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HOT NEWS

★ ★ SHAKE! -ベイエリア通信-  No. 7 ★ ★

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=目次=
★ パレスチナ人住居再建プロジェクト/三宅大介
★ カナダ先住民の目から見るパレスチナ/マイク クレブズ
★ コーヒー・ブレイク
★ おにぎりを握るということ/美佳 ハロウ
★ わたしのアメリカ玉手箱/風砂子 デアンジェリス
★ letters from friends

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★ パレスチナ人住居再建プロジェクト―「僕」に問いかけること・「僕」が問いかけること/三宅大介(特別寄稿)

 イスラエル建国以来、5百万人のパレスチナ難民が周辺諸国だけでなく世界のあちこちに散らばったという。
 4年前、旅の途中、僕はスペインのグラナダでひとりのパレスチナ人女性と話をしたことがある。その昔イスラム教徒によるイベリア半島支配の拠点であっ たグラナダ。その街を一望できるサクロモンテの丘には、古くから多くのジプシーが横穴を穿って住んでいる。彼女はそのような横穴をねぐらにしていた。
 夕暮れ近く、頂上で一休みしてから丘を下りはじめてまもなく彼女はあらわれた。髪の毛はボサボサ、手足は真っ黒、元の色がわからないソデなしのシャツ をきて、下半身は新聞紙で隠していた。
 「水を持っていたらもらえないかしら?」
僕は飲みかけのペットボトルを差し出した。彼女が出てきた洞穴に目をやるといたるところにネコ・ネコ・ネコ。
 「眺めがサイコーでしょ?いいところよ。でもね、水がないの。」
 それから30分ほど彼女はしゃべりつづけた。引き裂かれる思いで故郷を離れたこと、仲間が殺されたこと、ドイツでは日本人に助けられたこと、今も親が 送金してくれること・・・ 酒くさい息を吐いて、唾を飛ばしながら彼女は一気にしゃべった。しゃべればしゃべるほどこみあげてくるのは不安なのか憤りな のか、その声はますます切実になった。まるで何かが内側から彼女を捕らえたようだった。
 別れを告げるころには完全に日が落ちていた。
 「ありがとう。明日も来るなら水を持ってきてね。」
僕はあいまいにうなずいて、暗い道を降りていった。そして、ふたたび彼女を訪ねることはなかった。パレスチナ情勢のことをほとんど知らなかったそのころ の僕には、現実からかけはなれた話のように思えた。心が掻き乱されたのもイヤだった。その晩「旅の続きに戻ろう」と日記に書きつけて眠りについた。
 
 この体験を生々しく思い出したのは最近のことだ。きっかけは、10月にサンフランシスコでひらかれた「パレスチナ人住宅再建キャンペーン」の資金集め のイベントに参加したことである。イベントを呼びかけたのはグローバル・エクスチェンジというNGOのスタッフであるイベットさん。会場となった教会に
は40人あまりの聴衆が集った。アメリカ人のアクティビストたちのほかは、大半が中東や西アジアのイスラム諸国出身の人々が多く、イスラエル人も混じっ ていた。

「パレスチナ人住宅再建キャンペーン」の運営の中心は、イスラエルにあるICAHD
(The Israeli Committee Against House Demolitions)という団体である。かれらの目的はズバリ、破壊されたパレスチナ人住宅をパレスチナ人とイスラエル人が共同作業で建て直すこと。1967年のイスラエル軍によるパレスチナ侵攻以 来、壊落したパレスチナ人住居は9千戸を超えるという。その過程で実に5万人以上の人々が住処を失った。ICAHDは今年いっぱいで百万ドルの基金を集 め、最低20件の家を建てることを当座の目標にすえている。もちろん、混沌としたパレスチナの現状で再建してもそれがふたたび壊されないという保証はな い。それでも建てる。なぜなら建てるという行為こそ、破壊する者たちに対しての明確な意思表示だからだ。
 イースト・エルサレムでの工事は7月から始まっている。工事初日に集まったのは20人を超えるボランティア。イスラエル人以外にも、フランス人、ベル ギー人、アメリカ人が駆けつけた。彼らを載せた4台のバンはいくつもの検問をかいくぐって、彼らはパレスチナ人居住区の現場に到達する。そこではパレス
チナ人たちがすでに作業にかかっている。
 参加者のひとり、フレッド・シュロムカ氏が伝える現場の様子を抜粋しよう。
「これまでに一階部分の工事が終わっていたので、今日はコンクリート「を」(に)流し込むための屋根の型を準備する手伝いをした。参加者たちは一列に なってブロックを(手渡しに)階上に運んだ。30度を越す暑さの中での労働は辛かったが、交代で休みながら作業を続けた。この体験はただの建築作業じゃ
ない。周りでは子供たちがずっと走り回っていた。参加者のひとりがいくつかの石を拾い上げておてだまを披露しはじめた。はじめは3つ、そして4つ目、5 つ目の石が宙を舞うと子供たちは歓喜に小躍りした。」
(Fred Schlomka,Volunteers Rebuild Demolished Palestinian Homes)
 
