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平和憲法とSTOP六ヶ所

春分の日から夏至の日まで、木を植えながら本州西海岸側の原発を歩くウォーク9を提案

正木 高志 さん


「海は、そこに暮らしているものすべてにとっての、大きなお母さんだ。みんな海に抱かれて生きている。‥‥〈中略〉
六ヶ所村は戦場だ。核燃再処理工場の本格稼動がはじまろうとしている。これは人間が、自然という神に対して踏み越えてはならない一線だ。‥‥
もう一つ人間が自然というお母さんの膝の上でしてはならないことがある。それは戦争。‥‥」  (walk9のサイトより)

 春分に出雲をスタートするwalk9は、正木高志さんの“地球意識”のもと、共感者が集まって来て、歩きたい路で自主的に合流しながら、夏至・六ヶ所村をめざす。コースは本州の西海岸を原発を訪ねて、植樹しながら北上する巡礼だ。正木さんってどんな人なんだろう? トークライブや著書から紹介してみたい。(文・編:サキノ)

['66 KATHOMANDU for X'mas]
 2002年出版の「出アメリカ記」。この本のタイトルは、旧約聖書のモーゼの“出エジプト記”からきている。
「もちろん、ここでぼくは、アメリカという言葉をシンボリックに使っている。アメリカとは心と生命とを物質的繁栄のために売り渡してしまった拝金教徒たちの社会のことだ」。
 “アメリカンドリーム”とすら意識できなくなっている、洗脳の構図と歴史を解き明かしながら、地球人意識の文化をつくろうよ!!と提言する正木さんの半生記でもある。
 時は60年代、東京下北沢で大学生になったものの、ろくに教科書を開かず授業も出ない正木青年。突如猛烈な吐き気に襲われる所から話は始まる。体の内側から脳天をつんざく程の堪え難い吐き気。
 秋の風が吹いて旅に出ようと思い立つ。そこへラジオから外国旅行自由化のニュースが流れて来た。ラッキー!! 横浜からロシア、そしてヨーロッパへと旅に出た。

 “カトマンドゥフォークリスマス”という言葉を最初に聞いたのは、イスタンブールだった。世界が貪るようにして自然を搾取し、若者達はそんな社会に疑問を持ち始めていた。正木さんはその旅の中で西洋文明への怒りから東洋に新しい秩序を求めるビートニクに出会う。“吐き気”の正体とその怒りは同じところから来ていた。

[無銭旅行とインドの霊性]
 正木さんの旅は無銭旅行だ。インドの路上生活者や寺院の修行僧(サドゥ)と同じように。それはバッグを盗まれてから初めて真のインドと出会えたからだった。‥とはいえ、普通じゃない旅は神秘に導かれる直感力とプロセスに意味を洞察して、今日が明日に、今が次の今へと続く忍耐力に支えられた必然性そのものだった。そう素晴らしいものだった。「インドに恋してしまったようだ」。

 標高2000メートルのヒマラヤに近い高原の町アルモラでのこと。その人は老いて病んでいるけれども聖者とされていた。辿り着いた夜、老婆は正木さんを呼んで痛む足をさすっておくれと言った。ひたすらさすり続ける長い沈黙の中、夜はふけてゆく。彼女は痛みを訴え続けた。「彼女の痛みが伝わって、ぼくの心が痛んだ。目に涙がこみあげて、その涙が老婆の足にぽとりと落ちた。その瞬間、ある思いがぼくを貫いた。――この老婆は完成に到達した人である。それなら彼女は肉体の束縛から解放されているのではないか。――ぼくが彼女を癒すのではなく、彼女が慈悲によってぼくの病める魂の苦悩を癒そうとしているのではないか。
 「わかったかね」と老婆は言った。「わかりました」とぼくは答えた。老婆の脚の痛みに流したぼくの涙が、歓びの涙に変わった。深層意識の扉が開かれて、愛、知識、信仰といった霊性の記憶がぼくによみがえった」。
以来、彼はまじめに修行するようになる。思えば60年代の若者の旅といえば反抗、怒り、ドロップアウト‥‥。その時、正木さんは精神世界の入り口に立っていた。

