にあると思う。とにかく、国は県に、県は市に、力づくで聞く耳持たず、ごり押しで工事を推し進めるようなかまえだというように、人々の話から察することができた。皆で、県外からでも、声を出して聞こえるように応援しよう。
手をつなぐ人々!
瀬戸内の心を一つにして、中国電力、山口県、日本国に抗議しよう。そして、自分たち自身を、足元の瀬戸内の海を見つめなおそう。

海を見つめなおすということは、いうまでもなく、川を山を大地全体を見なおすことにほかならない。

 

もう放射能はいらない

もう放射能はいらない。瀬戸内の海の水は、50年間、瀬戸内海にとどまるという。なれば、放射能も同じこと。もう、これ以上、原発をつくるな。さらに、伊方の原発も終わりにして欲しい。
2006年、チェルノブイリ・デーの際。久しぶりに、東京代々木で、広瀬隆さんにお会いした。ずいぶん会ってなかったが、元気そうだったので何よりだった。「20年前と比べると市民に怒りが、感じられなくなった」と語っていた。広瀬さんは、相変わらず、熱い人だ。さらに「六ケ所再処理工場を止めることは、日本中の原発を止めるということだ」と言っていた。まさしくそのとおり。子供でもわかることです。だから、反原発運動は、決してローカルなレベルの問題ではなく、日本中、皆が声を揃え、心を一つにして、叫ばなければならないことです。

この度、南九州をナーガと一巡してきた。鹿児島でも川内原発がもう一基、建設するということに、心ある市民が、集会を行い、反対の意思をぶつけていた。日本中の原発が止まるまで、この戦いは続くのだ。他人ごとではない。明日にも、君の住む地域に、核のゴミ捨て場構想がやってくるかもしれない。原発が増え、再処理工場ができれば、それは、必ず、訪れる問題だ。もし、今の日本の原発が止まり、再処理工場ができなくても、すでに、蓄積された核のゴミ処理の問題は同じように残されている。南西諸島のあちこちの島でも、核廃棄物最終処分場候補地の噂が、ちらほらと、聞こえてきたりもしている。もてあました核のゴミは、劣化ウランにでもして戦争マーケットに売り飛ばし、あちこちにばら撒こうというのか、日本政府、特に麻生などは、背に腹は変えられないとか言って、平気でやりそうだ。そしてこれは、日本だけの問題ではなく、日々、太平洋に注がれ続けている放射能、これは、一体どういうことになるのか。世界中で僻地を抱えた国は、廃棄物取引のビジネスを考えるだろう。これは、大きなビジネスチャンスだから、中国、オーストラリア、、、とか。これは、世界中で、皆、本気で考え、行動しなくてはいけないことだと思う。原発をなくすというのは、戦争をなくすということに等しいことだと思います。いかがでしょうか。
NO NUKES ONE LOVE

NO NUKES ONE LOVE
原発はダメだ。いらない。なくてもいい。ない方がいい。絶対、あってはならない。
山尾三省の遺言に、原発のようなネガティブなエネルギー依存しない社会をめざそうと、ある。彼の言葉はいつも、しっかりと現実社会を見つめていて、肝に銘じるものがある。原発は発電プラントであると同時に、ネガティブな経済社会の象徴である。

ONE LOVE 自然界は皆、繋がり、絡み合っている。僕らの行動が、自然界にとって、ポジティブなものなら、それは、おのずと自然界に結果として現れ、その逆もしかりということだ。自然界、僕らを取り巻く環境が、ポジティブなものか否かは、僕らの行動にかかっている。それは、慈悲。慈悲とはNO NUKES、人間だけの都合でものごとを行ってはいけない。


 

