身の回りから楽園にしていこう

パーティやコミューンをめぐり地球を半周

高崎 咲耶子さん

 5月末のある日、アマナクニのHPを見たといって問い合わせのメールが来た。14ヶ月の旅を終えて南米から帰国したばかりの咲耶子さんという女性からで、近々、北米のネイティブアメリカンを訪ねたいので、情報を教えて欲しいという内容だった。どんな人だろうと思って署名欄に書かれていたブログを見ているうち、ついつい旅の話にはまってしまった。
 ちょうど4年続けてもらったまみぞうの連載が終わったこともあり、とんとん拍子で今度は咲耶子さんに連載エッセイを書いてもらうことになった。そして咲耶子さんがバックパックを背負って神戸まで訪ねてきてくれたので、まずはインタビューさせてもらうことになった。(あ)

 

バックパックを背負った咲耶子さん

ーーー最初は、これから北米に行くので、サンダンスのことを知りたいという問い合せのメールをもらったんだったね

● 磨いていきたい、というのがあるんです。よりピュアにクリーンに強くありたい、と。旅の目的の一つでもありました。
それは、ボディを磨きたいというのでは、菜食・マクロビオティック・ヨガなどにいったんですけど、もう1つスピリット・魂を磨いて行きたいというのでは、シャーマニズムやアヤワスカにいったんです。肉体というのは80・90才ぐらいになると終わりますが、それまでの容れ物・乗り物なので大事に使いたいと思ってます。でも、スピリットはこの宇宙が無くなる時、全生命が一つに還る時までは永遠に続くものなので、そっちの成長の方を見てるんです。

ーーースピリットと言ってるのは、死んでもまた生まれ変わっていく魂という意味だよね?

● はい、輪廻を信じてます。目に見えない世界とかスピリチュアルなことが、昔から好きだったんです。
小・中・高校と普通の公立校に行って、大学は美大に行きました。そこは個性としてオールOK、色んな価値観の許される自由な環境でした。小さな頃から絵を描くのが好きで、伝えるということに関心があったので、視覚伝達デザイン科で学び、デザイナーとして広告業界に就職しました。そこでの経験は、言語を越えて伝えるという、私がやりたかったことの役に立ったと思ってます。どうやったら響くのか、伝わるのか、その方法論など勉強になりました。
入社した頃から旅をしたいと思っていて、それも、一人旅で無期限。お金を貯めて3年で辞めて旅に出るからって、入社早々に同期の友人にも話してたんです。この頃から、レイブパーティーやまつりに本格的に行き出し、サーフィンも始めたりしたんです。「聖なる予言」と出会ったり、マヤのことに興味を持ち始めたり、どんどん連鎖的に扉が開かれて行ったんです。

ビーチパーティ明けに虹ーーーそれで3年でやめて旅に出たの?

● いえ、それが当時いろいろあり、旅に出るのを伸ばしているうちに5年たち、その頃には任されている仕事も出てきていて、結婚の話も出たりもしてたので、迷ったんです。でも、ここで旅に出ないと一生後悔すると思って、旅をとりました。どうしても行かなくちゃいけない何かを感じてたんです。
最初はたまたま、トルコであった皆既日食のレイヴパーティーにDJで出る友達がいて、一緒に行くことになったんです。向こうで友達と合流したりして、そのパーティーにはすごくいっぱい日本人が来ていたので、トルコはどこに行っても日本人に会うような感じだったんです。だから、旅していて心細いとか寂しいということは全然なくて、1ヶ月くらいすぐに過ぎていったんです。その後は、一人旅をしてました。
旅は20才のころからアジアを中心にちょくちょく行っていたのですが、最長で1ヶ月弱くらいです。初めて一人でカンボジアに行った時は、すごいどきどきでした。でも行ってみたら楽しくて。だいたい短期の旅は慣れて来て不安な気持ちがなくなる頃には帰るんですよ。でも、長期だとだんだん旅慣れて行くので、不安はなくなっていくんです。
女の子の一人旅っていっぱいいますね、20代が多いかな。強くてたくましい女性にたくさん会いました。南米は女性の一人旅は少なく、年齢層も高くて、アジアが飽きた人や旅慣れた人が多かったですね。

ーーー一人旅って困ることとかないのかな?

● 一人で旅してても、誰かしら助けてくれるんですよ、ありがたいことに。どうしようって困って、自分ではどうしようもなくなった時には、必ず誰かがぱっと現れるんです。
旅人同士でもそうだし、現地の人にもほんとによくしてもらって、助けられましたね。優しくしてくれてありがとう、って、何度も涙が出ました。それで、助け合いだなって思ったんです。助けられて人の優しさを知ったから、自分も人を助けよう、出来る限りのことをしようって、すごく思うようになりました。もらったものを、返したいと。その人にはもう返せないかもしれないけど、他の人に返そうと。今生で返せなくても来世で返そうとかね。そういう優しさの循環をしていこうと、強く思うようになりました。人が喜ぶようなことをしようと思ってる心が綺麗な人にいっぱい会えました。だから自分もそうありたいなと思いました。