[旅の終点‥アンナプルナ農園]
 夢で告げられた進路を行き、トラブルで断念して戻って来たら、結局は夢の通りになっていたり、「まっすぐ行け!」と言われて、その公案は「霊性の道をまっすぐ行け!」であると悟るためだったり‥。旅はやがてもうひとりの師の元へ。
 その老人は乞食仲間の先達で、デリーのいつも同じ場所に居て、ふらっと訪ねると、必ず寝るスペースと、あればパンを分けてくれた。
 もっとあればパイサ(小銭)でチャイ屋からお茶一杯とコップ2つを運ばせた。その甘くて暖かい飲み物が口の中のパンを溶かし腹を満たしてつく眠りの深さ。‥‥「その前にも後にも、ぼくはこんな熟睡を経験したことがない」。
 「その老人はある夜つぶやくように『デリーは9回生まれ変わった』と言った。ベトナム戦争が激化していたときのことで、核戦争の勃発が心配され、ぼくは現代文明の行く末に不安を抱いて悩んでいた。ひとつの文明が誕生してから滅亡するまでの期間は500年ほどのものであろうか。デリーはそれを9回繰り返したというのだ」
 またある時、行乞をしていて2ルピー(日本円、当時400円位の価値か)もらい、「この金を増やせ!」との声を聞いた。正木さんは紅茶や砂糖、燃料を仕入れて“ライムティー”を売り歩いた。それはもう大当たり! 大根入りカレーを中にはさんだチャパティー(パン)を1日に4〜50枚焼いて100杯を越えるチャイを作っていた。コップ二個からお茶屋をスタートして、わずか4週間後のこと。お金の受け渡しも釣り銭も、箱を置き、お客さんにしてもらう。手一杯、目のまわるような大繁盛だった。その箱の中のお金が盗まれてすべては止まった。正木さんは正直ほっとしたという。「やれやれと、大きなため息をついた」。確かにお金は増え乞食生活から脱出できたけれども‥‥忙しすぎたのだ。
 旅を始めてから10年、70年代半ばの正木さんは3人家族になっていた。フランスではコミューンやフリースクールを経験していた。ある時、幼い娘さんが遊び友達が作れないことに気づいて涙を流してわびた。
 「ごめんよ‥ごめんよ」。
 家庭を持ったのなら、旅をやめるべきなんだ‥でも。帰国してどんな生活をするか模索していた。そして正木さんは思いついた。「自給自足すれば就職しなくても生きていける!」。躍り上がって喜ぶ彼に、奥さんも大賛成だった。「幸福な生活とはどんな生活だろう.最小限の収入と最小限の支出の生活ではないか」。
 もうひとつの豊かさを実践する場所へ。それが今も住まう阿蘇山の熊本県側の麓、〈アンナプルナ農園〉に結実する。

[花鳥山と家族の自給自足生活]
 『木を植えましょう』は80年に帰農してから90年にモンタナ州立大で環境哲学の講義をした時のノートをまとめたもので、2002年の発刊。農園近くの国有林が突然伐採されたのをきっかけに、森林管理署と分収造林契約をして、自分たちの手で植林したいきさつが描かれている。「民間人が国有地を借り受けて造林をおこない、成木を販売して得た利益を国と分け合う制度である。建前としては木材を販売して収益を上げなければならない。でもケヤキのような成長の遅い樹種を植える場合には最長の80年契約であり、80年たつ間には自然林を伐採してはならないという法律もできるだろう。そうであれば、いま植える木はこれから500年も1000年も生きることになる。そんなふうにして、ぼくたちは花鳥山に木を植えることになったのだ」
 その木々は今ではもう体育館やホールの天井ほどの高さに育っているそうだ。1年に1メートル。木と木の間には木陰ができて涼風に鳥が遊ぶ。花鳥山。そう呼ばれる山の恩恵に、私たちもあづかっていて、walk9の巡礼につながっているのだと思う。

