ジョアンとボブの結婚式


 歌いに行く教会で、何人もの個性的な友人ができた。ジョアンは大柄で素朴、マイペースでこだわりがなくあたたかい。ミサのあと、教会のキッチンを使って私達に手料理をふるまってくれたりする。彼女の結婚式に、ミュージシャンとして呼ばれ参加した。

教会で歌う


 その日、ジョアンは泣かなかった。それどころか、私たちの歌で、全員が退場した教会に、花婿の腕をとったまま、そで口から再び入って来た。祭壇で歌い続ける私たちの足元へ歩みより、不敵なほほえみを浮かべて最後のリフレインを共に歌ったのだ。
 ジョアンとは、私と連れ合いが、定例で歌いに行く教会で出会った。私たちは、特にクリスチャンではないが、いくつかの地元の教会にシンガーとして呼ばれ、山で生まれた自作の歌を歌っている。ジョアンは、いつも泣いていた。私たちの歌が始まると泣くのである。豪快に、ハンカチで涙をふきとって、また泣く。そのジョアンが、結婚することになった。三九歳、私と同い年である。
 「ようやく出会えた。待っていてよかった」結婚式の音楽を依頼に来た時、ジョアンは、感極まった声で言った。ジョアンも新郎のボブも初婚だ。
 二人は、教会で式を挙げた。純白の衣を着た神父に手を取られ、誓いの言葉を宣誓した二人は、晴ればれと笑っていた。そして、夕暮れのレセプション会場。ジョアンは、大きな体を揺さぶって踊っていた。ボブは彼女に寄り添うように、ステップを踏む。踊る時ですら、彼女は率先し、場を引き立てる。会食時はワインをついで、テーブルをまわる。式の時、歌う歌を、私たちの自作のテープから選び出し、指定したのも私たちの宿泊の世話をしてくれたのも彼女だ。
 涙もろく、気さくで、単純な人と思っていた彼女の本当の姿を、私はこの日、初めて知った。この日のあらゆる瞬間、彼女は自らのイメージを実現すべく、主役兼監督、シナリオライターとしての役を、ボブと共に演出していた。
 私は、結婚式に憧れたことはない。形式ばったことが苦手な性なのだ。でも、この日、“結婚式もいい”と思った。ジョアンとボブは、この日のために、充分、話し合い、理解を深め合ったにちがいない。年とった二人の母親が仲よく手をつなぎ、歌のお礼を言いに来てくれたのも忘れられない。二人の人生の新しい門出を祝福したい。

 ああ 美しき この一日
 ああ 愛しき この一日
 星の流れと 流れる大地
 私の夢も 全て 
 今ここにある
(当日歌った歌より)

 
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