手作りの暮らし


「必要は発明の母」というけれど、山暮らしを始め、子ども達が小さかった頃、あるもので何でも作り始めた。“物がない”ことの豊かさの意味を体験から知ったわけです。

飼っているニワトリは貴重な蛋白源


 手縫いしたワンピースに、手作りのイヤリングとネックレスをして、去年の夏は各地で歌った。
 何でも手作りする習慣が身に付いたのは、山の簡素な暮らしの中からだ。七年前、山に暮らし始めたその日、廃材とプラスチックバケツで、連れ合いが、即席トイレを作った。「何でも、あるもので作れるんだ!」と、驚嘆して眺めていたのを思い出す。おはぎやあんパン、日本の味のあれこれが急に食べたくなって、手持ちの素材で、味の記憶をたよりに料理を覚えた。本や経験があったわけではなく、その時々の必要性に迫られて、想像力を駆使してのぶっつけ本番だった。
 草木染めを始めた時も、服を縫い始めた時も、山の木の実でアクセサリーを作り始めた時も、突然だった。買うことしか考えなかったものが、ある時、作れることに気付く。というより、作れるかどうかは分からないが、インスピレーションが働き始める。一度、始めてしまったら、夢中で作り上げてしまう。
 広大な山の空間と静けさ。週末に町で歌うこと以外は基本的に自由である身軽さ。インスピレーションに導かれて手作りするうちに、歌うかたわら、手作りの品々を販売するようになった。
 このごろ、七歳と四歳の二人の子どもたちは、毎日、何十枚もの紙に絵をかき、切り抜き、はりつけ、さまざまなものを作る。人の形を、腕や体、足、頭、と一度バラバラに切り抜いてから、改めてのりづけして仕上げているのは、私が子どもたちへお人形を縫ってあげたやり方を見ていたからだろう。私が、ネックレスを作る隣で、子どもたちは、絵本を作っている。誰に教えられたわけでも、命じられたわけでもないのに、私たちは仕上がるまで夢中なのだ。
 朝、一日を始める前、私は家から五分程の丘まで登る。一日は貴重だ。自分の中心とぴったりと添ったリズムと流れに身を委ねられるように、朝の空気と、広大な風景を私の中へ迎え入れる。
 去年の秋から、七歳の天地(あまち)は、週に一日、学校へ通い始めた。山のわが家から車で片道二時間の学校へ天地を送り、私と四歳の八星は、温水プールへ泳ぎに行く。新たな縁(えん)と、町の便利さが、私たちの暮らしの一部に入ってきた。また、今年から急に、遠くの町からも歌いに呼ばれるようになった。私たち家族を運ぶ潮の流れは、子どもたちの成長に合わせ、抜群のタイミングで変化してきている。



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