 正木さんという光のそこには、パートナーのチコさんが居る。彼女が病に伏した時、二人はこの生において、究極どうしたいのかをつきつめた。彼女は「花や鳥がたくさんいる所に住みたい」と言った。彼はそれ以上の幸せがあるだろうかと思った。二人は花や鳥がたくさんいる為には森が元気だったらいいと思って、木を植えて来た。その過程には娘さんも成長した。学校に行く彼女の様子にかげりが見えた時、行かなくていいんじゃない?と、一緒に過ごすようになった。自然を相手に働く毎日には、沢山の学びがあった。(〈スプリングフィールド・地湧社〉に詳しい)
 すべて手作りの家を一軒建てていた。父と娘で水を引いて来る。泥んこになり、歌いながら、真剣な遊び。道を造り、材木を運んで組み上げて行く。創造性の限りを尽くしてログハウスができ上がって行く。一方で娘さんは料理に熱中していった。(当時は街にレストランもオープン。正木さんは再び忙しさからその仕事は手を引いている)
 そんな風にして育った娘のラビさんは、今チコさんと共に農園経営や緑茶の出荷を切り盛りしている。パソコンでの通信、ニュースも作ってデザインやイラストにも個性を発揮している。(*今月号の表紙絵に登場)ライブでは歌や踊りも共にする。ニュース最新版では正木さん“アンナプルナ農園は母系制にします”宣言をした。ただの無責任かな?と添えつつも、愛してやまない太古の縄文文化や世界の先住民に習って。ラビさんは東京の集まりで会った時に、農園のオリジナル緑茶をひとつ差し出して言っていた。
 「マイサ(正木さん)がああだから‥(笑)。お茶の営業がんばらなくっちゃ」。
‥‥そうか‥ちゃんと引き受けてるんだ‥。

[森の復活祭]
  われわれは森から来た
    われわれは森だ
      われわれは森へ帰る
      〈「木を植えましょう」より〉

 2000年春分、丸2日間、100名の全国からの参加者と共に行った「森の復活祭」。2.5ヘクタール、20種類15000本の苗を植えた時、正木さんはその後に大きな影響をもたらすプレゼントをもらっていた。“木を植える”ということ自体のとてつもない歓び。木を植えてみて初めて知った、その歓びについてこう語っている。
「魚は海を意識しにくいかもしれない。あまりに当たり前すぎて。でもすべての海の生きものにとって、海が大きなお母さん。それに完全に抱かれて生きている。会話だってできる。イルカみたいにね。自然はコミュニケーションが繊細だから感じ取れないものを、人は昔から大地の神さま、海の神さまと言って、“いつもありがとうございます”と手を合わせ感謝して、生きて来ているでしょう? 今、カミと言うと誤解もあるから、ぼくは“お母さん”と言うんだ。物質主義の経済社会によって、自我が強められて、ヒトは環境というお母さん=カミを破壊していく。痛みがあり、人もその一部として悲しんでいるんだ。そういう時に、森をお母さんに返す行為なんだよね。木を植えることって!!(笑)お母さんが喜ぶ!! 自然の神さま、虫、小鳥の歓びを感じるんだ!! ここで“雨が上がって”という歌を歌います。これはね、山から聞こえてきた歌です。お母さんがプレゼントしてくれた曲。我が家のベランダから茶畑の風景が見えて、標高500mくらいだから遠くに熊本の夜の灯が光ってる。そんな情景です。‥ほんとにきこえてきたんだよ。‥‥こんな風に‥♪」。
そう言って歌っては語り、語っては歌う、ジャンベと正木さんのトーク・ライブ。
 「木を植えると、植え終わった瞬間に森が誕生する。まだ赤ちゃんなだけだ。10年20年‥‥何十年か先にはそこで子どもやその子ども達が遊ぶだろう。自分が生きてるかなんてことは問題じゃない。自分の行為によって“地球というお母さん”が喜んでくれるんだ。この上もない安らぎ、そして癒し。しかも、木を植えた誰もがみんなその歓びで輝いている。こんな事って他にあんまりないじゃない?」。
 ちなみにチコさんはすこぶるお元気で、正木さんはもっとこの喜びを多くの人に伝えたいと考えている。