 サンフランシスコのイベントでは、パレスチナの工事現場を撮影したビデオを観ることができた。その映像からは工事現場で働く人々のエネルギーがひりひ りと伝わってきた。真っ黒になりながら働く人々はみな動きつづけている。カメラに向かってしゃべりかける出演者の声を掻き消すような周りの雑音や話し
声。人々のすがすがしい表情。くたくたに疲れるまで作業を続ける過程で、ジョークを交わし、食を共にし、互いをいたわる。パレスチナ人とイスラエル人の 素手の交流の空間が、そこにある。
 ビデオ鑑賞後、サンフランシスコの聴衆たちはそれぞれの胸に秘めたパレスチナやイスラエルを語り始めた。ある者は現地の検問のひどさをつぶさに報告 し、ある者は現地に住む家族の近況について触れた。またある者は若いときに国を離れた経験を語った。声を荒げる者、なぐさめる者。いくつかの声が交錯し
たり、沈黙が会場を打ったり・・・

こうして、僕はグラナダで出会ったあの女性のことを思い出した。そして彼女の話を頭の中でたどり、想像してみる。彼女の今やこれからを。
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"パレスチナ人住居再建プロジェクト"への寄付は下記の宛先へ
Global Exchange / Rebuilding Homes
P.O. Box 610061
Redwood City, CA 94061, USA

関連ウェブサイト
http://www.rebuildinghomes.org
http://www.icahd.org

★ カナダ先住民の目から見るパレスチナ/マイク・クレブズ(カナダのブラックフット・インディアン)(War Times 8/02より)

 イスラエル人居住区と高速道路とによって、分断されたパレスティナの地図を観た時、かつて、白人入植者のセトルメントによって、いくつかの保留地に分 団されてしまった、わたしの部族ブラックフット族の歴史が、まざまざとよみがえった。ウェストバンクの随所に設けられ、常にパレスチナ人の往復を疎外し ている、イスラエル軍隊の検閲所もまた、ブラックフット族とカナダ政府の間で条約が結ばれた後の「パス制度」と全く同じだ。ブラックフット族が、保留地 の外に出るには、白人の「インディアン局」員の許可を得なければならなかった。今は廃止された「パス制度」が、そのまま、パレスティナ植民地化の道具と して使われている。
 イスラエル政府のブルドーザーが、パレスティナ人の住居を破壊する時、それは、アメリカやカナダ政府が、先住民を絶滅させるか、白人社会へ同化させる ために、彼らを保留地に強制連行した行為と全く同じだ。
 アメリカやカナダが、地雷の埋まった土地に、わずかばかりの援助食料をまき散らす偽善行為は、北アメリカ先住民たちの、生活手段を完全に破壊し、何百 万人もを餓死させた後で、「配給制度」を確立したのと同じ手段だ。

