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ジム・コバルビアス氏 インタビュー

(取材:山口ハル、本出みさ/翻訳・編集:本出みさ/協力:岡野弘幹)


 9月3、4日の二日間、大阪府河内長野市の山あいの小さな河原で「滝畑エコ・アート・キャンプ二〇〇〇」という地域主導型のまつりが開かれた。これは野外コンサートを核としたイベントで、そのテーマは参加者が「エコ(環境保護)」について考え実践する「場」を作り出すというもの。ゴミゼロ運動、フリーマーケット、ワークショップ、ソーラーパワー音響システムを使った岡野弘幹&天空オーケストラや地元グループの演奏が展開された。そこで出会ったのが、今年で4年目になる河内長野市のアーティスト・イン・レジデンス事業(アーティスト招聘プログラム)を通じてアメリカ・アリゾナ州から招待されていたジム・コバルビアス氏。芸術制作や地域との交流を目的として、一月の間、役行者ゆかりの光滝寺に滞在されており、キャンプ中は絵の展示、似顔絵のスケッチング、岡野弘幹&天空オーケストラの演奏に合わせたライブ・ペインティングなど、積極的な活動をみせていた。
 ジムさんは、ファラパイ族、スコットランド人、スペイン人の血を受け継ぐ多文化アーチストで、鮮やかな色彩の絵画や、地元のケーブルテレビの番組制作、学校教育など多岐に渡って活躍している(詳しくはwww.ariztlan.com)。このインタビューを通じ、平和、人種、民族、芸術、精神性などのテーマについて、ジムさん独自の世界観を聞くことができた。