[9aid・ひとつの地球]
 「9.11から、世界は一気にスイングバックの極まで振りきれてしまった。日本でも保守化と右傾化が進み、改憲の動きが加速して現実の政治日程にのぼるところまでやってきた。武器を持つか捨てるか、日本人が選ぶその日が近づいてきた。
 いま、九条問題の歴史的ポテンシャルを本能的に感じとった若者たちを中心に、幅広い階層・年齢層・活動ジャンルで、九条問題を考えるさまざまなグループや取り組みが、自然発生的に湧き起こっている。人と人、グループとグループの繋がりも、目をみはる勢いでどんどん進み、もはや点や線ではなく、面となって時代のうねりと潮流を生みだしている。まるで60年代にこぼれおちた種が春をむかえて、いま一斉に芽吹きはじめたかのよう。
 九条問題は世界の一大事だ。けっして日本だけの問題ではない。日本人が平和憲法を捨てて再軍備の道を選んだら、戦争になるだろう。それは原発へのミサイル攻撃のような、考えうるかぎり最悪の自然破壊をもたらすだろう。だけど、もし日本が平和を選んだら、逆に最高の希望を世界にもたらすに違いない。今日の重大な課題は国家単位では解決できないことばかり。戦争と環境問題という、現代を死に至らしめる病は、ナショナリズムから脱皮して地球市民意識に立つのでなければ癒されることはない。
 九条を応援(ナインエイド)しよう、と自然に湧き起こってきたこの社会現象を9aid movementとよぶなら、9aidはこれから国民投票へむけますます元気に増殖してゆくことになるだろう。無数のアクションが9aidの波に乗って、平和憲法を選ぶ原動力となるだろう。その日、日本人は地球人に生まれ変わる。その衝撃は、60年代につづくone earth movementのbig waveとなって世界中に広がってゆく。
 九条を救う(ナインエイド)には50%の得票はいらない。5%でだいじょうぶ。武器を選ぶ人と平和を選ぶ人の割合はいまのところ50:50だ。これまで選挙にいかなかった20代、30代の若者たちが投票にいくだけで5%になる。そうすれば、戦場に立つはめになるかもしれない若者たちが、地球の未来を決めることができる。きっとできる。
 どうやって?
 9aidでむすばれて。
 マザーアースにささげる《9aidの花輪(ガーランド)》にみんなつながって。
 2007、立春 正木高志 」〈9aid より〉

 「地球はひとつになろうとしている。
 それが現代史の底流をなしている。
局面的には国家主義や原理主義などスイングバックもあるけれど、西洋物質文明から地球的環境文明へシフトしてゆく、大枠の歴史トレンドは変わらない。‥‥ どういう経路をたどるにせよ、近い将来、世界はひとつになってゆく。
 だけどこの世界が、どうやってほんとうにひとつになれるというのか?
 そんなふうにぼくたちが疑うのは江戸時代も同じだった。
 あのバラバラだった藩がひとつの日本にまとまるなんて、99.9%の人は信じられなかったに違いない。新しい日本をつくった若者たちは脱藩するしかなかったが、藩を軽んじ日本を語った若者たちは、非国民といわれた。ところが維新から10年もたたないうちに、逆に99.9%の人々が日本人と信じて疑わなくなっている。このことからぼくは、二つのことを学んだ。ひとつは「(99.9%)信じられないようなことが起きるかもしれない」ということ。もうひとつは「信じられないようなことが起きることを、人は(99.9%)信じることができない」という法則。これを学んだら、悲観しなくてよくなる。
 歴史には誰も予測できないようなことが起きる!
 では「ひとつの地球」は、いつどんなふうにして、実現するのだろう?
ぼくは、それがまさにいま、九条問題をきっかけに、この日本から生まれようとしている、と思うのだ。」 [新刊『空とぶブッダ』プロローグより]


★walk9 詳細はサイトをご覧の上、参加希望の方はお問い合わせください。
http://walk9.jp/ → 代替サイト
★正木高志ブログ:
 http://takashimasaki.blog79.fc2.com/
★BOOKS
『出アメリカ記』
 雲母書房 ¥1600
『木を植えましょう』 
 南方新社 ¥1000
『空とぶブッダ』
 ゆっくり堂(3月刊)
★CD
『木を植えましょう』(チコとマイサ)全4曲 ¥1000 森の声 問:下記まで
★アンナプルナ農園では無農薬緑茶とほうじ茶を製造販売している。=各々100g ¥900/〒¥200(20ヶ以上では1ヶあたり¥650で〒無料)  
問い合わせ:Tel. 0968-27-0212/Fax. 0206
http://annapurna.blog79.fc2.com/                   



No.141=2007年3・4月号

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