CD「愛の花」に寄せて

時空を越えてあなたと繋がりたい。
ひとつのところからやって来たわたしたち。

吉本 有里

正木 高志(熊本在住 アンナプルナ農園 作家

だれも風を見ないように、だれも心を見たものはない。
けれど、ふるえる木の葉も湧きあがる雲も、見るものはみな心に映る世界だし、森のざわめき、虫の音、聴くもので心に響かない音はない。
その、とらえどころのない心のまま、吉本有里は、自然に、すなおに、怖れることなく、舟の旅をつづける……仲間たちと繋がり、子どもたちと一緒に歌いながら……ゆらゆらと。
大きな里いもの葉っぱの上の、風にゆれてコロコロきらめく朝露のような、透きとおった有里さんの歌を聴いていると、アイヌの物語の主人公のように、何を欲しいとも思わず、何を食べたいとも思わず、幸せな気持ちになる。
歌ってくれてありがとう。
あなたの歌を聴いて
花や小鳥たちも
よろこびますように

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長田 英史(東京 町田 NPO法人れんげ舎[こどもの居場所]代表)

みんな本当は自分のこれからが不安だ。不安は解消しなければという思い込みから、様々なことを試している。実際そこには不安があるのだから、不安を抱え ながら生きていくことを試みてもいいのに、なかなかそうは思えない。不安との共存は、とても難しい。それはつまり、信じるということが難しいということ だ。自分や、他者や、世界を信じるということ。それがとても難しい。

吉本有里の歌や話に耳を傾けてみる。自分のなかにあるものを、そこに見つける。

保証のないいまを生きるときの不安と輝き。吉本有里さんの音楽にはそれらが調和して含まれている。僕はそれが素敵だと思い、彼女と友達になった。
速いスピード、大雑把な評価、表面的なやりとり…そういう現代社会に対して、ささやかだけれど大切なことを真摯に問い、心のなかの微妙で未分化な出来事 を切り取ってみせてくれる。そのなかに、本当の希望があると、僕は思う。

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南兵衛@鈴木幸一 (プランニングオーガナイザー/アースガーデン代表)

 最初に有里ちゃんと出会ったのは、もう10年以上も前、北海道・大雪山にのぞむ広大な田園風景の中だった。農家の納屋を会場にした仲間たちでのコンサート、有里ちゃんのパフォーマンスは北の大地にふさわしく透明でのびやかで、まだ少女の面影を 残すようにさえ感じられる無垢な印象が心に残った。
 日本を離れた彼女と久しぶりに再会したのは8年の月日が経ってから。アメリカ・ 北カリフォルニアの山中の厳しく美しい自然の中で、子を産み育て、歌い続けた彼女は、その人間的な透明感をさらに増したように感じさせた。
 その後、やはり北カリフォルニアの山中に住むビート詩人ゲーリー・スナイダーを迎えるイベントに出演してももらった。東京の真ん中に1000人もの若者たちが集まる場に立った時でも、彼女の有り様は確かに伝わっていたと思う。大自然と家族とのシンプルな暮らしから、今の物質と情報の溢れる日本での日々へ。それでも彼女は会うたびに、新しい旅と歌の中での出会いと自己発見の充実を嬉々として語った。その予想外に気丈で現実的な彼女の姿は、かつての無垢な女性から大きな母親への成長だったろうか。
 あらためて日本で歌うことを選び、信州を暮らしの場と定めた彼女の歌とバイオリンからは、彼女の純粋とそれ以上にタフなほどの意志が混じり合って心に響く気がする。音楽、旅、子供達との暮らし、ときに相反しシビアな選択を迫るだろう日本での生活でも、彼女は悠々と彼女の道を歩いていく。その歌声に励まされる人は多いはずだ。

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佐々木 康秀 (東京 本應寺住職)

有里さんがほんのう寺に来たのは いつだったか 随分前のような気もするし、つい最近のような気もするし。双子の妹さんが この寺でやっている母と子の寺子屋講座に参加しているご縁で親しくなっていったわけです。最近では、ここが彼女の東京の定宿となっており、時々はこどもたち二人も一緒に泊まりに来て、お念仏を唱えてゆきます。