上関原発をめぐる問題

これは、他人ごとではないぞ。まして、山口県だけのことではない。

原発は、国策である以上、これは、国民の問題だ。

放射能は、海流に乗り、風に乗り、まき散らかされるのだから、

とくに、瀬戸内地方の人々には、大きな問題だ。

皆、知らんぷりを決め込んでもいいのだろうか。

白血病、流産、海産物、農産物汚染、死の影が、しのびよる。

じわじわと、未来を被ってゆく。

原発反対派は、山口県民投票に持ち込み、県と国のごり押し政策に対抗しようとしている。

皆で応援しよう。各地で自分の県のことではないからと黙っていないで、のろしを上げよう。

集会を開こう。声を上げよう。内なる愛を解き放つ時だ。

黙っていちゃいけない。他人ごとではいけない。対岸の火事では済まされないぞ。

さあ、声を上げろ。瀬戸内海をロボットの国から取り戻せ。

声を出せ。声を出せ。形にしろ。出来るだけ大きく。

山口県民投票の日は近い。急げ。急げ。各地でのろしをあげろ。

山口県に向けて愛のエールを送れ。

(2008.12)


新年おめでとう

さあ、今年も行くかー!と

    太陽が歌っている。

黄金のカヌー、それは全てを飲み込んでいく。そして、暖かく抱く、黄金色の懐に。

雪は滲み、土に滲み込み、森は歩き出す、森に向かって、森を育む。

時に荒れたように見える崩れたかずらの藪も、森に向かって着実に歩いている。

そこで君はひたすら、その足音に耳を澄ます。

そこで君はひたすら、森に向かって歩いていく。

日々食い、日々歩き、日々眠る。
吹き荒れる風を誰が止めるというのか。ウィルス達のパーティのテーブルに並べられ、食い散らされていくホモサピエンス、サピエンス、子どもも、母親も、若者も、年寄も。

 慌しく世の正月は終った。人々は来て人々は帰っていく。帰省ラッシュだ。Uターンだ。飲め、食え、買え、売れ、漫才だ、落語だ、演歌だ、70年代フォークだ、鮭だ、鰤だ、エトセトラの大合唱、そして慌しくもあさましくも、日々の株式へと帰って行く。ビジネス、ビジネス、日本経済、世界経済、核抑止力と同時に核製造、核製品販売何でもやらにゃ生きていけない。ミサイルを突きつけられているんだ。何を呑気なことを言ってるんだ。軍備強化、軍隊強化、若者教育、国民総兵隊化、富国強兵、平和憲法破棄、この夏には、六ヶ所村再処理工場が本格操業に入り、MOX燃料が商業化、商品化されるという。お得意先は日本中の原発、プルサーマルという最もやばい博打産業、ここから近くの浜岡原発でもその話が見え隠れしている。日本だけではない。海外にも売ることができる。また、どこか経済界とやら、色めき、ざわめき、眉間に皺寄せてんじゃないのか。温暖化していく地球大気とはいえ、なつかしい寒気団の訪れ、大雪を連れて来た。ヤポネシア全島に及び、大荒れだったそうだ。三日続きの雪晴れて森を歩けば、足跡もない。雪の森に踏み込み、じーっと木々の囁きに耳を澄ませながら、ウソ鳥だろうか、森のあちこちにピーピーと澄んだ声を静かに響かせている。
  新年おめでとう  今年もよろしく。  2007・1・12

 昨年は、ホクレアで暮れ、今年は、ホクレアで明けた。ホクレアとは、牛飼い座の主星(全天でシリウスに次ぐ明るさを持つ)の名前で、何でもハワイの真上を東西に動いている星だそうだ。この星の名を乗り込むカヌーの名に頂き、星と海流と風だけで航海して、この度、ハワイからヤポネシアへ来ようというカヌーの名前だ。ナイノア・トンプソン率いる10名余りのクルー達によって、この航海は実行されようとしている。(ホクレアとはハワイ語で喜びの星という意味)
 50年余り前から、西欧米諸国の核実験の場のひとつ、ミクロネシア、ビキニ、マーシャルの島々と人々の海を航海し、パラオ、沖縄、長崎、福岡、山口、四国宇和島、横浜、ヤポネシアを巡る予定だ。この予定は未だ予定のままだが、とにかくハワイ・ヤポネシアの航海のロープは解かれるのだ。その航海をするカヌーの名前がホクレアと言うわけだ。広島を第1回めの核実験と呼ぶ人もいる。考えてみれば、戦後60年は核と核被爆の時代と同時に経済成長の時代とも言える。経済成長とは、言い換えれば戦争と自然破壊ビジネスとも言える。非核平和環太平洋の希望の風に吹かれて、カヌーはやって来るのだ。朝の方向に旅立ち、昼の方向を通り、カヌーはやって来る。ヤポネシアへ。(→HP「ホクレア号、ヤポネシアへ」

