キャラバン・オン・ザ・ロード(その2)
(1975〜1977)


 私が無我利を出ようと決めたのは、本州・北海道を一回りして、10月に無我利に帰った時だった。東京や都会文明が恋しいとか、ヒッピーから足を洗おうと考えていたわけではなかった。文字通りのコミューンの創成期、同じ屋根の下、同じ食卓を囲んで、様々な体験を共にした無我利の仲間は、家族のように大好きだったし、信頼していた。他はあまり知らないが、無我利というところは、私にとって居心地のいいコミューンだったと思う。それでも、その時はここに住み着こう、根を下ろして暮らしていこうという気にはなれなかった。
 恋した女性とは通じ合えず、その人は別の男とカップルとなり、そこで自分でけじめをつけたかったということもある。東京へ、あるいは北海道へ帰ったとして、何かの当てがあるわけではないが、自分の旅は、まだ始まったばかりだと思っていた。

  奄美・無我利道場を出た私は、77年早々、当面何をする目標も方針も定まらないまま、神奈川・相模原の弟のアパートに居候していた。弟は、私が先年退学した大学に通っていた。
 テレビ、ラジオも、電話もない、都市文明とは隔絶した奄美の離島で1年近く暮らし、コミューンでの労働と瞑想が日常だった日々から一転、プラスチックとコンクリートジャングルに覆われた、モノとクルマと人があふれる首都圏の街は、まさに狂気のバビロンに見えた。私は文明忌避症とでもいうべき精神状態に陥り、街に出たり、電車に乗ったりとか、以前は当たり前にしていたことができなくなり、そういうところに近づこうとしなかった。アルバイトに出るなんて、考えることもできなかった。今で言う引きこもりに近い。
 部屋に閉じこもっているか、近くの小さな森を散歩するのが日常だった。

  77年1月末、古巣の大学の友人の紹介で、神奈川・愛川町にある竹林に囲まれた一軒家を訪れた。その家は持ち主も賛同して、仲間が集まる共同生活の場として使おうということになり、その冬の間だけの、うたかたのコミューンのような場が始まった。
 中村アキラというミュージシャン志望の男が家主で、その彼女がS子さんだった。
 私はその家の環境と周囲の自然がすっかり気に入り、しばしば通うようになり、家主の2人がいない時は留守を預かり、弟のアパートから、こっちに居を移すようになった。
 ここは、文明忌避症と鬱に陥っていた私にとって、恰好のリハビリと鋭気を養う場になってくれた。

  丹沢山地を望むこの地は、自然を残す河(中津川)が流れ、竹林があり、近くには八菅山という古の修験道の跡地と社があった。
 春は山菜が豊富で、私はここで一人でいる時は、買い置きの玄米と、この家にあった大樽の自家製ミソから作った味噌汁、近くで採ってきた山菜くらいで一日二食の食事を済ませていた。
 味の濃い栄養のあるもの―肉や魚、菓子などは、食べたいとも思わなかった。ついでに意識的に断食に近いことを時々、やっていた。この時期、ずっとタバコも止めていた。
 体に毒と濁った波動を与える刺激物は一切摂らない。玄米菜食のついでに徹底的にストイックなことにトライしてみようと思ったのだ。そして瞑想を習慣にしていた。
 朝の起床時と、日が沈む夕刻に、座を組んでの呼吸法を伴うヨーガ式の瞑想を、朝は30分、夕方は1時間、励行するというサイクルをしばらく続けた。

  その結果、身体の気や神経、血の巡りがクリアーになり、五感はもちろん、第六感も、これまでになく研ぎ澄まされてきたことが、はっきりと分かった。普段は見えない物も見え、テレパシーで意思を伝えたり、他人の心が見えたり、オーラが見えたりしてもおかしくはないと思った。この感じは、せいぜい120度以内だった普段の五感の範囲が、180度以上まで広がったかのようだ。常にこんなに感じていたら、むしろ辛すぎる。そんなことを自覚した。実際、ある時には他人のオーラがはっきりと見えた。そしてそれを不思議とも思わなかった。

  大学の友人や、新たな仲間も含めて、様々な顔ぶれが訪れた。バンドの練習やセッションをしたり、語り合ったり、満月にはフルムーン・パーティをしたり、私は番頭役のようなつもりで、料理を作ったり、廃木を集めて薪にし、竈の火番を担当したりして 我が場所を得たような気分だった。
 その家を最初に訪れた時に、出会ったのが、アキラの彼女だったS子だ。私は性懲りもなく、一瞬で恋に落ちた。彼氏がいようが、そんなことは関係なかった。その時から2年間、私は彼女のことを慕い続け、果てしのないような恋に駆られた。

  ここでは一生忘れられない不思議な事―超常現象も起きていた。3月半ばのある日の夕刻、私も含め仲間ら5人で中津川の川辺を散歩していた時、皆で一斉に、晴れた上空を丹沢山地の方向に向かって、すごいスピードで飛んでいく、銀色に光り輝く楕円形の飛行物体―UFOを見たのだ。
 それは、皆で目で追っていると10秒後くらいに、丹沢山の上空でフッと一瞬にして消えた。まるでテレポートするように。その消滅の仕方が、あまりにも見事で、まるで何かのサインかシグナルを送られたような感じがした。そして同時に直観的に思った。あれはきっと俺たちを見ている、意識していると。何故か不思議に懐かしかった。仲間が乗っている、とさえ思った。

  それを見た後は、皆の間に異様な沈黙があった。たった今、皆で見たすごいもののことを、誰も口にしなかったし、その後も話題となることもなかった。今も言えることは、その時、この三次元地上世界とは異なる次元、異なる何者かの存在を、はっきりと見せられたということだ。


 

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