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島日記

2000年5月

100号発行にあたって 

●なまえのない新聞の100号を発行します。1988年、いのちの祭り88の流れから新聞を創刊した時、100号を目標に発行してみようと決めて月刊(年10回)ペースで出しはじめ、途中から隔月刊の発行になりましたが、この号で最初の目標が達成されました。
今出しているのは実は第二期のなまえのない新聞で、1972年から77年までの約5年間にも計101号を出したことがあります。あの時はつくづく新聞発行に疲れてしまったので、きりがいいところでやめたのですが(自分が関わったのは100号まで)、今回は目標に達したものの特に疲れもせず、このままずっと出していこうと今現在では考えています。
●最初のうちこそ何とか新聞の発行で食べられるくらいの状態でしたが、残念なことに発行部数が減ったこともあり、何年も前から赤字経営です。それでも出し続けることにあまり無理を感じてないのは、その赤字を新聞のハーブの記事の延長ではじめた通販の方で何とかやりくりしていることと、新聞づくりによってお金以上に得られるもの=人との出会いがあるからです。
●新聞の内容に関しては、号を重ね年月が経つに従って、自分の興味と時代が移り変わるのを反映して、ずいぶん最初と変わってきた気もします。読む側からすれば気まぐれに変わるのでついていけないと感じる人もいたかもしれません。しかし同時にこの新聞は自分一人のものでなく、新聞づくりに関わってきた様々な人たちとの合作であるという気もしています。一人一人の気まぐれも、全体としては時代の流れを反映していて、その中で何らかの役割が果たせていれば嬉しい限りです。
●100号に至る中で特に大きかったのは、東京から八丈島に移住したことだったと思っています。意識せずとも自分の立つ場所を変えることで視点が変わってきたのではないかと思います。(そのわりに生活は相変わらずの夜更かし朝寝の都会ペースですが)東京にいると見えなかったものが、徐々に見えてきた気がしています。
●どうやって情報を手に入れるの?と聞かれることがありますが、最近ではインターネットが象徴するように中心から周辺へという一方通行のピラミッド型から、地球全体が網の目に包まれ、相互に情報発信・受信する時代になりつつあります。中身の濃い=みなが必要とするような情報を発信できれば、そこが地球の中心です。八丈には古い絵地図が残されていて、それは地球の真ん中に八丈島が大きく描かれていますが、元々地球には中心はないと言ってもいいし、逆にどこもが中心と言っていいのです。
●100号以降もマイペースを守り、南の小さな島から全国各地、そして地球の各地にいる読者のみなさんに発信していきますので、ぜひそちらからも返信をお願いします。(浜田)

  

底土の港にある歌碑と
ストレチア丸

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