 アフガン、アパッチ、イラク、イロコイ、敵の名前はかわっても、アメリカやカナダの軍事行動の目的は、全て同じ、その土地の資源を獲得することだ。北 アメリカの先住民は、土地と地下資源、強制労働による労力、薬草の知識、動物の毛皮、そして伝統的な文化にいたる全てが奪われた。ブラックフットの土地 では、多国籍石油企業が膨大な年収をあげているが、先住民社会には、ほんのおこぼれしかわたらない。中東諸国でも同じように、豊富な石油資源が確実に多国籍企業にわたるよう、ひとにぎりのエリート階級が、それを管理をしている。
 そのような植民地主義と入植地域拡大を正当化しているのは、先住民の伝統や文化が白人のそれよりも劣るものであるという、蔑視である。カナダ政府が、 ポットラッチやサンダンスなど、先住民の文化を、「魔術」として禁止したのは、そう遠い過去のことではない。
 そして今、メディアが打ちならす反イスラム主義は、北アメリカ社会の心理や行動に与える影響において、「カウボーイとインディアン」思想の伝承である。
 9/11の凶悪なテロ行為を、さらなる帝国主義の暴力の燃料に使ってはならない。


★ コーヒー・ブレイク

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★ おにぎりを握るということ/美佳 ハロウ

「明日のスナック、おにぎりにしようか?」
と息子に聞いたら「うん、僕おにぎり大好き!」
という返事が返ってきた。 君が大好きなのは知っているけど、果たしてクラスのみんなは大好きになってくれるかなあ? そんな不安は少しあったけど、お にぎりを作る事に決めた。 バークレー市内の公立小学校一年生の息子のクラスでは、親が持ち回りで子供達のおやつを持っていく。 明日はうちの番なのだ。

バークレー市ではなるべく人種、貧富の偏りがでないような学区の分け方をしていると聞いた事がある。 各クラスには色々な人種、国籍の子供がほぼ均等に 在籍していて、それはクラス分けの時の重要なポイントでもあるらしい。息子のクラスにも白人、黒人、それからヒスパニック系、アジア系の子もたくさんいる。
 
 学校では朝、昼と給食があるが、日本の給食を思い浮かべると随分違う。カフェテリア方式で2、3種類のメニューから選べるが、ピザとかホットドックとか、ファーストフードのようなものがほとんどだ。 それでも、進歩的なバークレーはいち早くオーガニック野菜を給食に導入した、はずだったが、今年度のメニューにはオーガニックの文字が見えない。 軍事予算がどんどんと膨れ上がっているアメリカの内側で、そのとばっちりを最初に受けるもののひとつが教育現場である。 食費は朝1ドル、昼2ドル、低所得層の家庭は給食費が免除されるため、朝、昼と毎日この食事をしている子が結構いる。 お弁当を持ってくる子にしてもパンにピーナッツバターとジャムを塗ったもの、クラッカー、チーズ、そんなものを食べている子が大半。 息子の日本式弁当は他のお母さんから大絶賛されちゃうのだ。

 おやつにはヘルシーなものを、と学校側の希望にはあるけれど、大抵は袋に入って売っているものや、果物が主である。 20人分を手作りとなると忙しい親には頭の痛い問題になる。 それでも見ていると、ていねいにサンドイッチを作っていたり、手作りマフィンを、持ってくる親もいる。 教育に熱心な親は手を休めないんだなあ。 さあ、私も少し早起きして20人分握ろうか。

 御飯はたくさん炊いておいた。 大きさは子供の手にちょうどいいくらいで丸に近い三角にしよう。 塩を手に付けてぎゅっぎゅっと握る。 握りながらクラスの一人一人の顔が浮かんでくる。 週に一度クラスの手伝いをしに行くから、子供達の顔や名前は覚えているし、時々家の話をしてくれる子もいる。 みんなのお母さんを「マミー」と呼ぶウィリーは、少し落ち着きがなくて困る事もあるけれど、ある時、本を読んであげていた私に「僕のお父さんはモーテルに住んでいて、お兄さんは刑務所に入っていて、妹とお母さんと暮らしているんだ。」と話してくれた。 ウィリーはおにぎりを食べてくれるだろうか? 

 この手の平のまん中から頭に思い浮かぶ一人一人の子供達へ、暖かい思いを込めておにぎりを握った。 突然、ああ、私にできる事があったんだ、と思った。私が心を込めて作ったものは、作るあいだ中考えている、食べてくれる人たちへ何かを届けてはくれないだろうか? 目に見えない私の思いが食べ物を通
して伝わる。 そんな事が今大事な気がする。

 世界はなんというスピードでテロ、戦争、防衛、を繰り返し、私たちはそのスピードに完全に麻痺したままだ。 私たちが当然と思っている日常生活すら満足におくれない人が世界中にたくさんいるというのに、私は「今年の感謝祭は小さい七面鳥にして良かった。」とか「クリスマスのプレゼントを送ってしまわないと。」なんて考えている。 それなりに気を付けているつもりでも、私のアメリカでの生活の中で無駄は結構多いのかもしれない。 ひとりの私には一体何ができるのか?