 ホクレアのヤポネシア航海にあたり、世界屈指のシー・カヤッカー内田正洋氏のところへ相談が、ナイノア本人から持ちかけられた。ミクロネシア・太平洋からの風を是非、広島、長崎だけでなく、今現在、原発立地をめぐって闘う現地に(山口県・上関)。またビキニで、1954年に被爆した第5福竜丸の母港、静岡県焼津市などにも招き入れたいと内田さんは思うようになった。

 太平洋の核実験、核被爆の話題は50年余りの間、ほとんど封印されてきた。広島・長崎の平和セレモニーの影とされてきた。今その封印は解かれるのだ、そのように願いたい。六ヶ所再処理ビジネス・ストップということは、どういうことか、6000kmとも7000kmともいわれる命がけのホクレアの航海を期に、各々の心に今一度おもいあらためてもらいたい。

 1970年代後半、沖縄西表島に住んでいた僕らにパラオからの呼びかけがあった。反戦・反核・独立ということ、太平洋の一員として共に闘おうということだった。彼らはアメリカのトライデン基地を受け入れた自由連合基地化政策と闘い、非核・独立を訴えていた。アメリカと手を切り、自給自足のパラオ国にすると主張した。それは400年にも及ぶ欧米諸国の支配の歴史に終止符を打つと言うことだった。彼らは悩んでいた。若者達がコカコーラにいかれちまうことを。彼らは言った。日本が占領していた時、日本人は威張り散らしていて嫌いだった。が、日本人が持ち込んだ米は好きだ、沖縄だったら米があるだろう、種籾をくれと言ってきたので、少々の種類の籾を送ってあげた。
 僕らはもう一度、タロイモとヤムイモの道を生きていることを思い出す。太平洋に繰り返された核実験、そしてそこに住む人たちは実験動物であったと、人々は気づき出したのだ。日本国においては核だけでなく、経済成長の実験動物なのだ。そして闘いは今も世界中で毎日続いている。ホクレアはそのような風に吹かれてやってくるのだと思う。しかし何よりもホクレアを旅させるのは、太平洋の愛だ。
 ホクレアを前に、六ヶ所再処理工場ビジネス、憲法改悪を前にLOVE&PEACEをぼく等の心の中にはっきりと決意を以って問われなくてはならない。上関原発を作らせてはならない。焼津からの平和の願いをしっかりと太平洋非核の輪の内へ届けなくてはならない。プルサーマルを許してはならない。世界で最も危険な場所に立つ浜岡原発を一日も一刻も早く止めなくてはならない。
雪の森の中に佇み、ふと故山尾三省の三つの遺言を思い出す。

世界中の川の水が清らかでありますように。
原発のようなネガティブなエネルギーに依存しない社会でありますように。
日本国憲法九条が世界の平和憲法となりますように。

 ホクレア来航に向けて、静岡の仲間たちとCD製作中だ。装丁は秋野亥左牟が絵を描いてくれている。きっと素晴らしいものが出来てくるだろう。どうかこの風を受けとめてくれ。君の心にもう一度、大地と海への愛と希望の炎を燃やしてくれ。
 CDのタイトルは「ヤポネシア・フリーウェイ」美しいコーラスやアフリカ楽器の太鼓やコラ、ピアノ、ベース、ギター、ドラムのオーケストラだ。未だ発表していない曲もある。是非聴いてくれ。そして、太平洋の島々へ、人々へ、生きとし生けるものたちに君たちアーティストの心からなる愛を捧げてくれ、ひとりでも多く、いのちの微笑があなたの住む、海に、島に、山に、ヤポネシアにはじけますように。

