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おとぎの旅(9)〜ダイヤモンドの心を磨き続けていたい

波のリびとになリたくて(後編)

坂 本 知 江


八丈島在住の知江さんはハワイにサーフィン、インドにヨーガの修行とよく旅に出かける人。その彼女が旅先で出会った不思議な話を書きつづった連載エッセイです。
 おとぎの旅の扉が開こうとしていた。扉といってもそれは目に見えるものではなかったし、どうやってその扉を開けるかのも分からなかった。そして、その向こう側にあるのが想像もつかないぐらい広い世界だなんて、22歳の私には知る由もなかったのだ。
 成人式を迎えた頃から、それまで熱心に海へ通っていた同級生たちがこんなことを言うようになった。「いつまでも真っ黒な顔してたって仕方ないしね。」それから少しずつ潮が引くように彼女たちは海から姿を消し、いつか全くの都会の女性に変身していった。私は時代に置いてきぼりにされたような気持ちで、しばらくのあいだ仲間のいなくなった海を呆然とさまよっていた。どうすればこの海から離れることが出来るのだろう。海に行かなくても何事もなく生きられる彼女たちが羨ましいと思ったのは、それが初めてのことだった。
 私にとっての都会は、どうしようもない不快感を味わうだけの場所だった。朝から晩までコンクリートの壁に囲まれて排気ガスにまみれているうちに、心がうろうろとうろつき始めて息苦しくなる。そんな私が、そこで素晴らしい何かを得られる訳がなかった。生きるためのエネルギーを海からもらうことでどうにか生きている私には、人と同じ道は歩めそうにもなかったのだ。
 20歳を過ぎても波乗りを辞めようとしない私に、父は「楽ばかりしていると、いつか必ず不幸になるぞ。」と口癖のように言った。一代で会社を築き上げた彼にとって、私は大きな頭痛の種だった。一年中日焼けした肌を見ると、虚しさと腹立たしさで顔をしかめたくなる。どうしてこんな馬鹿な娘に育ったのか。その苦痛な父の表情を伺いながら、私は後ろめたい気持ちを抱いていた。父の言うとおり、自分はろくでもない生き方をしている。友人たちは皆立派な社会人になったのに、波が立てば必ず海へ行く私はちゃんとした定職につくことさえ出来ないのだから。
 22歳になると、真剣に自分の人生を悩むようになった。このままだらだらと生きていてはいけない。そして、夏になる手前で、私はある決断をした。一週間も経たないうちに、私は東京から300キロ離れた南の島へ飛び立った。これが最後のサーフトリップ。この旅を終えたら、父が満足するような生活をしよう。それが私の決断だった。
 うっそうと生い茂る山々と、岩場に打ち付けるいくつもの波。聞こえるのは車の音ではなく、遠くにこだまする鳥たちのさえずりと波の音だった。丸ごとの自然に生まれて初めて触れた訳だが、それが異様にさえ見えたのだ。サーフポイントでは、ほとんど人と会うことがなかった。おまけに大自然の息づかいは、いつも怖いほど間近に迫って来る。私は途方に暮れそうになるのを抑えて、岩の合間からゆっくりと沖へ漕ぎ出していった。それでも沖に出れば、全てを忘れることが出来る。十分過ぎる波が限りなく押し寄せて、その美しさに酔いしれているうちに時間は流れていった。一体自分が何に怯え何を悩んでいたのか、それさえも、もう分からなかった。
 ある朝スクーターを飛ばして海岸線に出ると、サーフポイントにはもう既に一人のサーファーが浮かんでいた。陽炎のように波煙の中にぼんやりと浮かぶ人影。幻想的な空間に突然現れたうねりは、私に思わずブレーキを掛けさせた。昨日とはまるで違う大きなうねりはサーファーに近づくごとに斜面を造り、小高い丘へと変化した。サーファーがサーフボードの上に立ち上がる瞬間に、波は大量の水のベールを波底に降らせていった。そんな場所を、危なげもなく滑り下りて行くサーファー。大きな曲線を描きながら尚も走り続けるその姿は、大鳥が羽根を広げて優雅に舞うようである。誰かが波に乗る姿を見て感動したのは初めてだった。それが主人との出逢いの瞬間である。
 それから13年が過ぎたが、あの頃と生活はほとんど変わらない。1年は波に乗る為にあり、波のない日はヨーガやトレーニングをして一日を過ごす。彼と暮らし始めて沢山の旅をするようになり、大波に挑むようにもなった。そして、それと同時に縫い傷や骨折、全治数ヶ月の肉離れなど沢山の怪我もしてきたし、沢山の壁にもぶつかった。決して楽しいばかりではなかったが、様々な経験のおかげでどんな壁だって乗り越えられる自信を得られたのだと思う。
 主人いわく、波乗りは哲学だという。大自然の波動の中では、人間の力なんて何の効力も持たない。けれど、その波動とうまく溶け合うことが出来たら、どこまでも世界は広がっていくのである。そうして自分自身と向き合っているうちに、自分が何のために生まれ生きるのかを理解できるようになった。自分自身に正直でいることは、その広がる世界への第一歩だったと思う。ダイヤモンドの心は、どんなに大金を払っても買えるものではない。だからこそ、いつまでもその心を磨き続けていたい。


No.108=2001年9・10月号

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