 おにぎりを通して「思いを伝える手」を認識した。 私たちの身体は気付いていないだけで、まだまだ沢山の事が出来るのかもしれない。 何の利器も使わずに手作業だけで御飯を作るとこれは時間のかかるもので、しかしそれは本来の人間のスピードだと思う。 今の時代に本来のスピードなんて無理な話かもしれない。でも、どうもヒントがここにある気がしてならないのだ。 都会のまん中に暮らす私たち、消費時代の最先端を享受する生活のなかで出来る事。 
ゆっくりとこの手を使って御飯を作る。

 からっぽの御盆を手渡してくれた日系アメリカ人のkono先生は「今日は特別なおやつだったわ。」と笑ってくれた。 枝豆と共に完売である。 さて、来月は何を作ろうか?

★ 「わたしのアメリカ」玉手箱/風砂子デアンジェリス

 例によって例のごとく、SHAKE!の期限が過ぎたぞ、早くやらなければ、と気がせくほどに、「散歩に行こうか?」と誘われでもすれば、飛びつくように誘惑にのってしまう困ったわたし、あいぼうのミノと、車で20分ほどのオークランド・ヒルにあるレッドウッド公園のなかを8kmほど歩いてきた。見渡す限り広がる、起伏の激しい丘陵の深い谷間には、樹齢100年前後と思われるレッドウッドが密生し、そのあい間に透明な静寂が霧のように立ちこめている。息をひそめるようにその中を歩いていくと、このところずっと、アメリカの政治のみにくさにとりつかれてしまったような、わたしの心も次第にやわらいでいく。
去年の大晦日から4日間を、サンフランシスコの南方約170kmの海岸に沿う、ビッグサ−の森で過ごしたのも、「9/11」以来のいらだちや不信感をいやしたいからだった。
そこには、樹齢千年以上、高さ100メートルの木が林立していた。アメリカの国立公園や、原生林のなかにいると、わたしはいつもアメリカ先住民の声を聞く。自分が、インディアンの女だったような気持ちになる。梢が空に消えて見えない古木の、岩のような樹皮をなでながら、「ここに立って、どんな歴史をみてきたの?」と話しかけると、折からの嵐にまじる大雨のように、わたしの眼から涙が流れた。その時、空爆にさらされていたアフガニスタンや、パレスティナの人々の顔が、先住民たちのそれに重なって見えた。

 今から200年あまり前、スペイン人が最初にアメリカ西海岸にやってきた時、カリフォルニア一帯は、レッドウッド、オーク、その他の巨木や、潅木に覆われ、海にはあらゆる種類の魚や海洋哺乳類の群れが住んでいて、進行も容易でなかったという。そんな環境のなかで、小さな部族単位で、何千年も暮らして来た先住民が、それらの自然資源と共に、急速な勢いで絶滅状態に追いやられたのは、たった1世紀半の昔のことだ。
 レッドウッド公園の原生林は、カリフォルニア先住民の虐殺にとどめをさしたフォーティナイナーズが、金を求めてカリフォルニアに殺到した時には、すでに入植者の手で、クリアカットに近い状況だったと、いま、この一帯の歴史を書いている友人がいっていた。当時伐採された最大の木は、直径7メートル以上だったという。何世紀を生きたのだろうか? でもいま、その土にいのちがよみがえり、新しい世代の木々が息づく中を、わたしは歩いている。千年後に、この木々は、どんな大木になるのだろう。