つながろう 虹のヤポネシア
祓いたまえ 清めたまえ
わだつみのかむながら
まもりたまえ みたま
さちはえましませ


2006気まぐれ夏便り

(2006.9.1)

 8月も早過ぎ、秋の響きがしのびよってくるこの頃、草達も硬く骨ばり、藪には虫達が音濃く鳴いている。大鹿村釜沢でも朝夕めっきり涼しく、もう夜は布団も欲しくなるような心持です。
 この夏は、ビオトープ・どじょう池プロジェクトも沢から黒パイプで水を引き、田んぼ用水と合わせ安定した水が得られ、順調でした。春に植えた蓮根(古代蓮)も成長して、根と葉をひろげ、蓮の花も一つ咲きました。なかなか一年目だからか、時間のかかるものなのですね。しかし、昨年の苦労を思うと天と地で、今年は水草もたくさん生え、あまったお米の苗を植えといたんだけど、それもよく育ち、クレソンもモリモリと夏の暑さで育ち、セリに至っては、少々育ちすぎです。圧倒されてます。田の土もやっと泥の臭いがしてきました。もちろん、どじょうのためだけの沼田ではありません。沼の生態系すべてのための沼です。どじょうの養殖にはしたくないと思ってます。

7月の末には、入笠山で行われた「白いアナグマの祭り」に行ってきました。。風力発電の巨大プロジェクトが入笠山に目をつけ、地元の有力者達と手を組んでのりこんできたことに反対する声も少なくありませんでした。計画自体も箱物行政よろしく地元にメリットを感じるものでは全くない。生態系にも百害あって一利なしという計画、まるで日本の象徴といえるものです。ああ、情けなや。ただひたすら、心ある声が世界に届きますように。また自分も力になれるならと思います。

 8月は毎年のことながら、ここ釜沢にもたくさんのゲストが訪れてくれました。本当にありがとう。でも本当に忙しく、これも毎年ながら、駆け足の8月でした。

 8月20日には、静岡「ブンブン・バッシュ」で、マーボ、カズオと共にライブもありました。久々に天空オーケストラのフルメンバーと一緒になり、彼らのプレイも聴け、とても楽しかった。岡野君の息子ヒロ君とも久々に会い、でかくなってるのには、これまたびっくり。早いもんだな。ピースウォーク・アリゾナの頃はまだ子どもだと思ってたのに、やれやれ。

 8月21,22日は、バルナギータバンドでプレイして、春以来なので、これも面白かった。名古屋の「KDハポン」は人の出も少なかった。夏休みから皆、まだ帰ってきてなかったのかな。翌日、豊田の「まだら屋」一周年祭りに呼ばれて行ったが、こちらは若い力、ムンムンで面白いなんのって、久し振りにいい刺激だった。若い衆の乗りもよく、インテリジェンスもなかなかいい。アジアインターナショナルな感じがして、これからも盛り上がっていくでしょう。

 慌しくもありましたが、少々ライブもしました。誠に信州の夏は短いと言えるでしょう。8月28日は、山尾三省の命日で、久し振り、1年ぶりに、晴美さんに電話をかけ、挨拶もし、声も聞けました。野草社の石垣さんも丁度そこにいて、彼とも話すことが出来ました。たちまち、現実界と霊界は一つになりというのも変な表現だが、まさしくそのとうりで、話は原発や憲法、来春ハワイからやってくる星の航海師達のカヌーの話、ミクロネシアの核実験、焼津第2福竜丸被爆事件の話、忘れないぞ。それは、今僕らがここにいる現実なんだ。青森六ヶ所再処理工場の話、焼津にカヌーが来る時はよろしくとか、話はどんどん広がり、なんとも三省の遺言に沿って、話されているような気がしてきた。さらにその日、諏訪瀬からナーガが向かっているということだった。ああ、三省の命日が行われているのだ。三省の三つの遺言は歩いているのだと思うのだった。これからも歩いていくだろう。ポンに言わせれば、なんでマリファナのことを言わないのだと不服だろうが、その日は、三省に連なる、また、僕に連なる、霊界、現実界ごっちゃ混ぜ、結局は三省も僕もない連なる者達とのセレモニーの日となりました。道は続いているのです。続いていくのです。永遠に今このいる場所に。