パーティでレイキの店を出すーーー旅は出会いがいっぱいあるんだろうね。

● ありますね。それで遺跡とか、実はあまり覚えてないんですよ(笑)。私にとって遺跡というのは単なる道しるべ、きっかけなんですよね。そこへ行くまでに出会う人とか、出来事の方が私にとって旅でした。
今回の旅の目的はいくつかあって、その一つが出会い・meetだったんです。
それから許し。
許しというのは、ありのままであることを認めること・受け入れること。
何かあった時に、つい自分の価値基準で相手をジャッジして責めてしまうんですけど、責めないということ。私は自分の価値観というか、「私度」が強かったんです。それと違うものは否定したり非難したり、はじいていたんです。今の自分であることも認めてなくて、もっとこうあらねばという完璧な自分像というのをすごく自分に課していたんです。私が私であることを認めてない。でも、それがしんどくなっていて。そういう自分も、人も、受け入れ許せるようになりたいなと思っていたんです。
様々な国を旅してる中で、いろんな価値観・宗教・育った環境があって、10人居たら10通り、いや100通りくらいあるんじゃないかと思うくらいいっぱいあって、自分がなんてちっぽけだったんだろう、いろんな人がいればいろんな考えがあるのが当たり前だということが分かったんです。相手の立場にたって理解することの大切さを、身をもって知ったんです。言葉もろくに通じない分、その部分が、理解しようとするハートの部分がより大切で。そうやって、初めて相手が分かる。それは小学校とか中学校の道徳の時間に、相手の立場になって考えましょうと、さんざん言われてた、ものすごく基本の部分だったんですよね。
もう一つの目的は、コミューンのヒントを見つけることでした。私が抱いている大きな夢は、楽園を作るということなんです。コミューンみたいなものを作りたいと思っていて、それは例えば、お金が介在しなくて、争いがなく、みんなが笑顔で幸せでいられる美しいところ。そういうものを作れたらいいなと思ってるんです。

ーーーそれはそういう場ってこと?

● そうですね。そういう場所があって、いつ来てもオッケーで、出入り自由。その中は助け合い・シェアで成り立っていて、お金はあってもいいんですけど、基本的に資本主義を中心をしないグループの共同体が作れたらいいなと思っているんです。
レイブパーティなんかに行くと、そこが一時的なコミューンになっていて、ワンウィークパラダイスみたいなものを感じていたんです。それがいいなと思って、それを永続的なものにできないかと考えていたんです。レインボーなんかも近い感じがします。
70年代の頃からヒッピーをやってたり実際にコミューンを作ってた方や、部族の方なんかにも会って影響を受けていて、自分もいつか作りたいと思っていたんです。
でも、具体的にどうしていったらいいのかビジョンは見えてなくて、ただ理想像だけがあったので、じゃあ実際に作って行くために、そのヒントを見つけたいと思ったんです。それで、パーティ(1week paradise)と世界各地のコミュニティやヒッピーコミューンを回ろうと決めていました。そして、実際にヨーロッパや南米でそういうところに行って見て来たんです。

シャーマンの治療ーーーで、自分のイメージに近いなと思ったところはあったの?

● ありましたね。ドイツで訪ねたコミュニティはいいなと思ったんです。スペインから乗った夜行バスで一緒になったドイツ人の女の子と仲良くなって、これからドイツを回ろうと思ってるんだと言ったら、遊びに来てと言われてアドレスをもらったんです。
行ってみると、原っぱにあるトレーラーハウスのコミュニティだったんです。いくつもトレーラーがあって、1つ1つが住居になっているんです。その中に暖炉があって薪で暖房をして、パソコンも使えるし、水洗トイレなんかも手作りですが清潔でかわいく作ってあって、すっごく居心地がよかったです。
月に何回かミーティングするらしくて、その時々の問題を話し合ったり、新たにメンバーに入れるかどうかを審査して決めたりするそうです。
私が行ったところは20人くらいの規模だったんですが、その近くには別に2つコミュニティがあって、大きいところは120人くらいいて、それらのコミュニティ同士は連携しているそうです。仕事など経済的にはみな別々だけど、住む所が一緒ということみたいでした。キッチンは4・5人づつで共用していて、そのメンバーの中で食材を共有してるんです。食材は、コミュニティーのメンバーが焼いてるパンを買ったり、ちょっと高くてもオーガニックなものを選んでいて。わたしはお礼もかねて、食材を買って来て足したりしてました。食事当番もおおまかに決まっているんですが、作りたい人がつくったり、片付ける人がいたり。誰に強制されるでもなく、やれる人や気づいた人がやるという感じでした。そういうところも、いいなと思ってました。

ーーー仕事は別々ということだけど、メンバーで共同で何かやるっていうことはあるの?

● お祭りみたいなものですが、音楽とアートのフェスティバルで、外からも人を呼んで、そのコミュニティを見てもらい理解してもらうということはやってるようです。

ーーーメンバーは独身の人が主? カップルや家族もいるのかな?

● 1人の方もいれば、家族もいましたね。家族は、2台のトレーラーをくっつけた立派なハウスに住んでるんです。子供はちゃんと学校に行ってました。
このコミュニティは、政府推奨じゃなくて、自分たちで必要にかられてエコロジー活動をしていたんです。そこは政府の認可をきちんともらいつつも、原っぱにどーんと突然できたコミュニティなので、電気が通っていないんです。1ヶ1ヶのトレーラーハウスが、各々のソーラーパネルを持っていて、自分たちが必要だから太陽から発電していて、それ以上のことはできないし、しない。曇っている日はパソコンが使えないという生活なんです。そういう、無理してないのがいいなと思ったんです。

ーーーそれ以外にもどこか行った?

● ‥‥‥


ここまでで約半分です。残りは名前のない新聞を読んで下さい。


写真2枚目:ブラジルの島でのビーチパーティー明け。次のパーティーへ移動中に出た大きな虹と一緒に。
写真3枚目:パーティーに出店のため、レイキのフラッグを制作。日本のものなので、あえて漢字で。
写真4枚目:ブラジルにて、アマゾン由来のkamboと呼ばれるセレモニーに参加。シャーマンが、焼いた皮膚にガマの油を盛っているところ。