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(女神修行日記)

カムナガラ(目にはみえなくても‥)の祈り
 〜カヒコ(古典)フラとの出会い

植草 ますみ

青いお空のそこふかく 
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる 
昼のお星は目に見えぬ
見えぬけれども あるんだよ
見えぬものでも あるんだよ

 これは、いまから80年も前に、「みんなちがって、みんないい」なんてクールなフレーズをつぶやいていた、詩人・金子みすずさんの「星とたんぽぽ」の一部です。白昼の空を見上げては、そこにたしかにまたたいている星々をおもい、枯れて死んだように見えるたんぽぽの花をみては、地中で次なる再生のときを待ってるその根の、謙虚なたくましさをおもう‥。「お陰さま」、「有り難う」などの美しい言葉を育んだ日本人の、自然な心根をうたうみすずさんの想像力が、私はとても好き。
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 彼女はしっていたんだな。みえる世界は、みえない世界といつもセットであるってことを。それらは、宇宙の大きな呼吸の中で、たえまなく入れかわり、たちかわりながら明滅している。見慣れた日常の風景も、私たちが五感で認識できてることなんて実はほんのちょっとにすぎなくて、そのおくに、広大でミラクルな感覚をこえた世界が広がっているんだ。たとえ見えなくても、そのカゲで支えてくれている数多くの存在たち(カミ、スピリット、アワ、ご先祖さま、生きとし生けるもの‥色んな呼び方があるけれど)を忘れないでいたい。むかしの人たちは、その気持ちをとても大事にしていた。自分を生かしてくれているカゲなる存在への畏れと敬い。それをを失ってしまったら、バチがあたる。そんなリアリティの中で、感謝の気持ちを自然にあらわしていた。見えなくても、気持ちをそこへ向け、心をあわせる(イノル)ことはできる。すると見えないエネルギーが、感覚としてたちあらわれてこたえてくれる。それはうたとして、舞いとして、言葉としてビジョンとして、それぞれの人の個性を通してかたちになる。芸術や宗教は本来、そうやってみえない世界と出あい、交流しながら生命のよろこび・エクスタシーをよびこむ(ウツシマツル)まつりの舞台だった。そういう意味では、労働や日々のあらゆる営みだってそうだ。育てて収穫し、料理して、食べること。出会って関わり、愛しあい、交わりあうこと。‥なんて、最高のマツリじゃない! 「生活まるごとおマツリ!」にして、私も生きられたらいいなぁ。
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 うたや踊りは、人々がどれだけ幸せな心で暮らしているかという、文化の豊かさをあらわす。それらは、人類のDNAに組み込まれた、魂のデザイアだ。私が生まれ育った文化にも、うたや踊りはあふれていた。適当に楽しみながらも、私は自分のうたや踊りをどこにも見つけられずにいた。うたい踊ることは、「他者とのコミュニケーション」、「ストレス解消」、「自己存在の証明」、「人の気をひく手段」、「メッセージの主張」‥と、人それぞれだろう。ひと通りまねしてみても、心底はればれした気持ちにたどり着けない、そんな「文化のみなしご」気分の私が、40才をすぎてやっと出会えたのが、古代フラだった。