1970年に始めて北アメリカの土を踏んだ時、わたしは、アメリカの歴史にも無知だったし、先住民のことなどなにも知らず、ただこの大地の壮大さに感動した。そして、最初に出会ったアメリカ人が、ベトナム戦争への参加を拒否し、対抗文化や精神性を求めるヒッピーたちだった。カナダのコミューンで、宇宙的な(といまでも思っている)出会いをしたミノと、まだ小さかった娘たちを3人連れて、ニューメキシコまでヒッチハイクする途中、ホピの居住地で一ヶ月キャンプをしたのが、先住民との出合いだった。その後、海のように広がるロッキー山脈の裾野をみおろす山の上のコミューンで、3年暮らした。バークレーに移ってからも、やろうと思ったことは何でもできた自由な空気を、胸一杯に吸い込みながら生活するうちに、いつの間にか、アメリカの大地に根っ子が生え、三人の孫がバークレーで生まれた。
そう、それが「わたしのアメリカ」だった。
 
 そうではないアメリカ、にショックを受けたのは、まさか、と思っていたイラク攻撃を、パパ・ブッシュがやってしまった湾岸戦争の時だった。それ以来、目覚めたように参加して来た平和や環境運動に、心おきなく自分を投入しようと、市民権をとった直後に、息子ブッシュが大統領になり、「9/11」が起ってしまった。これって、カルマ?運命?
 新米のアメリカ市民には、どうにも理解できない政策が、超スピードで展開していく。(もっとも、先輩市民に尋ねても、みんな首をかしげるだけだけど。)子どもの時に戦争を体験し、いまその年ごろの孫をもつわたしには、絶対に許せない戦争狂いが、アメリカを牛耳っている。
 これがアメリカだと思いこんでいた「わたしのアメリカ」は、竜宮城だったのだろうか?と思ってしまう。そしていま、玉手箱が開いて、黒い煙りがたちこめてしまったのだろうか?
 でも、開いた玉手箱は、わたしにいっぱい、いろいろなことを教えてくれた。そして、「わたしのアメリカ」を再検討する機会を与えてくれた。

 肝心なことは、いまのアメリカの政治は、ブッシュが突然始めたのでも、「9/11」が原因なのでもない、ということ。イラク戦争も、パレスティナ占拠も、10年前から書かれてきたシナリオの一幕にすぎないこと。アメリカの経済は、第2次世界大戦以来、急速に発展した軍事産業と、アメリカの武力による世界支配を良しとするシンクタンクによって、着々と築きあげられて来た、戦争経済に依存していること。さらにさかのぼれば、アメリカの豊かな自然資源と先住民のいのちを、わずか数世紀の間に消費して、繁栄してきたアメリカ合衆国の伝統が、ひき続き世界中にひろげられているのだ、ということ。
参考ウェブサイト
http://www.globalresearch.ca


いま、そして未来永劫、戦争を止めるためには、ひとり一人の発言と行動をしっかり支える知恵が必要だと、つくづく思う。戦争好きのシンクタンクに匹敵する「平和の知恵」、歴史と未来をみはるかす「文殊の知恵」が。時には森を歩いて、長老の木たちや先住民の声を聞かなければ。

★ letter from friends

*日本のメディアではなかばあきれ具合にイラク攻撃に対して賛成多数のアメリカ国民、という風に報道されてます。しかし一方、このベイエリアの反戦ムーブメント。私はこの力、バークレーの人々を信じています。できることなら、私もその風、勢いを肌で感じたいなあ。日本に帰ってきて益々アメリカという国を客観的に見ることができ、世界で反米ムードが高まる中、私はまだこの国に望みを託したいな。
(吉原きわこ)

*今回の「shake」もよかったね。こっちもいつも心を動かされているよ。一人一人からはじめないといけないってこれから私達ができることといったらいい環境を子どもに残していくことだよね。どうしたらできるのか疑問だけどがんばって見るよ。広い世界と勇気と知恵を送ってくれてありがとう。(伊藤あけみ)

*アメリカという国は嫌いです。でも、そこに住んでいる友達は大好きです。ただ、周囲には「アメリカ人」そのものも否定する人がいます。最近、そういう意見に抗うことができずにいました。これからも「闘っている」人たちのことを引き続き聞かせてください。(西田陽子)

*shake、興味深く読ませてもらいました。そういう運動と言うものに参加した経験がないから、、、、
どきどきしながら読んだわ。うちの義兄が、週に一度ローカルラジオの番組を30分位担当してるのでshakeを見せて、正しいアメリカ市民の考えと、地道な運動をラジオで放送してもらうわ!(舟根早智子)

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Shake!
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