不思議な夢
 ここに来てからとても不思議な夢を見たんだ。この寺をつくった修行僧が現れたんだよ。(注:ジムさんは役行者によって開かれた光滝寺について全く知識がなかった)最初は私がなぜここにいるか不審なようだったが、ただ芸術を創るために来ているということを伝えると、僕をつれて空を飛び、この寺を上空から見せてくれた。とても力のある人物で、元は戦士だったようだ。この夢を見てからここでの生活がずっと楽になったし、身構えていた部分があったことに気づかされたよ。とても平和な気持ちになった。環境に反応するのではなく、入っていくということを身につけることで、自分の中で重要な変化があった。私にはまだ戦士の部分があったが、今は世界がより柔らかく優しく、より真実に感じられるよ。日本が一体どんな様子か全くわからなかったから、最初は身構えていたんだね。
 この場に慣れるに従い、私は心から祈るようになり、いかに全てが素晴らしいか感じるようになったよ。家族から離れ、自分の土地から離れ、違う文化の中で芸術を創造するという経験を通じ、今までで一番ポジティブな気分になっている。今日仕上げた作品も素晴らしい出来になったよ。
自由とは
 私はただ普通の人間、アーティスト。自分のしていることが大好きだ。物を書くのも好きだし、様々な事を探求するのが好きだ。自分が正しいと思うことをするのは大事なメッセージだよ。誰かに批判されたなら、それに答えるのは自分だ。自分が信じる事を行うには強さがいる。私はやると決めたら誰が何を言おうと実行する。私は自由だし、自由を信じている。自由は一人一人から始まるんだ。誰もが自由になり、自分の行動を決める権利を持っている。私は人を傷つけず、正しいことを行おうと努力している。世界中の人が、自由を感じないといけないと思うよ。私にとって一番大切なものは自由だし、心から自由を感じている。もし正しいと思うことを行って失敗すれば、謝って、次回はより良く行うように努力するだけだ。結果がどうであれ、試してみる権利はあるんだ。私は今までそういう考えで色々な事をしてきたよ。自由とは誰かの所有物ではないし、正しいことも誰かの所有物ではない。誰もがそれを得る機会があるんだ。
新しい時代
 過去520年間はインディアンにとってとても苦しい時代だった。圧力の中で生きてきた人間は防衛的になる。戦士であることしか知らない人間がいるのはとても残念なことだ。だが今は新しい時代、これからの520年は平和の時代だ。多くの戦争を経験し、人々が憎しみあい、殺し合い、広島で一瞬にして20万人の人間が殺された。人類は気づいた、これが皆が望む世界だろうか?と。精神的に進んでいる人たちは、「No」と言っている。
架け橋としてのコミュニケーション
 私たちは各々が神に答えなくてはならない。神ではなく、他の人間に従い、周りに感心したり、されたりしたがる人もいる。しかし、神に対して誠実であるならば、何が正しいかを決めるのは自分だ。どの部族に属していようと、答えるべき相手は神だ。一つの部族にも良い人もいれば、悪い人もいる。部族というのは何の意味をも持たない。大切なのは、「個」。自由なのは「個」。皆がそれに気づくべきだ。
 どうやって皆に気づかせるのか、私にも分からないが、全てはコミュニケーションから始まるのではないだろうか。コミュニケーションはとても大切なんだ。私の芸術もコミュニケーションだよ。ただの絵や歌や文かもしれないが、誰かがそれを見て、読んで、聞いて、そのコミュニケーションが物事を変えていく。それが今必要とされていることなんだ、コミュニケーションをとること。芸術家たちがコミュニケーターになることがね。
自分の進む道
 インディアンの世界でも、これが正しいとか間違っているなどと言う人がいる。儀式の作法の正否など色々言われているが、結局各々が自分のやり方を通している。それが一番だと思うよ。自分で決めなければならないし、責任を持たなければならない。自分で判断するのに、部族の意見を聞く必要があるならば、それはすでに自分の決断ではない。信じる者が自分しかいなくても、自分がその山で祈るただ一人の人間であっても、この寺の主のように、自分の道だと決めたら、進むこと。神の声を聞き、そ の道を行く。大事なのはそういうことだ。誰もが自分の「寺」を登らねばならない。自分が誰であるかを決め、何を感じているかを知ること。
ポジティブな波紋
 憎しみは、非常に強力なメディスンだ。そして、恐れと憎しみや一つの部族に固執することが自分の持つ唯一のメディスンであるならば、自分の血はとても小さな輪の中に留まることだろう。でも、ほかの人々や場所の良さを信じれば、あなたのように、同じ道を望む人を信じれば、それは大きな池に水を一滴落とすようなもの、池の縁まで届く波紋になる。私はそれが今世界中で起きていると思うよ。同じように考え、同じことを求める人々が増えているんだ。
灯火
 神は部族でも、人種でも、人間でもない。それよりもずっとずっと、この世界より大きな存在だ。自分が誰であるかに気づかなければ、いつも誰かの後をついていくことになるだろう。祖母が言っていたよ、誰かの後に続いて歩くなら、闇に気をつけなさい、と。なぜなら、闇に入ればその人にぶつかってしまうから。その人もおまえより見えるわけではないのだよ、とね。彼らにも、皆と同じように光が必要なんだ。人間よりも大きなものの後に続くこと。真実とは何かということ。それが光だ。光は真実、真実に従えば、あなたは灯火を持つことになる。
お金
 メディスンマンたちがお金をもらうことについていろんな論議があるが、事実としてメディスンマンは貧しいし、彼らを助ける金持ちもいる。金をいくらもらおうと、それは重要なことではない。そのお金で食料を買ったり、日本に来る旅費に使うだろう。金をどう使おうと本人の勝手だ。楽しめばいい。牢屋に入ったり、ひどいめにあってきた人もいる。大事なのはハッピーになることだし、皆がその権利を持っている。金持ちの白人や黒人がレストランでビールを飲んで大きなステーキを食べているのがうらやましなら、自分も金を作って行けばいい。したいことなら、すればいいんだよ。私も時々、一緒に仕事をしてくれている沢山の友人を連れて豪華なレストランで食事をして、お金を沢山使うよ。いい店にいって、ロブスターステーキでも頼んでリラックスしよう、家に帰ってお洒落をして、彼女か奥さんを連れてこいって誘うんだ。私たちの仕事は意味のある仕事だし、良い仕事だからって禁欲的になる必要はない。テーブルを囲み、話をして、シャンパンを楽しむ。酔っていたら、タクシーで帰れるようお金を渡すよ。楽しんで、リラックスする。だって、そうだろう、私たちはそうやって楽しむに値するのだから。
愛の力
 私が人生で得てきた様々な学びの中に、愛こそが一番力強いものだということがある。私たちは生きている間に救われないといけない。生きている間に自分の心の中の真実を発見しないといけないんだ。一度開かれた心は二度と閉じることはない。祖母はよく言ったよ、心を開いて少なくとも一人の人間を愛しなさい、そうすればおまえはより良い人間になるだろう、と。そうしてたくさんの人を愛していくうちにより強い人間になり、より多くの人を愛せるようになる。一人一人がこのことを学ばないといけない。そうしなければ、自分を傷つけることになる、敵を変えるには、敵を愛さなければならない。意見が違っていてもだ。
敵を愛すこと
 私は軍隊にいたときに部下の兵士を助け、ひどい火傷を負ったことがある。彼は南部出身の白人の若者で、私を嫌っていた。病院で彼は「なぜ俺を助けたのか?」と私に尋ねた。私は「火に包まれていたからさ」と答えると、「覚えておいてくれ、助けてくれても俺はまだメキシコ人もインディアンも嫌いだ」と返された。私の答えは、「いいさ、それを決めるのはおまえの自由だ、でも俺はおまえを憎まない」だった。人生は一人一人のもの、人には期待はできない。敵を愛することを学ぶことができれば、世界を変えられるよ。それは大きな大きな仕事だよ。セザー・チャベズ(カリフォルニア州のメキシコ系農場労働者運動を起こした人物。ジムさんはチャベズ記念館の設立に携わっている)がそのことを教えてくれた。彼は誰も憎まず、敵を愛していた。敵がよりよい人間になることを望み、祈った。これは素晴らしいメッセージだよ。
儀式と祈り
 ユダヤ教のシャーマン、イエスは、二人以上の人が神に祈るとき、それは儀式となると言った。どのような形であるかは関係ないんだよ。一人だけなら祈り、2人以上集まれば儀式。いろんな儀式があるのは美しいことだ。誰も人の祈りを止める権利はない。人が祈ると決めたら、その判断は本人がするものだし、個人的なことだ。神に祈ること。私たちは一緒に祈っていても、それぞれが違う祈りをしている。我々は創造主に、私たちを見てください、こうして平和に集い、祈っていますと伝えている。輪は始まりも終わりもない。環は環である。この輪の中では皆が平等なんだ。


 …芸術、コミュニケーション、精神性、生活を楽しむこと、平和、ポジティブで思慮深いジムの話題はつきることなく、そのエネルギーは周りに確実に広がっていくようだ。




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