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 「観光」という言葉が、その土地の「光を観る」という意味ならば、ハワイの聖地へいけば、やっぱりここは名実ともに最高級の「観光地」だと感じる。あらゆるものがまばゆい光(オーラ・生命力)をはなっていて、「見える」光と「見えない」光の境目がわからなくなる。そんな境目など気にしないこの土地の人々のおおらかさを、風景がうつしだしているんだろう。境目なんて、本当はないんだもの。「見えるもの」と「見えないもの」を区別する近代科学文化は、見えないものを切り捨てることによって、見えるものから光を奪ってきた。総天然色のハワイから帰って日本の街に降りたつと、風景がモノクロにみえる。特に人々の表情が。そんな時、この国のかつての豊かな光と色彩を思って切なくなる。カゲなる存在・スピリットたちを畏れ敬い、称えマツルというネイティブの文化は、日本もハワイも同じだった。西欧の侵略で壊滅的にされた経験も同じ。なのにハワイではそれが「過去のもの」になっていないのは、フラという強烈に魅力的でパワフルな芸能があったお陰だと思う。古典(カヒコ)フラは、芸能というより神事、武芸にちかい。モダン・フラと違い、一切のメイクもアクセサリーも笑顔もまとわず、裸足で大地とひとつになって祈り踊る。
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 よそから来た私たちが、よその文化のまねごとをしても滑稽ではないか‥そんなぎこちない気持ちを吹き飛ばすことが出来たのは、クム(*1)・ケアラという、本質を伝えてくれる師あってのことだ。いくらカヒコ・フラが格好いいからといって、形だけ真似ても意味がない。「見えるもの」ばかり重視する国からきた私たちが、「上手に」「間違えないように」そんな外面ばかり気にして顔をひきつらせて練習している姿が、クムには何とももどかしいようだった。そんな自意識の壁をまとったからだには、スピリットが踊るために入ってくる隙間がない。「心をひらいて、僕の声があなたたちの内に届くのを許してくれれば、必ず踊れるようになる」とクムはいう。だけど「すべて手放して身をゆだねる」ことなんてすぐにはとてもできなかった。私は、自分を見た目よく踊らせることや、内面の様々な不安をカムフラージュさせるのに必死だった。このコントロールの手綱を手放したら、隠してきた自己不信がみんな露呈してしまう‥。潜在意識の闇が揺さぶられる。万事そうやって生きていたことに、私は気づきはじめていた。でも、そんな自分をもう裁くのはやめて、「ただ許してあげなさい」とクムは繰り返し、ある「意味シン」なうたで、お腹が痛くなるほどみんなを笑わせ、ときほぐしてもくれた。
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 もしこの師でなかったら、私の頑固な自我はしがみつくのをやめなかっただろう。誰かに全面的に自分を明けわたすなんて、ある意味とても危険なことだから。でもクムの声とイプ(*2)の音は、はるか遠くなつかしい場所から、光のように差し込んで、壁を溶かしていった。この人が天に選ばれた真の「教師」であることを、私の心に深く確信させるひびきだった。教師と生徒の真剣な対峙がそこにあった。彼は私たちのために、声がかれるまでうたい続けた。私たちも、疲労も筋肉痛もわからなくなるまで踊って、クムの言葉がやっとわかった。子どものように心を裸にして空になったとき、内なるスピリットがめざめ、自分を通して踊りはじめる。「信頼」とは、こんなふうにただ素直に、ゆだねることだったのか‥。その新鮮な感触に、歓喜がこみあげてくる。「教師」とは、生徒がそれまで見えずにいた未知の世界と、その魂を出会わせ結びつける「媒体(メディア)」なのかもしれない。そしてクム・ケアラは、そのパイプとしての自分の仕事と役割に全面的にコミットし、自分を純粋に磨く努力をし続けている。彼はことあるごとに、私たちに言う。「受けとってくれるあなたたち生徒がいて、はじめて僕は教師であることができる。僕に教えさせてくれてありがとう」。
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 レッスン最後の「奉納」の日。私たちは、キラウエア火山・憧れの女神ペレが住む火口を見渡す高台にいた。フラの女神ラカを呼ぶチャント(*3)を唱えながら、ティの生葉のずっしりと重いスカートや、腕足輪・冠を儀礼にそって身につけていった。手作りするのに、時間と心をたっぷりかけた「正装」だ。ティの葉のマナ(霊力)に包まれるその感触は、私の中心(丹田)と大地とを磁石のようにつないでくれた。舞台に立つ私たちの前に観客の姿はなく、ただペレが放つ煙が空に立ちのぼってゆくのが見える。「きょうは随分たくさんのスピリットが興味しんしんで集まってきいてるよ」とクムがいう。それはとてもリアルで、みんなの胸が高鳴る。夢中でチャントを唱え、踊った。この幸せは何だろう、これが私が求めていたマツリだ! 自分と、師と、仲間たちと、神々と、ご先祖さまたちと‥、すべてがひとつにとけたあの時の感覚を、とても言葉にすることはできない。生徒たちも師も、流れる涙をとめようともしなかった。
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 ネィティブ・ハワイアンの言語には、カゲなる存在を喚起する、現日本語にはないコンセプトがたくさんある。その言霊をのせたチャントや、ボディ・ランゲージとしてのフラとの出会いを通し、海・山・天の心と対話し、風・水・土・火などのエレメントとフィジカルに交わり、それらの力を自分の中に見いだす喜びをかいま見ることが来た。祖先の魂が宿る大自然を大切に敬い、ダンスやうたの贈りものを捧げ喜ばせると、豊かな大地の恵みや海山の幸、調和そして力という贈りものを、何倍にもしてかえしてくれる。人として生きる知恵や技術伝承のツールとして生き続けるフラのエッセンスを、日本の日常でも生かしてゆけたらと思う。私は地球の子どもだから、本当は「よその文化」もなければ「みなしご」でもない。あちこちの仲間とお互い触発しあい、心ゆくまでうたい踊りながら、光をなくしかけているこの星の人々の心に、虹のように輝く色彩を取り戻していけたらいいなと、そう思う。●

*1:ハワイ語で先生。クムフラ=フラの師匠。
*2:瓢箪でできた、フラに欠かせない打楽器。
*3:祈りや儀式に唱える詠唱。
                    



No.140=2007年1・2月号

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