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なまえのない新聞102「いのちの祭りレポート」特集より

あとの祭り

〜祭りを検証する〜

〔編集部〕


 今回の祭りは、もう来年に延期するしかないという声が多数出ていたほどの準備期間不足や、運営体制の不十分さにも関わらず、大きな問題もなく赤字も出さずに無事に終わることができた。それは1ヶ月も仕事を放り出して設営から片づけにあたった現地対策事務所をはじめとする現場のスタッフたち、短期間で運営体制をつくりあげた東京連絡事務所、役割分担して準備を積み重ねてきた各セクションのスタッフ、また会場にきて急遽スタッフをかって出た多数のボランティアの働きによるところが大きい。そのどれが欠けても祭りは成り立たなかっただろう。ほんとにご苦労様! 
 こういったみんなの働きの総和が祭りを成功裏に終わらせたことをまず確認したい。そしてその上で、次の祭りをもっともっとすてきなものにするために、今回の祭りで至らなかった点、反省すべき点、どんな問題があったのかを見直して共通の認識としておく必要があると思う。そのため個人的な見解だが問題提起として議論の材料となるようまとめてみた。


★運営体制の不十分さ:
(目に見えたこと)
・準備のミーティングに集まる人間が毎回半分は入れ替わると言われ、そのため方針がどんどん変更されて1度決まったことが次回には話が変わるということが何度もあった。特に入場料については、地域通貨でやることになったり、お金でとることになったり。そのせいでせっかく作ったチラシを作り直すことにもなった。
・お祭り開始の1ヶ月半前くらいになってからやっと実行委員会ができて参加が呼びかけられたが、その段階では実行委員および会の性格、責任と権限、ものごとを決定していくやり方が不明瞭という印象を受けた。
・会期中も、本部スタッフの中でのコミュニケーションの悪さが目についた。
・たとえばゴミ処理の方法は祭りが始まってからようやく決まった。また最後の日のクロージングセレモニーの場所が、前日の夜中でもなかなか決まらず、やっと決まったと思って夜が明けたら又場所が変わっていたというような泥縄式で運営された。
(問題はどこに?)
・期限内に祭りの運営など必要事項を決めて行くためには、どういう場で誰が決めるのかという決定のプロセスをまず明確にしておく必要がある。またミーティングにおいては議長(司会)役と権限をはっきりさせ、話しの進行をリードする必要がある。それが不十分だったことが混乱を招いた一つの原因だったと思う。(実行委員会ができる前)

★スタッフ・ボランティア:
(現象)
・スタッフの赤いストラップは約340発行されたそうだが、実質的に動いていたスタッフははるかに少なかったのではないか。またのべ参加者数が4000と言われる中でお金を払った人数は2736だったそうだが、スタッフで入場料を払った者も多かったので数百人規模でただ入場した者がいたことになる。(講師・出演者が約500)
・一方で少数の中心的スタッフにあまりにも多くの役割が集まってきて、パンク状態だった。やるはずのことが全くやれないということが多かった。
・ボランティアスタッフが足りないということで、会期中ずっとボランティアを募集していたが、なかなか確保するのが大変だった。
(原因と解決策)
・いつの世にもただで潜り込もうとする人間は無くならないだろうが、それは逆に考えれば、今回の祭りが商業イベントと同等に見られていたとふうにも考えられる。みんなで作りあげるお祭りだという意識が伝わりにくかったのかもしれない。
・ボランティアへの負担が大きすぎるため、なり手がなかなかいなかった。ボランティアに過度に頼るやりかたは考え直すべきだと思う。今回も後半はお風呂券や食事券が出たそうだが仕組みの上での工夫が必要だと思う。地域通貨を利用するなどして全員がスタッフをやって祭りをつくりあげるような方式も検討に値する。

