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日本に緑の政党は誕生するか

大野 拓夫


 山形県、霊峰月山の麓に建設された巨大ダム。その建設に伴って、庄内平野のおいしい水道水は、不味くて高いダムの水に変わった。それは税金の無駄使いに止まらず、酒造りや農、食といった地域の生活や文化全体を破壊して行く。水を守ろうと始まった取り組みは、地域の伝統と若者文化の融合した「まつり」として姿を現し、日本独自の緑の社会ビジョンを模索し始めてる。

ユ毎年夏に行われる「月山炎のまつり」は、自然と同化する古来の文化と、
最先端の若者文化が融合した新しい文化を生み出している。


■どうして日本では、緑の党が誕生しないのか。
 世界には今70カ国以上に緑の党があります。西ドイツ緑は1983年から下院に議席を得、現在ドイツ緑は55議席を有する政権与党であることはご承知の通りです。世界で最初の緑の党が誕生したのは1971年のニュージーランドで、当初は「価値党」を名乗っていました。緑の党は、市民的でオルタナティブな価値を現実社会に根付かせる運動として誕生したのです。
 日本の市民運動の中で緑の党が話題になったのは、西ドイツで躍進が始まった83年以降のことでした。86年のチェルノブイリ・ショック、88年8月八ヶ岳での「いのちの祭り」を経て、日本でもエコロジー運動が本格的になり、89年の参議院選挙では、日本にも緑の党を誕生させようという動きがありました。残念ながらこれは準備不足で結果をだすことが出来ませんでした。それ以降、日本では国政に緑の党を誕生させようという動きは一端息を潜めます。
 その最大の原因は選挙制度の度重なる改悪です。例えば参議院選挙全国比例の場合、当時は1名の候補者(供託金は600万円)で出馬できました。それが現在は1団体に10名以上(供託金6000万円)の候補者を出さないと政見放送も選挙公報も出来ません。新聞広告は1%(約60万票)以上獲得しないと全額有料で、億単位の請求が来ます。しかも供託金は基本的に帰ってきません。つまり89年当時は数千万円あれば選挙ができたものが、今では最低数億円が必要なのです。これでは、市民が新たな政党をつくることは至難の業です。衆院選も小選挙区となり、小政党が議席を得ることはほぼ出来なくなりました。「新しい時代の芽は顔を出す前に摘んでおこう」という世界でも例のない非民主的な選挙制度。しかもそれは巧みにカモフラージュされ、一般には分かりにくくなったのです。

ユ2001年オーストラリアで開催された第一回緑の党世界大会の様子。
世界中の環境・社会活動家の大会という雰囲気は、市民自身がつ
くる21世紀の政治潮流を体現しているようだ。(撮影は筆者)

■市民政治は地域で芽吹いています。
 これまで市民政治への意識を持つ人々が「地域の政治」に眼を向けて来た理由の一端は、こうした国政選挙のシステム欠陥にも理由がありました。地域でならそれほどお金がなくても選挙はできます。しかも具体的な問題で直接目に見える結果を出しやすいという利点もあります。こうした点に着目したのが、市民派地方議員の全国ネットである「虹と緑の500人リスト運動」(以下虹と緑)でした。虹と緑は現在、世界的な緑の党のネットワークの日本側の窓口ともなっています。
 地域での政治運動は各地で躍進を遂げました。国立市をはじめ、大阪の高石市、兵庫の尼崎市、北海道のニセコ町など様々な自治体で市民派の首長(知事、市長、町長など)が誕生し、地域での「政権」を担っています。田中長野県知事がおし進める改革のブレーンは、旧来の官僚や御用学者から日本を代表する市民運動家や学者らに替わり、徳島では市民が自らの意志で知事を誕生させるまで力をつけました。地域ではすでに市民が直接政治を行う時代が始まっているのです。

