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なまえのない新聞90より

 ワンモさんの夫が経営するインド料理の店『ポタ ラ』にて。インドから招いた3人の一流のコック さんが本場の料理を提供してくれる。      →八高線「毛呂」駅5分。 0492-95-2267

チベットの絶望そして希望

   ---------私たちは何ができる?

長田ワンモさんインタビュー

長田ワンモさんは、埼玉医大の重度心身障害者病棟で働くベテランの看護婦さん。昼夜の区別ない重労働だが、患者さんたちとの意志の疎通や、きめ細かなお世話のためにたっぷり時間をとることが許される今の職場がとても気に入っている。

ワンモさんが生まれたのはチベットのシンリーという小さな町。高度4500m、ヒマラヤのベースキャンプのすぐそばだ。山の雪どけ水、羊やヤク‥、人々は今でも電気のない自給自足の暮らしをしている。1959年、断腸の思いで亡命を決意したダライ・ラマ14世に続いて国を後にした約10万人のチベット人と共に、家族が命がけでヒマラヤを越えネパールに向かった時、彼女はまだ2〜3才だった。「雪山を直接見ると目がつぶれるので覆いをし、凍傷を防ぐため袖をしばってお前を背負い、1年がかりでダラムサラに辿り着いた」と、あとで親から聞かされた。やがて12才で、日本に来る機会が訪れる。看護婦として資格と職を得るべく埼玉医大の理事長が招いた最初のチベット難民の五名の女子のうちのひとりとして来日し、日本語を学びながら病院で働く日々がすぐに始まった。それ以来だから、日本語も流暢だし雰囲気も全く違和感がない。容姿も、おそらく深い部分での心根も、日本とチベットとでは非常にちかく共通するものがあるんだろう。

なのに、現実におかれている状況のこの違いは何だろう。95年、96年の二度にわたって祖国チベットを訪れたワンモさんが、そこで実際に見聞きした現実の話はあまりに生々しい。情報網がいくら発達したといっても、そこから完全に隔離され、叫ぶに叫べない人たちがいる。たとえ私たちが真実を知りたいと思っても、簡単に知ることが出来ない理由があるのだ。(文責・植草ますみ)


 外国人旅行者で、「チベットはどうして中国にとられてしまったんですか?」なんていう質問を、現地のガイドに尋ねてくる人もいるそうだ。聞かれたチベット人は一様に、「わかりません」と答える。何故そんな、他人ごとのような答え方をするんだろうか?  余計なことを喋ったら、即仕事を失う。それどころか、家族の命まで追いやることになるのだ。

それはワンモさんがチベット語を話すチベット人だからこそ、現地の人たちが心を許して直接語ってくれたことだ。外国人には決して話すことはない。

自分の国なのに自由がない!

ワンモ● ラッツェという町に行った時、2〜3才のまだよちよち歩きの子どもたちが、煙草を拾って吸っているのを見た時はショックでした。親たちは何をしているのだろうと見ると、食堂の入り口で旅行者の食べ残しをもらったり、乞食をしているのです。チベットでは、お坊さんが巡礼で托鉢することはあっても、普通の人が物乞いをすることなどありえなかったので二重にショックでした。そこは田舎町なのでチベット人しかいないと思っていたんですが、店という店の経営者はすべて中国人で、チベット人の経営者は皆無。中国人なら営業許可は簡単におりますが、チベット人がお店を持とうと思ったら、気の遠くなるような時間と手続きを要します。チベットの土地なのになぜ中国人が裕福に暮らし、チベット人には仕事がないのでしょうか。ラサの町にも警察官が年々増え、チベット人と中国人が喧嘩をしても、中国人が 100%正しいことにされ、チベット人は悪くなくても捕まってしまう。自分の国に住んでいながら、全く自由を奪われている状態です。子どもを産むのも、24才以外は許されません。23才や25才でたとえ妊娠中でも、容赦なく堕ろさせられる。仕事も、与えてもらうかわりに中国の言うことに決して逆らいませんという契約書を毎年書かされ、言われるままに働かなければなりません。その苦しさを、現地の人たちが涙ながらに私に話してくれるのです。手伝ってくれる人さえいればどこへでも逃げたいと。そういう人は大勢いるので、私個人ではどうしてあげることも出来ません。せめて外国の人たちに真実を伝えることが、私の役目ではないかと思っているのですが。でも表に出るまえに強い圧力がかかり、真実はマスコミではほとんど取り上げられないのが現状です。

外国の人に声をあげてほしい

お正月には、昔ながらの民族衣装をまとって微笑む、のどかなチベット人たちの映像が世界中に映し出されるのを見たことがあると思います。が、それはそういうポーズをとるよう命令されているのです。今チベット人はこんなに幸せに暮らしているよという、中国側からの外国へのアピールなのです。実際現地に来てみても、隠された抑圧は見過ごしてしまうことも多いかもしれません。例えば夜7時位になると、停電して真っ暗になる所と、明るいままの所がある。旅行者がもし疑問に思ってチベット人に尋ねたとしても、“水力発電だから部分的にパワーがおちたんでしょう”とはぐらかします。本当はチベット人の家だけが停電し、中国人の家はついているのですが。外国人に何かを質問された時の答え方のマニュアルが徹底しているのです。そのようにカムフラージュし続けなければならない、身動きの出来ない窮状におかれているのが現在のチベットの現実であることを、ぜひ皆さんに知って頂きたいのです。この厳しい弾圧に自分たち自身で立ち向かおうと思っても、それが出来ないもどかしさのなかにチベット人はいます。何かを訴えれば、自分はともかく、家族が巻き込まれるからです。チベット人は武器をもって闘いませんから、外国がどんどん声をあげてくれること以外、自分たちの人権と自由を取り戻すてだてがありません。