カヌーのことだが、来春4月、ヤポネシアに来ることが決まったようだ。その時は、是非、上関原発予定地や焼津にも立ち寄ってもらいたいものだ。ウェルカム太平洋、日本はこれでいいのか。山口「まなまなさま」のシェフであり、歌い手でもある源之助にもこの秋もうすぐ会える。彼は本当に、上関原発反対のために身を削って、支援してきた人だ。色々、もっと話を聞けるだろう。今この原発を許していいのか。祝島の人々は実力阻止も辞さないかまえだ。さあ、みんな、浜に出て見てごらん。朝の方向、群青の空から、船は漕ぎ出され、黄金色の亀が、大海原を、島へやって来る。原発がつくられていいのか。たくさんの被爆者の霊がやってくる。さあ、浜に出てその声を聞いてごらん。是非このカヌー・プロジェクト・ナイノアトンプソン他中間達の無事と希望の航海であることを祈る。霊界も現実界もごっちゃ混ぜ、魂たちの平安のありますように。


  

お め で と う  2006年 正月


今年も、松笹を飾り、初日を迎えました。
鹿の頭骸骨を飾り、赤青黄緑白黒の色の布を結び、アリゾナのサンダンサーが持ち帰ったサンダンストゥリーの切れ端を飾り、キャニオン・デ・シェリーの柳の枝を鹿の角に捧げ置き、元旦の朝日を迎えました。

元旦の朝は、釜沢部落の神社で新年のセレモニーを行い、そして新年の宴会がおこなわれました。年々、部落の人は年を取り、参加する人が減ってきています。その代わり、新住民である若者や新住民の子供たちが帰ってきて、おかげで盛り上がりました。休みなく歩き続けるゼネレーションを感じないわけにはいかなくなりました。新たな生命、若い力、しなやかでたくましい心が、山を、川を、時代を浄めていきますように、祈らずにはいられません。母なる地球のやりかたで。

去年の暮れから、そして今年も山に入り、薪木を引いて降ろして来ています。去年の台風で、立ち枯れた木々が、あちこちに、へし折られ重なり倒れている。当然、全てを引き降ろすことはできない。ミズキの大木、栗の木、時には桜、みな、それぞれの燃え方をする。それらの殆どは山に帰る。それらは、どこまでも歩き続ける、母なる地球の歩き方で。その二、三滴を僕らはもらい、冬を越す。生命の火だ。

戦後の植林政策で、山も荒れたところが目立つ。ただ計らずも、外材ブームで植えられたまま放置され徒長した木々は根張りも芯も弱く、雪や風で倒される、そこに陽が射し、山本来の落葉樹が生えてくる。がけ崩れと共に生命の森が帰ってくる。母なる地球のやり方で。

あらゆる苦しみに救いの手がさしのべられますように。

あらゆる病に癒しのマントラが届きますように。母なる地球のやり方で。


虹 の 輪 の 行 進 へ (2004.6)

 

We can Live again
 On the earth

 ぼくたちがある
 ぼくたちをあらしめる
 あらゆる場所は聖地
 アシュラムである

もしぼく等が心開き、気づくなら、春に目覚める若草の歌。平和はいつもぼく等のかたわらを静かに、たくましく、軽やかに歩いている。そう、ここから歩き出そう。

2004、6,21、ワールド・ピース・プレーヤー・デー、富士の麓へ向けて、ラコタのメディスンマン、ロバート・ステュードの祈りのスタッフを持って、大鹿村から歩き出す。名付けて虹の輪の行進。途中、仲間達と合流しながら、ゆっくりと歩いて行く。出発日はまだ定かではないが、6月中頃か、もう少し早くなるかもしれない。6月20日は、富士宮市より、WPPDのセレモニーの会場までウォークが計画されている。この虹の輪の行進もそれに合流し、会場へ向かう予定です。

