地元で歌う


 Lake County は、名前の通りいくつか湖があり、そしていくつかの小さな田舎町が点々としている。私とつれ合いは、そのいくつかの小さな町でおなじみの子連れミュージシャンだ。

ファーマーズマーケットで


 ふもとの田舎町まで、我が家から、車で山道を四〇分。人里離れた山の暮らしが、急速に地元との繋がりを持ち始めたのは、ファーマーズマーケットで歌い始めた一九九五年からだ。春から秋にかけて、毎土曜日の午前中、地元の農産物とクラフトの直接販売市が開かれる。青空の下、地元の人たちの集う、この市を愛好する人は多い。木陰のテーブルで、パンとコーヒーにくつろぐ買い物客が、私たちの歌に耳を傾ける。
 九五年、参加当初は、天地(あまち)が三歳、八星(はつせい)は九カ月。子どもたちを足元に遊ばせ、マイクなしで、歌える限り歌った。なにしろ、二人の幼な子の要望に応えながらだから、私も連れ合いも忙しい。あぐらの上に八星を眠らせ、バイオリンを弾く私の姿に次いで、背おい籠に八星をしょって、ギターを弾く連れ合いの姿が、地元の新聞を飾った。山の隣人たちが、子守りとして一時期、同行してくれて助けられた。生産者たちから毎回いただく、食べきれない程の野菜や果物は、山のみんなへの手みやげに。ギターケースへの投げ銭とテープの売り上げで、必要な買いものを。秋の最終市では、子どもたちへの贈り物をいただいた。“歌と、子どもたちで、マーケットを楽しませてくれてありがとう”と。
 渡米後、天地が乳幼児時代に始まったコンサート活動は、遠出することが多かった。私たちの歌に共鳴されそうな場が選ばれ、様々な場へはるばる歌いに出た。八星を宿した時、流れが変わった。「今度は無理したくない」と思った。地元中心に歌うようになったのは八星登場以降のことだ。山の住人も変化した。現在、定住してるのは、私たち家族だけ。他に家を持ちながらも、この山を故郷のように、時折戻ってくる二家族とは、家族ぐるみのつき合いで、子どもたちは、兄弟のよう。その他、二五q離れた町まで、民家は一軒もない。
 この数年、町でよく声をかけられる。「子どもたち、大きくなったね」「今度、いつ歌うの?」など親しげに。地元で歌い始めた当初、素朴なおじさん、おばさんたちが目を輝やかせて立ち止まり、テープを買い求めてゆくのに驚いた。足元に、聞いてくれる人たちがいたことが意外だった。四年目のマーケットで、私たちは、小さな音響システムを通して、市場全体へ、山で生まれた歌たちを歌う。のんびりとした“喧噪”の間を流れる歌たちは、この小さな町の集いを色どる風景となった。私たちは、この町から歌い出してゆくのだと思う。


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