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なまえのない新聞102「いのちの祭りレポート」特集より

わたしはおんなを生きるのです。

〜布ナプキンWS・ウーマンズテント〜

ほ っ た さ と こ


 「男たちが立てて、女たちが守った。まつりの家だった。平和の灯がともり、サークルをかこみ、おだやかな語りがうまれる。子供たちは自然にあつまり、すやすやと昼寝をしている。この風景は、まつりの間のあたりまえの風景だった。
 忘れたくない従軍慰安婦のこと、助産婦さんにうかがった自然分娩のこと、チベット仏教の話、布のナプキンのワークショップもあった。
 出会いがあり、涙があり、見えない多くの女たちに守られているようだった。
 3日の夜、広島からの平和の灯をともし、祈った。その祈りは天にとどき、灯はおんなたちのこころの種となり、きっとゆっくりと育っていくのだ。」(『Daily Gaia 』8/8最終号より)

 そう、そうだったのだ。ウーマンズテントは。いつも静かにまつりを見守ってくれていた。まるで母だ。
 わたしは「月の店」と「月の家」を、強力なパートナーであった船崎恭子ちゃんと開き、布のナプキンをまつりで売ってみた。ウーマンズテントを中心にワークショップも開いてみた。母なる大きなティピのなかで、ひとりひとりが無漂白のふわふわしたネル生地を心地よく感じなから、ちくちくと自分のペースで針を通す。そうすると、なんでだか、心の中が穏やかになった。角張光子さんからはナプキンやおんなのからだのことなどを聞いた。最後には、みんなが語る。ティピがそういう場を作ってくれたのか。あるいは、女たちが求めていたのか。

 「月の店」はウーマンズテントのとなり。ちょっと高いところにあった。そこで、女たちが行き交うのを見ていた。「女性性の世紀へ向けて」と銘打ち、ウーマンズテントで開かれたシンポジウムでは、多くの女性たちがあつまり、自分のことばで、自分たちのことを話していた。それらをお互いに受け入れ、あるいは共有していた。男性ももちろんいた。出産の話を聞きながらふと横をみたら、男のともだちがふつうに立っていて、ちょっとうれしかったりもした。ウーマンズテントは、いろんなものを受け入れる場であったのかなと、いまは思う。まつり全体が、いろんなものが吹き出た場であったのと反対に。

 まつりは毎日午後から雨が降り、お店をあけていた時間は短かった。だけど、ぷらぷら歩いていると、「急に生理なっちゃって」とか「トイレのちらしを見たんだけど」、な〜んて、よく声をかけられた。それはすばらしい(普段より早くきちゃって、っていう人のなんて多かったことか!)と、あわててテントに取りに行ったりした。こんなに生理の生の声を聴いたことはもちろん初めて。「さっき初めて使ってみたけど、きもちいいね」ってごはんを食べているときに話しかけられたりもした。なぷきんのよさを実感した日々。

 ワークショップの最後の日には、広島の灯がともるピース・ドームの外側に、みんなで縫って染めたナプキンを干した。きれいだった。あんまりにもうれしいので、みんなで手をつないで、輪をつくって、お祈りもした。こころだけじゃなく手も熱くなって、気が集まるっていうのは、こういうことなのかなって思った。

 それはそれはすばらしい体験。自分の心の中に、消えない火のようなものが生まれた気がする。それは、たとえば、自信とか、プライドに近いもの。でも違うけど。うまく言えない。ただ、この火を消さないように生きていけば、わたしの人生もだいじょうぶ、といった存在。

 ということで、まつりのまえの「生理をうれしくうけとめる。」から、「わたしはおんなを生きるのです。」とちょっと進んだおんなになりました。




いのちの祭りHPin アマナクニ

No.102=2000年9・10月号

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