虹の輪の行進は、デモでもパレードでもアピールでもなく、ただ自分達の内なる、また足許にポツリと咲く草達、転がる石達、しみわたる水達、ぼく等の畑食い荒らす鹿達の平和の祈りを仲間たちとの集いの場へ、ロバート爺のスピリットであるスタッフを共に運ぶための行進である。とは言え、時間の許す方はどなたでも一緒に歩きましょう。たとえ一時でも。

大鹿村より富士宮まで、R152、R20、R52を通り、行きます。途中、応援支援あらば幸いです。

さあ、歩きましょう。何も考えずに。考えが、ぼく等を考えるのだろう。現実から目をそらすための祈りなどない。祈りの瞳、祈りの心、で現実と向かい合い、そしてその慈悲は静かに確かに、世界へ広がっていくでしょう。水達のように、また心からなる光のように。

春風に目覚め、梅雨に育ち、夏の太陽にたくましく鍛えられ、秋風に実を結び、冬、静かに母なる大地の呼吸の中に坐る。
いろいろな場所から、街や村から、人々が歩き出すという声が聞こえてきています。是非6月20日、富士宮で会いましょう。道中の無事を祈ります。あなた方の所からの祈りと一つになり、大きな大きな虹の輪ができることを楽しみにしています。この時代において、祈りを持って歩くことは、とても大切なことです。その報いは自分達の生きる場が聖地としての輝きを取り戻すということです。また、都合悪く動けない方は、あなた方が今立っている場所こそ聖地に他なりません。どうか、その場で祈ってください。

天地の 分れし時ゆ 神さびて
おお、聖なる山よ、母なる大地の体内から吹き上げる火の山よ。太平洋の只中、ハワイでは母なるペレーと呼ばれ、わだつみの神は潮吹雪をあげ、あなたに歌いかける。おお聖なる富士の山よ。

天地の けがれし時ゆ ごみあふれ
おお、聖なる山よ、行けども行けども、至るところに捨てられた、文明のゴミまたゴミにあふれた山よ。自衛隊が毎日、人殺しの練習に明け暮れている山よ。母なる大地を売り飛ばし、切り刻み、生命の輪をかえりみることのない開発にズタズタにされた山よ。人々の心がそのまま肌に焼き付けられた鏡の山よ。それでもなお優雅にりりしく立つ、おお、聖なる富士の山よ。

あらゆる方向、あらゆる場所、あらゆる心に聖地の輝きがよみがえりますように。祈りが集い、大きな虹の輪となりますように。集いが終わり、兄弟達がそれぞれの方向、それぞれの場所、それぞれの心へと、また帰って行けますように。
おばあ達は今日も井戸端会議、ヒヨドリの歌はじけるヤポネシア。
おお聖なるヤポネシアよ。
聖地の輝きがよみがえりますように。
大地に。海に。心に。

いやしよ 妙如来よ
ミタクエ オヤシン
つなぎあわされた虹の輪よ
        幸あれ


2004.1.25

南アルプス、赤石山脈、赤石岳山中、小渋川源流域(天竜川水系)、最奥の人里、山
里、釜沢部落。南側から大沢岳、赤石岳、荒川岳、板屋、小河内岳、前小河内岳、烏
帽子岳と3000m前後の壁、中でも荒川、赤石は、高く大きい。高さは、荒川で5
位、赤石で1位の高さ。大きさはと言えば、赤石一つで木曽の御岳を思ってもらうと
いい。このようなところから、先ずは、一報。