■ブレイクスルーのための条件
 では、国政レベルでの緑の党、市民政党の可能性はどうでしょうか。私たちがクリアすべき課題は、(1)選挙制度の壁だけなのでしょうか。実はもっと大きな問題が(2)私たちの市民の「政治」に対する誤解、そして(3)市民側の社会運営ビジョンの不足だと思います。これら総合すると、市民社会の未成熟ということになるでしょうか。
 (2)の「誤解」については、私たち市民運動に関わる者ですら根強く持っています。学校や病院、商店街や住宅、福祉のありかたなど私たちの生活環境、社会運営の仕組みを整えるのが政治本来の役割です。つまり、元来すべての社会運動は「議会の外」の政治なのです。「私たちは政治とは関係ありません」という市民運動家が結構いますが、これは「政治」を誤解し、自分たちの社会的役割を自覚していない証拠です。政治は本来私たち市民のものであり、私たちの手に取り戻すことこそが「政治改革」と言えます。
 とは言っても、現在の議会がそのような場になっていないことも事実です。各国で緑の党が始まったいきさつには、こうした「民主的でない議会」を市民の手で民主化しようという意図がありました。西ドイツ緑の党が掲げた「底辺民主主義」は、権威化した議会制民主主義を解体し、人々による議会にすることを目指したのです。
 (3)について簡単に書いてみます。西ドイツ緑の党を生んだ市民達、当時の学生運動のリーダーや有機農業家、労働者、教員らは、1970年代初め、資本主義体制による地球と人間の限界について話し合いました。それまでの運動を総括した上で、彼らは次の社会システムの実験を始めました。拠点となったアッハベルクでは、様々な商店やコンピュータサービス、建設会社などの事業共同体が創られました。それは各地に広がり、資本主義でも共産主義でもない「第三の道」、コーポラティブ(事業共同体)による経済が誕生しました。その最たるものがの市民による銀行「エコバンク」です。
 既成の政治がやってくれるのを待つのではなく、市民自らの力で新しい社会運営のビジョンを拓き、それが「緑の政治モデル」の礎となりました。初期のこうした運動に影響を与えたのは、人智学者であった作家のミヒャエル・エンデや芸術家のヨーゼフ・ボイスといった人物でした。

 日本でも反原発運動、公共事業、有機農業、環境教育、フェミニズム、人権、地域通貨といった数万に及ぶ社会運動があり、数百万の人々が何らかの形でこれらに関わっています。エンデの思想も、地域通貨や各地のシュタイナー学校運動などを通じて紹介されています。私たち日本の市民は本当は力があるのに、横の連帯が弱く、自分らで社会ビジョンを創るという意識が弱いために、それを生かせていない状態だと言えます。必要なのは、夢を描き、互いの違いを乗り越えるようとする力、つまり、あと少しの想像力なのではないでしょうか。
 (1)については、これに今正面から取り組んでいるのが、参議院議員の中村敦夫氏が代表を務める「みどりの会議」です。みどりの会議は、2002年に誕生した、緑の党を目指す勢力の一つで、今のところ04年の参議院選に絞った活動をしています。みどりの会議の戦略は、参議院選全国比例区に10名の候補者を立て、最低2%(1議席)から4%(2議席)獲得を目指すというものです。もし仮に2%の得票を得ることができると、毎年国から1億円近い政党助成が得られ、市民を国政に送り込む素地ができることになります。西ドイツ緑の党も、各州や郡の選挙で得られた政党助成金(総得票の0.5%で獲得)を使って選挙で躍進してきた経緯があります。お金のかかる国政に市民が進出する、今のところ唯一の現実的運動と言えます。

■未来の可能性
 緑の理念系の研究を行い、なおかつ実際の政治行動を行っている活動体としては、「グリーン・ユース・キャンペーン」(以下GYC)があります。これは、03年の統一地方選挙を契機に誕生した政治運動で、活動の理念として、持続可能性、多様性、公正、自主決定という4つを掲げ、20代、30代の凡そ100名の若者達が関わっています。実際の選挙には全国で25名がエントリーし、府議、県議、制令市議を含め16名の若い議員を誕生しました。
 彼らの目的は単に議会に進出することではありません。拡大する一方の環境破壊や社会的不公正などがもたらす「生命の危機」、それに直面せざるを得ない若い世代の挑戦の始まりです。彼らの運動がどのように結実するかは分かりません。しかし、それはもう後戻りの出来ない道と言えます。なぜなら、緑の社会の実現は最早理想社会を追求することではなく、私たちが生き続けるための最も現実的な選択肢と認められつつあるからです。「緑」は近い将来、日本の政治にも重要な位置を占めることになるでしょう。

参考情報
・月山炎のまつり  http://www.gassan.jp/rave/main.html
・虹と緑の500人リスト運動  http://www.nijitomidori.org/
・みどりの会議 http://www.midorinokaigi.org/
・グリーン・ユース・キャンペーン http://www.greenyouthcampaign.org/


プロフィール【大野拓夫】
90年頃より「グループ環」、「A SEED JAPAN」、「エコ・リーグ」などの設立に関わる。99年、2000年問題の市民ネット事務局。2001年、緑の党世界大会(オーストラリア)に参加。同年、参議院議員中村敦夫秘書となり、環境政党「みどりの会議」設立に従事。仲間達と「グリーン・ユース・キャンペーン」を立ち上げる。03年8月、みどりの会議を辞職。現在、政策シンクタンク「緑の社会経済研究所」準備室



No.120=2003年9・10月号

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