かつて私が日本に着いた時、外国人登録書に、いきなり“国なし”と書かれびっくりしました。無国籍ということで、何も悪いことをしていなくても厳しく面倒な書類審査をたくさんされました。そのような差別はどこへいってもつきまとい、悔しさに泣く人は多いです。私は今は結婚して日本に帰化したので、こうしてチベットに親戚に会いに行くことも出来ますが、そうでなければ捕まってしまうところです。言葉も習慣も何もかも違う日本に来て、やがてなじんでいく中で、私は初めて“自由”の意味を知りました。日本では、意志さえあれば欲しいものは何でも手に入る。やりたいことは何でもやれる。自由って何て素晴らしいんでしょう!。それに対してチベット本土に残っている人たちや、亡命はしたものの異国で路頭に迷っている多くのチベット人が強いられている不本意な生活‥それを思うと胸が痛んで叫び出したいほどです。

一刻も早く、一人でも多くのチベット人が幸せになれることを願って

何か自分でも出来ることはないかと、75年頃から、勤めている病院の仲間にカンパをお願いしてみました。そして集まったお金で、まず南インドに亡命している兄のいるチベット人キャンプに集会場を建てることができたんです。それをきっかけに、一人でコツコツやっていたのですが、最近は協力してくれる日本の友人も増え〈TN(チベット・ナース)プロジェクト〉と名称もつけました。活動内容は、募金のほか、使用済みテレカを集めたり、寄付してもらった家庭の不用品やチベットの小物をフリーマーケットに出したりして資金を集め、現地に必要なものを送っています。また学校に行けないでいる子に学資金を援助することで、文化の担い手を育てていきたい。やっていきたいことは山程あります。援助が現地で生かされ、喜ばれてていることは私が必ず皆さんに報告します。このしんぶんを読まれた方もぜひご協力頂けたら有難いです。

チベットにはかつて国旗も紙幣もあったし、独立した国だと私たちは思っています。でも中国は「そうじゃない、チベットは中国の一部だ!」とずっと言い続けている。どの町も中国人の町のようになって、チベット人の人口は減り、チベットならではの伝統や生活文化がどんどん失われていっています。そのことによって「明日の食べものに困っても、目の前に困っている人がいたら分け与えるのは当り前のこと」というような、チベット人が誰でももっている心のあり方まで失われてしまったら、チベットはチベットでなくなってしまいます。それが一番こわく悲しいことです(長田ワンモ・談)

(あとがき)

チベットに平和はいつ来るのか。異邦に散らばった人々の、先の見えない亡命生活のストレスはどんなだろう。それでも特に年配の多くの人は「本土に帰れる日がもうすぐ来る」と純粋に信じて疑わないそうだ。薪での煮炊きは大変だからそろそろガス台を買ったらとおばあさんに勧めても、もうすぐ本土に帰るんだから今買っては勿体ないといって買わない。「死ぬ場所は祖国しかない」と希望を捨てない人たちに、「帰れないんだよ」とはとても言えない‥とワンモさん。ダライラマ法王だって、そんな親民を前に、どんなに辛いことだろう。その孤独と苦悩は察するに余りある。が、それでも決して明るいユーモアを失わない法王を、私は尊敬する。

縁あって日本にいる数少ないチベット人のひとりであるワンモさんには、きっと大きな役割が託されているのだろう。できるかぎり彼女らをサポートすることで、チベットの悲願が成就される日を、いつか一緒に祝えたら‥!。チベットの課題とメッセージから私たちが学ぶことが、すごく沢山ある気がしてならない。●ま

使用済みテレホンカード収集にご協力をお願いします。また、チベットのハーブティー、カレー用のスパイスも各\500で販売しています。ボランティア活動に関心をお持ちの方のご連絡をお待ちしています。

★T・Nプロジェクト代表/長田ワンモ

〒350-0446 埼玉県入間郡毛呂山町小田谷223-13 TEL&FAX.0492−95−2267

★東京連絡先/赤井朝子

〒177-0044 練馬区上石神井1-8-2-308    TEL.03−3928−3840

右写真:「チベット ジュガル」渡辺一枝さんの撮影で絵はがきになっているものから。

*第二時大戦後、中国共産党の人民解放軍が内戦に勝利し、その余勢を駆って、1949年隣国チベット侵攻を開始した。それに対しダライ・ラマ法王は懸命な和平交渉をしたが、軍事力を誇る中国側の強行姿勢にはその努力も空しく、59年、亡命を余儀なくされた。

90=1998年7・8月号

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