有里さんの歌はいいですね。ふと、気づくと彼女の歌を口づさんでいることが多く、何度聞いても飽きません。先日もお寺の行事で歌ってもらいましたら、評判が良く他からも口がかかってきました。
愛をテーマにし、愛をメッセージする歌が多く、この点でお寺と同じ活動ともいえます。お寺は仏さまの心を伝えるところであり、仏さまを中心に生きてゆくところであり、仏さまの円満な光を体現してゆく所なので有里さんの活動とある面で同じ道といえましょう。
仏さまの心とは大慈悲(無限の愛)これなりとお経には書かれています。その心をこれからもより深く体現していってもらいたいなぁーとえらそうに彼女にお願いしたりしているわけです。愛とは何か、真実とは何か、人間の永遠のテーマですね。

有里さんが寺にくると楽しい。すぐミニコンサートが開かれてしまう、丁度居合わせた他の音楽家とも、すぐにセッションが始まってしまう。いつもたくさんの歌を布施してくれる彼女は、やはり愛のメッセンジャーだと思います。
ひとつ望むことは、あまり有名になってもらいたくないということですね。有名になると、忙しくなるし、気安く頼めなくなるという単純な理由からなのですが。。。
    合掌三念  品愚

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大須賀 発蔵茨城カウンセリングセンター理事長)

このたび、私が代々木で行なっているセミナーに吉本有里さんにおいでいただき、「愛の花」など、素晴らしい詩曲をお聞きすることができた。『仏教思想と現代人の心』を主題に学び合う小さな月例会での事であったが、一同の心はまさに“仏性”に満たされ、宇宙のいのちの愛というか、大慈悲心の中につつまれる経験をもった。とくに「愛の花」は“胸に宿る、悲しみ苦しみ、限りなき愛の花…”と歌い出され、“限りなき愛の花”という一節が繰り返されていく。その詩と曲と、吉本さんの“いのちの声”の響き合いに包まれながら、私は「華嚴経」の説く「雑華嚴飾」の宇宙観にひたっていた。華嚴思想では「一即一切 一切即一」無限の大宇宙の中の一微塵ともいえる私たちのいのちが、無限の宇宙生命をその中に攝めており、また宇宙生命は一塵といえども取り残すことなく攝めている。そして、宇宙現象の総てが「雑華嚴飾」、つまり諸諸の華(雑華)によって美しく尊く飾られていると説く。この宇宙観の中では、それまで矛盾葛藤し、せめぎ合っていた悲喜、愛憎、是非、是非、善悪の思いは、寸分の無駄もなく調和し、まさに「限りなき愛の花」として宇宙を荘嚴していく。吉本有里さんは「雑華嚴飾」の宇宙観を洞察され、しかも私たちのささやかな日々のいのちの営みを、究極の宇宙の愛の世界に導いてくださっていたのである。感謝をこめて…。         

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吉本悌子 (母)

4才の頃、わたしが長期入院し退院ししばらくしてから、何かで私が一人で待っていた所に帰ってきたゆり子が、「寂しかった?」と気難しげに私に聞き、胸が一杯になったことが、遠い昔のことなのに、この間のように思い出されます。
 小学校5年生の頃、内向的で授業参観でも先生に指名されてやっと答える様子に、気がかりでしたがその心配に先生が、「クラスでものごとを決める時、わぁっと元気な人たちの発言やその場の雰囲気で決まってしまいそうになった時、黙っていたゆり子さんが、異論を出し、また原点に戻って話しあうということがよくあるのですよ。」と言われたことがありました。
 音楽は5才の頃からバイオリンを習い始め、親の気持ちが先で、ゆり子はしぶしぶやっていたようで発表会も好きではありませんでした。それが大学へ入った頃から自分でバイオリンを再開し、そして自分で歌を作って歌うようになりました。親としては趣味で続けてほしいと願っていたのですが、暮らしの中心にしているようで、子どもを育てながら続けるのは難しいだろうと、ハラハラしながら祈るような思いです。


愛の花 吉本有里

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