★もりだくさんすぎる内容:
・今回の祭りは、コンサートだけで5〜6ヶのステージがあり、同時にシンポや講演会があり、ワークショップもいくつもありというレジャーランド方式のイベントとなった。そうなると、1人の人間が全部をのぞくことは物理的に不可能となる。ましてスタッフをやる人に全く余裕はない。また出会いの機会は多くなる一方で1人の人とゆっくり話すことがしにくかったかもしれない。
・いい悪いということではなく個人の好みの問題だが、何でもありのレジャーランドよりも、むしろ虹の村がそうだったように、じっくり味わえるこじんまりしたギャザリング方式の祭りがいいと思った。
・出会いとネットワーキングは祭りの1つの柱だが、同時に運営を含めた祭りの在り方そのものが、今後歩んでいく方向性を世に指し示すような姿勢が大事な柱だと思う(それが祭りのコンセプトでもある「21世紀の実験」だったと思う)。それをもっと大切にし、純粋に実現できるような祭りをめざせたらと思う。

★地域通貨:
・最初のチラシをつくった段階では、入場料は地域通貨でということになっていた。それは有る意味で商業イベントとはちがう、みんなでつくる祭りのシンボルだった。また入場者が一定程度の労働(スタッフとしての)をすることを組み込んだ地域通貨の入場料とすることで、ボランティアの不足問題は解決できていたかもしれない。(別の問題が起きたかも知れないが)
・お金にかわる物やサービスの交換システムを祭りの場で実施することは、祭りのコンセプトである「21世紀の実験サイト」の象徴としてもふさわしいもので、お金によらない1週間の生活体験を期待する声も大きかった。
・それがなぜ撤回され、チラシもつくりなおすことになったのか。自分の見聞きした範囲では、ミーティングで地域通貨の利用について十分納得できるような説明がなされなかった。また実際問題として、レイブの日や祭り終了時に千人単位の人間に対応する運営態勢がとりきれないだろうという読みがあったと思う。
・東京・福生のカニ坂祭りのように、何年も前から会場内だけで通用する一種の地域通貨を発行している祭りの例もあるので、今後も祭りの場で実施するに値するアイデアだと思う。その際には全く知らない人にもわかりやすいシステムを作り、またそれを説明できる相当数のスタッフが揃う態勢が必要だと思う。

★平和の火、祈り、セレモニー:
・この祭りは、今年初めにビッグマウンテンに向けたウォークによってスタートを切った。また7月末に鉢伏山を出発し、広島原爆の火をもったウォークが祭り会場に入ることで祭りがオープニングとなった。
・原爆の火は、戦争と破壊の20世紀の象徴であり、それを反省することなしに21世紀を迎えられないという気持ちのあらわれだ。それが祭りをオープンし、また常に会場のスピリチュアルな中心として置かれていたことが祭りの重みを増していた。
・またプログラムとして、オープニング、クロージング、広島の日などにセレモニーが催され、等々さまざまなスタイルの祈りが捧げられて祭りをひきしめた。
・一方、広島原爆の火をもって全国を行脚中に祭りに参加した元気村のバウさんは、セレモニーに登場して、祈っていればいいというわけではないと行動に立ち上がることを参加者に呼びかけたのは印象的だった。
・参加者の声として、会場でテレパシー(虫の知らせ)のようなことを体験したとか、不思議な偶然?を体験したという話が聞かれた。また毎日のように雷がなり夕立が降り、虹が出るという不思議な天気も体験した。たくさんの人間がひとところに集まって何日も過ごすことで、エネルギーの磁場が高まり、人の想いや祈りが自然界?に通じ何かが起こったのだろうか。(ロマンチックかもしれないが、そういう見方を忘れたくない)

★地元の反応:
・会場のスキー場は非常に好意的だった。これは地元の美麻村のスタッフが長年つちかってきた関係がベースにあったためで、88の会場とは非常にちがう反応だった。来年も使わせてもらえるような関係で祭りが終われたことはとても有り難くまた嬉しいことだ。

★インターネットの利用:
・メーリングリストなどインターネットを利用した準備態勢がとられた。これは情報伝達がリアルタイムで、また情報が共有されてピラミッド型ではなくネット的な民主的な関係で進行する、その結果みんなの自発的参加を引き出せる、という意味で優れている。一方で、ネットを利用できない人間に情報が行き届かない点や、中には無責任・間違った情報が出回るリスクもあり、解決法をさぐる必要がある。また実行委員会がネットに対応しきれていない印象を受けた。今後さらにネット利用者は増えていくので、有効利用したい。 (文責:浜田)



いのちの祭りHPin アマナクニ

No.102=2000年9・10月号

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