 ここ何年か、12月頃から2月末まで、いつも山に入り、薪取りをする。今冬は、
暖かで、雪も少なく、山は乾いている。気候ものどかで、どことなく緊張感にかける
ところもある。この村に来て、もう18年の年月を数えることになった。山の景色に
惚れ込んで入った部落。山の暮らしのことなど何も知らず入り、当初は、楢の生木を
切り、山の奥から引き摺り出したりもしたし、河原の流木を集めたこともあった。源
流域の木は流木とはいえ、みごとなものだ。

 しかし、ある年から、ふと山を歩いていて、森の立ち枯れの木に目がいくように
なった。桜、楓、うりはだ楓、栗の大木、ネズミサシ、ミヅキなど、立ち枯れとはい
え、みごとな木があり、地面に寝ている木とは違い、ある程度、乾燥している。勿
論、立ち枯れているので、かなりの太さ、長さを選べる。半日、山を歩き、木を引い
て帰ってくる。非常な贅沢な時間を送ることになり、立ち枯れの木に導かれて山を歩
き、覚え、考えるようになった。それは、ヤマトの対話だ。立ち枯れとはいえ、それ
は山が生きていくのに必要なものだ。この山どの山でもそうだろうが、本来不必要な
ものは、一つもない。そこに人間が入って行き、自分の命を支えるためにいろいろ、
いただいてくる。とは言え、僕らが日々、生きていくには、あり余るものを山は豊か
に惜しみなく与えてくれる。その時山は、資源ではなく、命を与えてくれる命、僕自
身なのだ。

 冷たい寒気が、容赦なく吹き降ろしてくる。闇は、域の山々をすっぽり包んでい
く。ストーブから、赤く焼けた粒を火鉢とこたつに入れ、風の声を凍りつく谷川の歌
を聞いている。そんな時、諏訪瀬島のナーガから電話が入り、この春の詩と歌の
ツァーの話をする。さて、どのような夢がこの春には結ばれるのでしょうか。予定立
ち次第にこのHPにもじきのることでしょう。それが、今年の僕の始まりになる感じ
がしてます。それまでは、吹き降ろしの風の中、あばら家住まい、ささやかな暖かな
山の命をこたつに、火鉢に、囲炉裏に、ストーブに、体に心に燃やしていることで
しょう。では、それぞれに、良き日々を良き冬を!春にはまたお会いできますように。


 ご あ い さ つ   2004年 元旦

2002,2003と気力、体力を落としていたのだが、ここに来て山での薪取りが始まり、また再び、山に入るようになり、山の、森の、木々の木霊に癒されていく気力、体力、自分を感じている。有り難い。

森に入り、立ち枯れた木、
風や雪に倒された大木、
木馬で(鉄のクサビに穴を開け、鉄の輪を通しロープを結び、木に打ち込み、丸太を引く山の道具)木を降ろす日々。

この時間の恵みは、薪を得るのみにあらず、自分たちに多大な恵みとなっている。心にとっても例外ではない。これぞ山の寛大な愛をあらためて感じる時。それは奥深く、我々人間の知を越えて、在る、この道をたどりたいものです。

今度、アパッチ君のはからいでHPができた。すばらしいコミュニケーションの場になればと思いこちらからもお願いしました。僕の情報だけでなく、僕の友達、すばらしい意見や詩、様々なものをおりこんで、楽しく、未来あるものに出来ればいいと思っています。

新年おめでとう。

真に心からめでたしと言える年になるといいですね。

NO 原発、NO 戦争、NO 略奪、貪欲に嵐が静まり、慈悲と平和が、大地に森に、海に、生きとし生けるもの、ありとしあれるものの中に、僕らの心に一日も早く、風と吹き、光と満ちてくれますように。

2004年、夏至、6月21日には、亀の島、ラコタ族、メディスンマン、オーバル・ルッキング・ホースが、ヤポネシア富士山麓で世界平和、地球の平和、人々の心の平和のための祈りのセレモニーを行ってくれる。このように世界各地から平和を願う声が持ち上がっています。

それでは、あらためて新年おめでとう。誠に心からめでたしと言える年となりますように。(ボブ)