病気が教えてくれるもの 漢法・赤ひげ堂の竹内信幸さんに聞く |
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竹内さんは東京の代々木で「漢法・赤ひげ堂」を開き、治療をしながら海外からの数百人も含む数多くの人達を指導してきた。また仏教、儒教、道教、気功を学び、座禅やヨガや仙道の修行をしてきた竹内さんは、願をかけて人の病いの原因などがわかるようになってきたという。 最近では足立育朗氏の考えに共鳴し、もっとわかりやすく自分の体験から書いて人に伝えたいと思って、2冊目の本『「気づき」の叫び』を自主出版したばかりだ。その本を読んで興味を持ったので、 赤ひげ堂を訪ねてお話をうかがってきた。(浜田) |
── 本を出したいという気持ちはどんなところからですか? 竹内● 仏教では因果律とか善因善果といって、悪いことをしたら罰があたるよと言うわけですが、今の若い人は核家族で、そういうことを言ってくれるおじいちゃんおばあちゃんもいない。また親戚にいたとしても古くさいといって相手にしない。で、お父さんも若い、お母さんも若い。すると、何のために生きてるのっていった時に、未熟なお父さんお母さんが子供に何を教えるかというと、雑誌だとか新聞だとかに書いてあるネタを参考に、自分の価値観を通してしか教えられない。そういう社会の弊害が、いま援助交際などという形で出ているわけです。みんな年がくると大人になったと思ってますが、ほんとに大人になりきってる人間というのはほとんどいないんです。今の社会を動かしている人達はほとんど子供の延長です。 ★ この本の出だしでは、アインシュタインからはじまってミンコフスキー空間だの四次元ワームホールだのと難しい言葉が並び、しかもそれが仏教の言葉と重なってくる。それを読んでおよよと思ってしまう人もいるかもしれないが、途中からは治療家としての体験から出てきた具体的な話になってきてひきつけられる。たとえば ── 『癌のように、意識がはっきりしている病気には、非常に深い意味があります。しかし、意識が肉体にとらわれ過ぎていれば、その意味を理解できないかもしれません。人間は天地から肉体を借りて、この大自然や人生を学ぶために生まれてきたのです。人は「なぜ自分が癌で死ななければならないのか」といったような愚痴で事実を否定したり、病気で苦しんだまま人生を終わりにするために生きているのではないのです。「本質である魂を成長させるために存在している」ということに「気づく」必要があるのです』(本文中より) ── この本ではガンの話や子供の話を書いてられますが、病気というのは誰にでも起こることだし、実際に病気になると本人も周りの者も真剣にならざるを得ないので、とてもわかりやすい入り口でしょうね。 竹内● 風邪をひくのも突き指するのも 交通事故に遭うのも全部自分の心の姿ですよっていうことです。自分が発信しないものは受信しない。人間が病気になるのを仏教では罪障消滅って言うんです。ただ自分は病気したから罪が拭われたのかというとそういうことじゃないんです。病気を通して、今まで気づかなかった新たなものを気づくという作業を、この人間界においてさせられているわけで、チャンスなんです。 ── 気づくと言っても、どういうふうにすればいいんでしょう? 竹内● 僕も時々胃が痛んだりすることがあるので、その時には「何ですか?」って尋ねるんです。「何を今自分が気づいたらいいですか? 何で今自分はこうなってるんですか?」 必ず天に尋ねる作業をするんです。天に尋ねるから直感が非常に入りやすくなる。人生で大切なことは何かっていったら、直感で生きることだと思うわけです。つまり方便というものを直感によって知っていく。自分がこうして今やっている仕事が何の意味があるのか、と常に尋ねるんです。 ── 方便というのはどういうことですか? ★竹内さんは人生の目標をたてることが大切だとも書いている。毎日その目標に照らして生き、しかも常に目標を新たにしていくのだという。 竹内● 目標というものをどういうふうにおいていくのかというと、自分の利害損得がその中にどれくらい入ってるのか、利害を離れたもので人の必要性をどれくらい満たしてあげることができるか、人のためになっているか。さらに、そういう利害損得を越えた思いが、自分の人格向上に役に立っているのか、自分の目標がイコール自分の魂をどれくらい揺さぶるものか、人のもっている能力をどれくらいひきだすことができるか。 ★こういった竹内さんの話にひかれる人が増え、本も3冊目を準備中で、最近では治療だけでなくワークショップも催すようになってきたという。名前のない新聞についてもアドバイスをもらったので、そのうち形になるかもしれない。● |
BOOKS ◆『「気づき」の叫び』竹内信幸著/ |